006_公爵令嬢の憂鬱
■Side:Deirdre
「いったいなにをしているのですか!」
私はなかば感情のままにグラディスを怒鳴りつけました。
「しかしお嬢様、アレはマウラを――」
「言い訳は無用です。私たちの恩人に刃を向けるとは、恥を知りなさい」
不満そうな顔をしているグラディスから、一切微動だにしないマウラに視線を移す。
私たちと一緒に囚われたというのに、自由に動いていたマウラ。そして彼女がゴブリンたちと一緒に行動しているところは、砦から見ることができました。囚われている様子ではく、まるで彼らを率いているかのように。
恐らくは、あの方が云うようにマウラは私を、我が家を裏切ったのでしょう。そしてグラディスの心は、私にではなく、マウラにあるのでしょう。
自身の人望の無さを情けなく思います。
マウラに視線を向けます。
マウラは以前と変わらぬ様子でそこに佇んでいます。ひと言も喋らずに。警戒すべきは彼女でしょう。さすがにこの状況でグラディスがマウラに与することはないでしょうが、もはや信用すべきではありません。
私は踵を帰すと、砦へと戻りました。すでに荷馬車は見つけてあります。あとは馬を繋ぎ、物品とあのふたりを積みこめば出発できます。
ここがグクローツ砦であることは分かっています。馬車であれば、ストローツまでは1日もあれば到着するでしょう。
私がすべての準備を終えて、馬車を操り砦を出た時も、マウラとグラディスは先ほどと同じように立っていました。
マウラは無表情に。グラディスは苦悩するように。
「グラディス、あなたの任を解きます。好きにしなさい」
私は金貨の詰め込んだ革袋を彼女の足元に投げました。退職金としては十分でしょう。
後でいま投げ渡した金貨を、家の資産からだしたことにしておかなくては。忘れずに帳簿に記載しておかねばなりませんね。
臨時収入と、出費とを。
そして私は出発しました。すくなくとも、いまはまだグラディスがマウラの牽制になっているようです。いまのうちにこの場から出来るだけ離れなければ。
★ ☆ ★
ストローツ。我が公爵領最北の町。公国が健在であるときは貿易都市として栄えた町。もっとも公国が滅びたいまではその栄華も過去のものとなっています。
それから25年が過ぎた現在では、その公国を亡ぼした“魔”に対抗するための防衛都市となっているのです。
そしてこの防衛都市ですが、このほどあまりにもその内情がひどいことになっているという話が当家に上がって来たため、私も送り込まれたのです。
正確には、戦姫と呼ばれた我が叔母がこの町の責任者兼執政官として先月赴任。私はその補佐という名目で為政者として勉強する、ということになりました。
なんてことはない、手が足りないと救援要請が実家である我が家に届いたからです。結果、跡取となる私としてもよい経験になるだろうと、両親に送り出されたという次第です。
もっとも、その移動中に盗賊に襲われ、攫われるなどと云う失態をしてしまったわけですが。
私は問題なく町へと入り、公邸に到着しました。
公邸に馬車を乗りつけた直後は、少々騒ぎとなりました。それもそうでしょう、私の到着が大幅に遅れたのですから。しかも共としてついていた24名が誰ひとりとしていないのですから。
拘束されたままのふたりは、すぐさま公邸の地下牢へと放り込むよう指示しました。いまもってなお両手を後ろ手に拘束された上、目隠しと猿轡を噛まされたままの状態です。
そして私は家令に案内されて、叔母の籠る執務室へと案内されました。
執務室では、叔母が書類に埋もれていました。比喩でもなんでもなく、執務机に山と積まれた書類で、叔母の姿が半ば見えません。
あまりの状況に私の顔が引き攣ります。
「あぁ、ディアドラ。よく来てくれた」
書類から顔をあげ、私の名を呼んだ叔母は眉をひそめています。
「……グラディスはどうした?」
本来であれば私に付き従っている護衛の姿がないことに、叔母は違和感を覚えたのでしょう。まぁ、当然のことです。
私はここに来るまでのいきさつを包み隠さずに話しました。
叔母が額に手を当て呻き声をあげました。
「あの恩知らずが。……まぁ、いい。それよりもだ、ディアドラを助けた女性だが……仮面をつけていたんだな?」
「はい」
「……与太話の類かと思っていたが、実在したのか」
「ご存じなのですか?」
「市井での噂でな。1年ほど前から王都周辺で出回り始めた。なんでも盗賊団を潰して回っているという話だった。一番有名なのが“虎の仮面を着けた女が魔術師と名乗り、反りのある細剣を両手に、ピーターズ商会の隊商を襲っていた盗賊団を悉く斬り殺した”というものだ。それのどこが魔術師だ。どう見ても剣士だろう」
叔母、クロ―ディアの話に、私は思わず納得してしました。
確かに、最初にみた戦い方は魔術師らしくありませんでした。砦の二階から見た時には、見たこともない魔法ばかり使っていましたが、基本的な戦い方は騎士や戦士の戦い方に近いものです。
とはいえ、彼女が魔術師であるのは確かでしょう。なにせ、相手に会わせて、自らの姿を変じ戦うのですから。
「変身の魔法と、自身の肉体強化というところか。それに加え【光】の魔法とは。国王陛下が聞いたら確実に召し抱えようとするだろうな。かくいう私も欲しいところだ。とはいえ、部下として召し抱えるというのは……難しいだろうな」
「でしょうね。その気があればとっくに仕官しているでしょうから。
ところで叔母上。仕事が尋常でないことになっているようですが」
私が問うと、叔母上は大仰にため息をつきました。
「町を治めていた執政官が行方不明だ。正確には、私の赴任が決まった直後に姿をくらました。ヤツめ、やりたい放題やってくれたおかげで、この町は財政から何から滅茶苦茶だ。人も金も足りんという有様だ。
これから数年は公爵家も財布の紐を絞めねばならんな。取り返しのつかない状況ではなかったことだけは幸いだった。とりあえず、兄上に人と金の打診をした。“このド阿呆”と追記してな」
あはははは。
もう、苦笑いを浮かべるしかありません。
監督不行き届きもいいところです。お父様の大失態です。
「ま、溺愛しているお前が傷モノになりかけたと知れば、さすがにこっちのこともまともに考えるだろうよ。いくらルーズベリーの水害対策に追われているからといって、こっちをおろそかにしていいことにはならん。よし、人を見る目をなんとかしろと書いて、人員補充を追加要請しておこう。まともな兵士も文官も足らん」
……そこまで人員不足が酷いことになっているのでしょうか?
いえ、恐らく解雇ではなく、逮捕した結果減ったのでしょう。先の執政官の話から察するに、完全に犯罪結社じみた有様になっていたようですし。
ここで最悪の報告をしなくてはならないのは心苦しいですが、しないわけもいきません。
「……叔母上。最後に悪い報せを」
「なんだ?」
「公国から【魔】が出てきました。私がこの目で、仮面の魔術師殿が討伐するところを確認しました」
叔母上の表情が険しくなります。
「ディアドラ、彼女のことを捜せるか? 場所を考えれば、この町にいる可能性もある。【魔】を倒せるものは本当に貴重だ」
「恐らくは。断言はできませんが」
「よろしく頼む。早速――と、云いたいところなんだが、すまん、こっちを手伝ってくれ。さすがに手が足りん。書類の分別だけでもしてくれ。
くっそ、ハスケルの野郎、捕まえたらタダじゃおかん。簡単に首を刎ねられて終わると思うなよ」
叔母上がブツブツと物騒なことを云いだしました。恐らく、そのハスケルとかいうのが執政官の名前でしょう。
さて、それでは仕事に掛かるとしましょう。元々そのために呼ばれたのですしね。
★ ☆ ★
これはどういうこと?
私は貴族らしい無表情を壊して、あからさまに顔をしかめていました。
仮面の魔術師捜索は私ひとりで行っています。護衛騎士がひとりついてきていますが、捜索自体はひとりです。
理由は完全な人員不足のため。一応は動かせる人員はいるのですが、まともに信用できるかと云うと微妙という状態であると、叔母上が嘆いているのです。そんな連中を動員したところで、返事だけよくて仕事などしないということです。
そんなわけで、私が自身の足を使って捜索をしているというわけです。
その手始めとして、入都管理をしている街門、先ずは南門の衛兵詰め所へと足を運んだのですが……。
そこはまるで蜂の巣をつついたかのような騒ぎになっていました。
門は閉められたままで、入都待ちだった者たちは東、或いは西門へと迂回するように指示している有様です。
遠巻きに集まっている野次馬の間から荷車に乗せられて運ばれていく血まみれの兵士。出血は止まっており、命に別状もないようですが、その姿は血塗れであまりにも凄惨です。
私はその開いた野次馬の間から中に入ると、野次馬たちの立ち入るのを制している兵士のひとりに状況を訊ねました。
私が何者であるのかが分からなかったのか、それでひと騒動起きましが、怪我人が数人増えただけです。さした問題でもないでしょう。足の骨が折れたせいで、暫く生活に苦労する程度のことです。
正直、この護衛騎士はやりすぎですが、いまは人手不足。まともな者が実家から送られてくるまで我慢せねばなりません。
詰め所へと入り、現状、ここの責任者(仮)となっている兵士より状況を詳しく聞きました。
聞いたことを後悔したくなるような事実を聞かされました。
ただの一人旅の女性冒険者を捕らえ、複数の兵士で暴行したというのです。
首謀したのはこれまでここを取り仕切っていた兵士長。もっともその兵士長はその女性冒険者を巡り仲間割れをし、死亡しています。
さきほど運ばれていった血まみれの兵士は、唯一生き残った者とのこと。
そんなにもその女性は魅力的であったのでしょうか? ですがその女性の容姿も不明。なにせその女性は顔面を酷く損壊した状態で死亡しています。
死亡原因は刺殺。原型を留めないほどに顔面を殴られた後、胸を剣で一突きにされたのです。
そしてその剣は兵士長のもの。
どういう状況から6人の兵士が殺し合い、そしてその女性を殺したのかはあの生き残りから聞かねばなりませんが、恐らくは保身に走り、真実を話すことはないでしょう。
一人旅の女性をターゲットとした、こうした兵士たちの犯罪行為はこれが初めてではないとのこと。
本当に私は頭を抱えたくなりました。
いったいどれだけこの町は腐敗しているのか。
正常化させるまでにどれだけ苦労することになるのかを考え、私は気が遠くなったのです。