028_時間の無駄
■領主邸:オフリー伯爵
「仮面の……魔術師?」
無意識的にその名が口からこぼれる。
私はこの状況を飲み込めずにいた。
いったいなにがどうしてこんな事になった。
私の目の前には全裸の騎士団長と副団長がいる。我が伯爵領の治安を護っている領軍のトップ2名が、なぜ自らの毛むくじゃらの裸体を、胸を張り、誇らしげに晒しているのだ?
しかもふたりとも、股間の一物が準備完了しているじゃないか。何故だ!?
そしてそのふたりの背後に立つ、虎を模したよな兜に見慣れぬ鎧の人物。その表情は伺うことはできないが、口元や顎のラインから女性であると思われる。
虎を模した鎧。私はそれを知っている。先ごろ国から触れが出されたのだ。
王国に巣食う犯罪組織を叩き潰した英雄。それもひとつだけではなく、確認できている限りで3組織。
王都でも被害が広がり始め、治安維持部隊はもとより、警備部隊各部、さらには騎士団までもが動いたのにもかかわらず捕らえることができなかった連中だ。
恐らくは、王家直属の諜報部とやらも動いていたであろうにも。
そんな犯罪組織を、仮面の魔術師と後に称される者がひとりで壊滅させたのだ。
恐ろしいことに中核となる者たち以外を皆殺し、生き残らせた首領や幹部は四肢を斬り落としたうえで適切に治療処置をし、拘束するという狂った所業と聞いている。
おかげで、彼ら犯罪組織に手を貸していた多数の貴族家が取り潰された。
その恩恵は我が家にも来ている。
公国が閉ざされたことで、北方、及び北西にある国家との貿易がより重要視されることとなり、我が領の外れにある村であるここカイマスが中継地として著しく発展した。
だが、王国中央への交易路は複数の領を通ることとなる。当然、そこでは通行料を取られるわけだが、実のところ、我が領……というよりも、カイマスを拠点とする商会に対しては、一部の領において不当な額を取られていた。
その領を預かっていた貴族というのが、仮面の魔術師によって捕らえられた反逆者どもであったのだ。
つまりだ。我が家は彼の御仁に対し個人的な恩があるのだ。
さらにだ。我が妻と娘も、つい先日助けられたばかりなのだ。
その報告を受け、ここカイマスに滞在している可能性が高いことも鑑み、発見した場合は私は丁重に招くよう、そう隊長に命じたハズだ。
それがなぜこんな状況になっておるのだ!?
「あんたがこいつらの元締めかな?」
澄んだ声が響く。だがその声は固く冷たい。どこからどう聞いても敵意しか感じられない。
「……あぁ。私がこの地を治めておるオフリーだ」
ほんとうになにをやらかしたのだ!?
私がその威圧感に堪えられずにいると、彼女は微かに肩を竦めた。
「あぁ、礼を欠いたね。名前は……ケイトリン。まぁ、偽名だが、これまでずっとこれで通していたからね。私について調べるなら、この名前で調べる方が楽だろ。ストローツでもやらかしたし。
で、あんたのいう通り、最近じゃ【仮面の魔術師】で通ってる。王都でさんざんやらかしたこともあって、無駄に知れたようだよ。
さてと。私を殺しに来た理由はなにかな?」
は?
いや、待て待て待て。
なんだ“殺しに来た”というのは!?
「ヘンダ―スン!! 貴様いったいなにをしでかしたのだ!?」
私は騎士隊長を睨みつけた。怒鳴られたヘンダ―スンは全裸の身を縮こまらせている。無駄に存在を主張していた一部もたちまち縮んだ。
「あー。そういうのはいらない。マジなのか茶番なのか知らないが、私にとってはどうでもいい。正直、時間の無駄だ。
状況を説明しようか。昨日、この町に入り、冒険者ギルドに寄った。そこで紹介された宿に泊ったところ、襲撃されてね。殺しに来たのか拉致に来たのかは知らないが、押し入ってきた賊を返り討ちにしたんだよ。そしてそいつらを差し向けたのが、ギルドの連中、だってのを襲撃者どもと宿の主人が教えてくれたのさ。
実に協力的だったよ。ひとり解体するだけでべらべら喋ってくれたからね。時間が掛からず助かった。
あぁ、連中は拘束してあるから、きちんと捕縛するといい。大通りにある“憩いの大鍋”っていう、食堂と勘違いしそうな名前の宿屋だ。
……ま、あんたらも私の敵であるなら、連中を開放するんだろうけどな。
でだ。その件についてギルドで楽しくお話していたら、こいつらが私を逮捕、反抗するなら殺すなんて云うんだよ。酷いと思わないか? 物取り宿を運営している連中に加担するんだ。
もしかしてあんたもギルドと一緒になって、ソロの冒険者や行商人を殺して懐を肥やしているのか? そう疑いたくもなるね。
さて、あんたは真っ当な人間? それともクズ。どっちだい?」
待て待て待て待ってくれ。えらく物騒な単語が聞こえたぞ。解体!? 普通はそんな単語は出てこないだろう!? せいぜい拷問だ!
とにかく、私は犯罪などに一切かかわっていない。考えても見ろ、すぐ隣はあのヘッドリー公爵家の領地なのだ。そんなバカな真似などしてみろ、すぐに露見して私の首が胴と離れてしまうわ!
慌てて弁明しようとしたところ――
「あぁ、ちょっと待ってくれ。真実かどうかの問答も面倒だ。こっちで判断できるようにする」
そういうと彼女は、顔を覆うように右掌を広げ掲げた。
途端、彼女の姿が変わる。
3対の白い翼を持つ天使の姿に。
あぁ、その姿のなんと美しいことか。
その左の眼の金色の瞳はまさに人に非ず神に連なるモノ。
だがその右の眼は――
真っ黒な目の中に浮かぶ深紅の瞳。それはまるで魔に連なるモノのようだ。
「さぁ、話せ。嘘を吐いても無駄だ。神より賜りし我が邪眼。この眼の前では嘘など無駄だぞ」
彼女はその美しい顔を歪めるように笑んだ。
■領主邸:ケイトリン(偽名)/モード:天使サリエル
私は苦虫を噛み潰したように顔を顰め、領主の執務室を後にした。
あぁ、まったくの時間の無駄だった。
邪眼で確認した上での会話だ。そこに嘘が無かったことはしっかりと確認できた。
私を探していた理由は、単純に礼をしたかったということだけだ。それに加え、王国も私を捕まえたがっているようだ。もちろん、罪人としてではない。
王都でやらかしたことに対しての礼ということだが、囲い込もうということだろう。
うん。ケイトリンの姿はここで完全終了にしたほうが良さそうだ。ストローツでリンダリンは死んだ――あぁ、いや、一応、入都記録の名前は適当に書き換えたんだっけ。置いてきた死体も、容姿は確認できないくらい損壊したやつだし。
よし、今後はリンダリンで活動しよう。
新しく作った方も、はやいとこ冒険者証をつくっておかないとな。
足を踏み鳴らすように領主邸を進む。途中、使用人たちがギョっとして後退さっているが、構うものか。
勢いよく扉を開け外へと出る。
時刻は正午過ぎ。ここいらの気候としては少しばかり暑い日差しの下、ばさりと翼を広げて地を蹴る。
そういえば、こうやって空を飛べるようになるのに大分苦労したんだよ。なんどすっ転び、なんど墜落したことか。墜落と云っても1メートルくらいだから致命的なものはなかったけれど。こういう時だけは無駄に慎重な自分を褒めたいところだ。
邸よりもずっと高いところにまで羽ばたいたところで、魔法で姿を消す。
あぁ、もう。本当に時間の無駄だ。
冒険者ギルドへと戻る。2階の部屋へ窓から入り、中央にあるギルドマスターの執務室へと向かう。
ギルドの作りはどこも似たようなものだ。そしてギルマスの執務室は、外部……外から隔離されるように造られている。要は、窓がない。結果として風通しのまったくない暗い部屋となるわけだが、機密保持はしやすい造りとなっている。
いや、機密保持というより、窓から賊が入らないようにするということらしい。まぁ、侵入と脱出に多少の時間が掛かるだろうとは思うが、そこまで有用なのだろうか?
廊下に立ち、魔法を解除して姿を現わす。変身はそのままだから姿は天使だ。
……なんか2階に気配がないな。
執務室と思しき部屋の扉を開く。
うん。ビンゴ。だけれどもぬけの殻。荒れてる感じはしないけど、開きっぱなしの金庫に、執務机の引き出されたままの抽斗。
双方ともに中身は空っぽ。
はぁ。あきらかに逃げられたね、これ。
クソッ。任務もまともに熟せない、あのゴミ騎士どものせいだ。
ギルマスはともかく、あの受付はまだ下で転がってるだろう。
足の腱を斬っておいたんだから、まともに歩けるハズがない。そもそも自力で立つのも無理だろう。
あれ、伸びて張り詰めたゴムみたいなもんだから、切られると縮む……っていうと表現はあれだけど、そのせいでそう簡単にくっつけられないんだ。
手術の際はそれこそ思い切り引き延ばして、強引に縫合するらしいから。
そんな状態になるもんだから、切断された腱はポーションでも治らないんだよね。
ポーションの治癒効果は再生であって、復元じゃないから。
復元効果のある上位の回復術のつかえる神職でもなけりゃ、この世界の医療技術は治すのは不可能だ。
部屋を出、一階事務所へと降りる。
そこではいまも何人か転がっているが、その人数は減っていた。
ふむ。誰かが教会か治癒院へと運んだかな。お、あの受付はまだいるな。意外なことだ。もしかして思っていたほど人望がないのか? 他のふたりは誰かが運び出したんだろう。
受付カウンターにもたれた受付嬢は、階段を降りてきた私をみて目を見開いていた。足の方は……傷は塞がっているな。治療はしたようだ。――あぁ、ポーションのビンが転がってるな。
彼女の前にまで移動し、目線をあわせるべく屈みこんだ
彼女は顔をわずかに引き攣らせていた。
「よぉ、続きをしようか。ギルマスはいなくなっちまったみたいだけど、あんたが喋ってくれればいいや」
「……えっ?」
間の抜けた返事。
「ケイトリンだ。あぁ、この姿だからわからないのか? まぁ、どうでもいい。それじゃ、ギルマスの代わりに洗いざらい吐いて貰おうじゃないか。盗賊どもとつるんでる貴族ってな誰だ?」
立ち上がろうとして立てずすぐに尻餅をつき、ジリリと後退さる彼女。
その顏はいまにも泣き出しそうだ。
そんな彼女に、仮面が造り上げた天使の顔でとびきりの笑顔を作って見せる。
「運がよかったじゃないか。落とされたのは神罰じゃなく、私からの罰だ。だからただ歩けなくなっただけだ。でも次はそうもいかないだろうな。なにせ私に対して神様は――あまりにも過保護なんだ」
そういうと彼女はボロボロと泣き出した。
「おかえりー」
相変わらずぐてっとダレた調子で神様が迎えてくれた。珍しくコタツの上には漆塗りの器に盛られたみかん以外は載っていない。
うん。じつに平和だ。タコ焼きとか餃子とかピザが敷き詰められていないコタツというものは。
受付への尋問の結果はなんの成果も得られず。
あの受付が捨て置かれたのは、もう用済みというところだろう。殺されずにいたのは、本当にただ指示に従っていただけの下っ端だったからだろうか?
一応、貴族に縁付く者であるらしいから、後の面倒事を考えて生かしておいたのかもしれない。根無し草の平民など幾ら殺しても問題ないと考えている、或る意味貴族らしいあの受付の実家は、そこそこ面倒な家柄のようだ。
まぁ、あの受付は出来の悪さから冒険者ギルドへと放り込まれたようだが、結果として私の悪意を買ったんだから、運が悪いとしかいえないね。
監督不行き届きだ。近くに寄った時には嫌がらせのひとつでもしてやろう。
「今回は酷かったねぇ」
「まったくです。完全に時間の無駄でした」
「捜すの?」
「いえ。面倒になったので、もう、このまま海に行きます。多分、お嬢様の件でヘッドリーも動いているでしょうしね。そっちも任せちゃいます。もうケイトリンは店じまいしますし、狙われることもなくなりますからね」
「あらら。ってことは、ヘッドリーとも縁が切れるね」
「あー……ある意味、いい機会になりましたね」
私、下手に情が湧くと、手放したくなくなるからなぁ。あのお嬢様、貴族らしからぬレベルで真っすぐだったからなぁ。私が好感もてる人間だったんだよ。でも貴族で腹芸のひとつもできないのは大丈夫なのかな?
「よし、それじゃ海行こう、海。釣りをするんだ。距離をすっ飛ばして海に繋ぐよ。歩いて行くんだって云っても却下だからね」
うぇっ!?
「僕もいい加減ストレスが溜まってんだ! そうだ、茶々も呼んでやろ。アレ以来まともに話してないし。人間辞めたまんまになってんのを説明しとかないと」
「神様、なにやらかしたんですか……」
「いや、ちょっとうっかりしてね。不老不死のまんまなんだよね。というか、元に戻せなくなっちゃってさぁ。まさか神格を得るなんて想定してないよ……」
いや、本当、なにやらかしたんです?
「そういや、君は覚えていないんだよね。それを考えると、茶々は本当にロクでもない状況に陥ったってわけだな。普通なら途中で魂が腐食して人として壊れてただろうに。……そこらのフォローしなかったのは僕の痛恨のミスだな」
「神様……」
私はじっとりとした目を神様に向けた。ロクでもないことをやらかしたに違いない。
「そ、そんな目で見ないでくれよ」
「ちゃんと、謝りましょうね」
「……はい」
私は変身を解くと、仮面をアイテムボックスに放り込んでコタツへと入った。




