《美しい獣》
《美しい獣》
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崩れかけたマンションには、
破損した鉢植えから育った果実の木がある。
大破したベランダの向こうでは、海岸の波の音が聞こえる。
「・・・・・・」
今日が彼女の誕生日。
虫も湧かない薄暗い部屋。
賞味期限切れの飴の袋が散らばっている。
「・・・・・・」
心に、何も抱くことが出来ない。
生きようとしたという感傷。
片腕を失った恐怖と、取り戻した事実に、思考が止まっていた。
あんなにも泣いてた、あんなにも願っていたのに。
頬に触れず立ち上がった。
冷たく、皺を誤魔化すために伸ばした靴下、
紐がほどけた靴を履く。
外を出た瞬間に、彼女は言葉を発した。
「私が死のうと思ったのは」
口ずさむ様に、前の自分に襲い掛かる光景と向き合う。
激しい異常代謝によってボロボロになった顔をした人達。
そして笑い、獲物を視るような視線。
「・・・・・・」
皆驚き、すれ違った。
ああ、自分も、同じく化け物になったのだと。
彼らと同じ様に、暴食を赦された。
彼女は自分の悲鳴を脳裏で再生させてしまった。
そして、虚ろな目が、大きく見開いた。
すれ違い続けた者達の影を追った。
多くの悲鳴を聞いた。
不完全変態の虫の顔をした子供の長い六本脚を引きちぎり、
蠅の様な複眼の女の、一つ一つ線をなぞりながら斬ってみた。
獣人の巣を燃やした。
ガソリンをばらまいて、体毛は簡単に発火した。
一番美味しかったのは、心臓だった。
『悪趣味だな』
『人間の皮をしても化け物には変わらないのか』
『酷い、酷い、どうして』
『これが人間のすることなのか』
彼女が殺し、喰らった者達の声。
他人の不幸は蜜の味、という言葉を思い出し、いいや違うと否定する。
憎い存在の断末魔は、彼女の空虚さを埋める生き甲斐だった。
同族を殺し続ける中、瓦礫の鉄材から簡単に刃物を作れるようになった。
過激さは増した。
山や森に流れる水よりも、壊れた給水道によって出来た小川が清潔だとは皮肉なもので、
血に染まった学生服と共に、大きな水道管から流れる滝へ飛び込む。
力を抜けば、自ずと水面へと浮かんだ。
深紅に染まった髪が、白みの強いプラチナブロンドへと戻っていく。
浮かびながら仰向けでみる空は、穢れない蒼。
太陽は大きく見え、光は眩しすぎた。
そして、汚染により羽を変色させた小鳥が、飛んでいる。
「・・・・・・」
何かを呟こうとするも、浮かばない。
浅い場所で立ち上がり、もう一度見上げた。
太ももがまだ川に浸かって冷たさを感じながらも、ようやく答えをだす。
---ああ、どうして、また、人間になることを選んだのだろう。
人である者とすれ違う事はなく、こうして化け物になっても否定される矛盾。
俯く彼女。
「・・・・・・」
彼女は涙を流した。
もう己は、独りなのだと。
誰にも理解されず、誰かを理解することも出来ぬほどに、
衝動に包まれた。
たった一人の、人間の姿をした化け物。
水面に映る、少女の顔はどこまでも虚ろで、
涙で潤んだその瞬間だけが、皮肉なまでに綺麗だった。
彼女は変わらなかった。
変わらず、刃物を作り続け、化け物を殺し、食った。
巣があれば燃やし、卵も燃やし、
母となる化け物の腹を引き裂いた。
男達はまず皮膚を丸々むいてから、骨や牙、爪、眼球を丁寧に取り除き。
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XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX、XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX。XXXXXXXXXXXXXXX。
そして、出会う。
洗練された刃物を地に落とすほどの、一目惚れだった。
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「5年くらい、貴方の眠りを見守っていた」
年齢不明の少女の言葉に黒龍は疑った。
『・・・・・・どうして起こさなかった』
「眠りの邪魔をしたくなかった」
『ああ、人間のまま、永遠に寝ても良かっただろうな』
「貴方は人間だった頃が愛おしいの?」
『・・・・・・それが当たり前なんじゃないだろうか』
「そう」
彼女の静かで冷たい顔、それが僅かに緩んだ事に、
黒龍はこの感傷のおかしさを理解した。
『俺は人の為に戦っていた、記憶が確かならばな』
女の曇った瞳をみながら、首を起こす。
『ここに墜落した激しい痛みや、息苦しさの中で、俺は自分を疑った』
そして瞳をそらし、少し考え、説明を補足する。
『ああ・・・・・・、特殊な戦闘機のパイロットだったんだよ』
再度、こちらを見上げる彼女を見詰める。
『誰かに謝罪しながら、暗く冷たくなっていく身体を恥じた』
「・・・・・・」
『どうして、目を覚ましてしまったんだろうな』
人類の敵に負けてしまったこと、変わってしまったこと、
この姿のまま安眠出来たことを認識するだけで理解出来る。
『それで、君は俺を何故探していた』
彼女が、己を探し求めていた理由をまだ彼は把握していない。
『俺の眠りを妨げず、数年も待っていたことも、まだ理解出来ない』
無意識に、睨んでいた。
「・・・・・・一目惚れよ」
一言目。
『はあ・・・・・・?』
黒龍は気の抜けた声を出す。
「貴方の寝顔、寝言、全て、・・・・・・・・・人の様だった」
彼女は途中、声の調子を変えて、告げた。
『!?』
寝顔、そして寝言という聞き捨てならないワードが出てくる。
「《セラ》・・・・・・、そして、《僕》って」
黒龍は苦虫を噛みつぶした様な顔をする。
『《回り灯籠》を知ってるのか?ガキだった頃や、初恋を巡る現象のことだ』
言い返す。
「貴方を切り殺す前に、その寝言で手が止まった」
『・・・・・・』
何を返せば良いのか分からなくなる黒龍。
「初めての気持ちだった。貴方の様な存在に、出会えた事が、こんなにも・・・・・・」
そして彼女は、黒龍の身体にゆっくりと触れる。
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『首元を撫でると、貴方の瞼がピクピクって動いたことがあった』
『暖かい貴方の横で、夜を明かした事もある』
『私の名はジーク』
『貴方の様な人に殺されるなら、それでも良い』
こうして共に過ごし、会話をする中で、
ジークと名乗る彼女は、己を化け物とみるのと同時に、
人であるとも考えていることを黒龍は知った。
『俺の名はアヴラム』
彼は自らそう名乗った。
『アヴラム、それが貴方の人間だった時の名前?』
彼女は人間という単語に拘るのだなと察しながら、黒龍は本音を語った。
『違うな、人間だった頃の俺の名前は、口に出すほどの恥ずかしい呪われた名前で』
神に祝福された名前が欲しい願望があった故の命名。
『こんな世の中でも神を信じるの?』
彼女の言葉に神経質になるような人間はもういない。
『それはごもっともな意見だな』
「・・・・・・」
空を飛ぶ黒龍アヴラムの背に乗るジークがしっとりと口ずさむ、深みのある歌。
詞の意味を理解出来ない程、彼も教養が無い訳ではない。
「・・・・・・行くよ、アヴラム」
『ああ・・・・・・』
彼がまもなく到着することを告げる前に、彼女の声が変わった。
魑魅魍魎の街が、焦土と化す前の出来事だった。
初稿 2018/05/06 04:02