031_神 vs 神モドキ
灰を散らしながら炎が落下し、海面に落ちるより先に跡形も無く消えた。
「ハハハハハハハハハ! この程度か。気負う必要など欠片も――」
海面に立ち勝ち誇っていた【支配】の顔が、突然の状況に氷つく。
自身の周囲を覆う、得体の知れない布状のもの。にも関わらず、陽の光は変わらずに降り注いでいる。
一切の陰りも無く、自身の周囲を覆いつくす何か。
いったいこれはなんだ!?
「やぁ、よくもやってくれたね」
得体の知れないモノの一部がニュウっと【支配】の眼前にまで伸びてきて、少年の顔を貌作る。
その異質さに、思わず後退さる。だが――
「あの娘はね、僕のお気に入りなんだ」
すぐ右脇に同じ顔が伸びてきてニタニタと笑う。
その直後に左腕が食いちぎられた。
左にも同じ顔が伸びて来ていた。だが少しばかり違いがあった。その顔はまるでデフォルメされたようの大きく口が広がり、サメのような歯で食いちぎったルーサーの腕をぐちゃぐちゃと咀嚼していた。
「な、貴様――そんなバカな。なぜ腕が再生しない!?」
ルーサーが肘から先の失くなった左腕を見ながら叫ぶ。
腕を喰らっていた顔は嫌そうに眉根を寄せると、銜えていた腕をペッと吐き捨てた。
ルーサーの足元に落ちたそれは、周囲を覆っている布のようななにから生えだした無数の小さな腕に貪られるように掴まれ、布の中へと引きずり込まれていった。
「あぁ、やっぱり“這いずるモノども”は不味いな。食えたもんじゃない」
嫌そうに顔を顰める顏を眺め、ルーサーは狼狽していた。
自身こそが世界の頂点であると思っていただけに、この状況が理解できないのだ。
その様子に、少年たちの顔が厭らしい笑みを浮かべる。
「随分と傲慢だなぁ。この状況を理解しようともしないなんて」
「自分が一番だとでも思っていたのかい?」
「君よりもアルトゥルやターラのほうがずっと強いっていうのに」
ケラケラと少年たち? が笑う。
「化け物め……」
「「「ははは。まさか神が人の形をしているとでも思っているのかい? 神なんぞ、概念が意志を持っただけの得体の知れない化け物に過ぎないよ。まさかそれすらも理解していないとか云わないだろうね、ルーザー。その肉体の元の主はともかく、お前は知っている筈だろ?」」」
覆っていた“何か”が消え失せ、3人の少年がルーサーの周囲に立っている。
陸地が欠片も見えない海上は広く、そして空はどこまでも青く澄んでいた。
「それに君だって、窮地に陥れば姿を絶対的に変化させるだろう?」
「もっとも、そうしたらもう元には戻れないだろうけど」
「怖いんだろう? アメリアやイリシアのように、得体の知れない化け物のような姿になるのが」
ルーサーがギリギリと歯を軋ませる。
ルーサーを取り囲むように立っていた3人の内のふたりは、ルーサーを警戒する様なそぶりもみせずにてくてくと歩き、留まっているひとりとひとつになった。
「でもそれが神というモノさ。もっとも、お前が成り果てるモノは神とは似て非なる得体の知れないモノだろうけど。なにせお前は概念ではないからね。それに、そもそも神には肉体は不要なのさ。だからどうあがいてもお前は神にはなれない」
ボッ!
ルーサーが少年に向かって力を放つ。その衝撃波は少年の上半身を消しとばした。
消しとばしはした。したが――だが。
消え失せた上半身部分には、まるで陽炎のように揺らぐ人型のなにかが染みのように残っていた。
「うんうん。不意打ちのような一撃。分かるよ。格下たるお前には、それしか手がないんだよね。まったく哀れな事だね。
ところでだ。僕はこの星の神ではないんだ」
少年の言葉に、ルーサーの顔色が少しばかり変わる。
少年は盛大にため息を吐くと、消滅した上半身をたちどころに復元し、何事もなかったかのようにバリバリと頭を掻いた。
「ここの管理をしているクソ女神に用があってね。あのゴミを亡びない程度にぶちのめすために来たのさ。喧嘩を売られたからね。
だがいざ来てみたら、どこぞに出掛けていていやしない。だから戻ってくるまで待っているのさ。とはいえ、暇を持て余していてね。適当に地上にちょっかいを出して遊んでいたわけさ。
そもそもおかしいと思わなかったのかい? お前たちを始末するなら、とっととしていたよ。
でもお前たちを始末するのは僕の仕事じゃないし、“穴”を塞ぐのも僕の仕事じゃない。とはいえ、“穴”を放っておくわけにもいかない。困ったことに“上”からお願いされちゃってね。だからこうしてあのクズを追わずに僕は待ってる。監視をするなんていう無駄な時間を過ごしながらね」
やれやれというように、少年は肩を竦め首を振った。芝居がかった大仰な仕草で。
「さてと、それじゃ続けようか。お気に入りを毀された溜飲もまだ下がっていないし、なにより身の程を理解しようともしない傲慢な負け犬をのめし足りない。暇潰しにつ付き合えよ」
少年の口が裂けるように開き、眼の色が赤と黒を中途に混ぜ合わせたような色へと変貌し、その姿も解けるように周囲に広がっていく。
またしてもルーサーは逃げる術を失う。
「安心すると良いよ、亡ぼしはしないから。そんなことをしたら、あのゴミの手伝いをすることになってしまうからね」
ルーサーはいまにも泣き出すように顔を歪めた。
海面に四肢を失ったルーサーがひとり、ぷかりぷかりと浮いていた。
力も大分失い、もはや自身の手足を再生することもままならない。当然、戦闘などもう不可能だ。
そんな彼の頭の側に、少年は屈みこみ、ルーサーの顔を覗き込んだ。
その表情は先ほどまでの狂気じみたものとは違い、まったくの無表情だ。
「……殺せ」
ルーサーが少年に云う。
だが少年の瞳孔の開き切った真っ黒な目は、まるで死んだ魚の目のようなままだ。
「殺す? 本当に馬鹿者だな、ルーザー。さっきも云ったろう? どうして僕があのクソゴミの手伝いをしてやらなくちゃならないんだい。冗談じゃない。アレが戻ってきたら、亡びない程度に痛めつけるつもりなんだ。決してあのゴミの仕事を手伝うなんてことはあり得ないね。
あぁ、その直後なら、お前でも神を亡ぼせるかもしれないよ。アレも神の端くれとはいえ、成り上がったばかりのクソ雑魚だからね。たいして強くないんだ。神生を舐め切ってダラケているからね。
その気があるなら、死ぬ気で自身を鍛えてあのゴミを喰らうと良いよ。そうすれば、8匹のうちの1番くらいにはなれるさ」
変わらず真っ黒な瞳でルーサーを見つめる。その目を見つめ返すルーサーの顏に僅かに表情が顕れた。
「さっきも云ったろ? 僕はあのゴミが戻ってきたら、死なない程度にぶちのめすんだ。その直後ならお前でも殺せるかもしれない。あとは好きにするといいさ。僕はお気に入りと一緒に家に帰る。この星の事なぞ知ったこっちゃない。
ただ、ゴミが帰って来るまでの間は、地上で正義の味方ゴッコをして遊ぶよ。暇だからね。お前の配下が目の前をうろついて、喧嘩を売らなきゃそっちに被害は無いよ。
ま、その前に怠けてないで、もう少し鍛えろよ。だからいまだに8匹の中で最弱争いをしてるんだろうに」
くすくすと笑いながら少年は立ち上がると、おざなりに手を振り――消えた。
ひとり残されたルーサーは海面を揺蕩いながら、無情に青い空をただ見つめていた。
そしてやがて、彼はケタケタと嗤い始めた。




