011_情報と襲撃
■Side:Claudia
山などという必要もなくなった書類の束に、私は安堵の息をついた。
ディアドラが来てより10日。有能にして優秀な者が補佐に就くだけで、ここまで仕事が捗るのか。
あらためてディアドラに感謝だ。おまけに僅か1日で魔術師殿を見つけて来るとは。あの兄上の娘とは思えないな。あの有能さは義姉上の血に違いない。
なにせ母上は『あの子は優秀なのに無能だから』と、兄上のことでは嘆いていたからな。それについては私も兄上の事を悪くはいえないのだが。
私も兄上も基本、脳筋だからな。
そんなことを考えながら書類に視線を落とす。
読み込み、そして失望の息を吐き出す。
まったく。いったいいくつ解雇通知書を書き上げればよいのか。
こいつも学園ではまともだったハズだ。それが何故もこうも簡単に腐敗するんだ? 自身の仕事に誇りはないのか? 不正に加担し続けて、露見などしないと思っていたのか?
採用時の身辺調査書を斜め読みしつつ、私は吐きたくなるため息を飲み込んだ。
「……ヘッドリー家も舐められたものだ」
我が家に損害を与えたのだ。報復も覚悟の上だろう。
さぁ、どうしてくれよう。
相当、私も頭が疲れていたのだろう。仕事から逃避し、くだらぬ罰をあれこれ考え始めた時、執務室の扉がノックされた。
入室許可を求めて来たのは、長年私に仕えてくれている執事だ。
「奥様、ディアドラお嬢様が連行してきたふたりの取り調べが終了しました」
「確認するが、人間であったのだな?」
「はい。それは間違いなく。ですが、あのふたりは公国人でした。」
「なに?」
私は眉をひそめた。
公国は【魔】によって滅びたのではないのか? それこそひとり残らず。
「間違いではないのだな?」
「はい。国は存続しています。内戦によりかつて公国は消滅しましたが、現在はマクファーラン家が大公家として、メイガン公国を樹立したとのことです。公王はルーサー。昔、奥様の婚姻相手として名の上がったマクファーラン家の盆暗ですな」
「あれか……。見てくれに中身が伴っていない無能だったな。無駄に口が上手いだけに、始末に負えん輩だと記憶しているが」
「その御仁ですよ、奥様。舌先三寸で人を操るペテン師です。三流のペテン師でございましたな」
疲れた目を揉みほぐす。
「“女神の封印”の向こうはどうなっているんだ? 【魔】が溢れたハズだろう? 封印の直前、【魔】に憑りつかれた人間が何人も国内に侵入したのだ。あの惨劇を私はいまだに昨日の事のように覚えているぞ。我ら近衛までもが駆り出されたのだからな」
「えぇ、ですが【魔】に侵されていない人間が現われたのも事実です。奴らの目論みはお嬢様をあの“封印”の向こうへと連れていくこと、とのことです」
「ディアドラを?」
「はい。何を目的としたのかまでは不明です。ふたりもそれは知らされていなかったようです」
「確証は?」
「薬を使いましたので、嘘はないと思われます。それと“封印”の通過方法ですが、一部が半ば裂けており、そこを通過可能とする技術を持つ者が存在しているようです」
思わず天を仰いだ。
「最悪だ」
「はい。場所は特定できませんが、その場所にもっとも近い町がココであることは確かです」
「確認だが“封印を通過可能な者”が仲介している、ということだな?」
「左様にございます」
……。
不意に、突拍子もないことが頭に浮かんだ。
「スタンリー、魔術師殿であれば知っているであろうか?」
「……あの御仁が【魔】の者に関りがあると?」
「いや、そうではない。“女神の封印”に干渉できる術を知っているか否かだ。我らの知る魔法とは一線を画した魔法を扱う方だ。知っているかもしれないだろう?」
スタンリーが微かに眉根を寄せた。彼が彼女に対し良い感情を持っていないことは分かっている。そしてそれが単なる先入観と偏見から来ていることも。
「当人にお聞きするのがよろしいでしょう」
彼はなんの感情も乗せぬ声で答えた。
★ ☆ ★
「……クロ―ディアさん。端から信用する気もない人に、いちいち話をすることほど無駄なことはないんだけど。
あぁ、お嬢様は簡単な魔法であれば使える用になったよ。本当、噂には聞いていたけど、ヘッドリー家の方々はどれだけ優秀なのさ。自分の凡庸さを思い知らされてるみたいで、嫉妬するしかできないよ」
彼女の機嫌は非常に悪かった。元々彼女はこの屋敷に滞在することを断ったのだ。それを我が家の面子のために無理に頼み、そしてディアドラに魔法の指南をもお願いしたのだ。
それにしても、話に聞いていた“まったく理解しがたい魔法”と云っていたそれを、ディアドラはもう身に着けたというか。
ディアドラの優秀さは知っているが、それ以上に我らにとって未知であるものをこうも早く伝授していることからも、この目の前の彼女が非常に優秀であると知れるというものだ。
「つーか、そこのおっさん。懐の刃物を気にするならもっと上手くやれ。殺気もダダ洩れだ。――殺すぞ」
私から目を離さず、彼女は背後の、扉のすぐわきに控えているスタンリーを脅す言葉を発した。
彼女のいうように、スタンリーは先ほどから臨戦態勢にある。まさに彼女のことを欠片も信用していない証拠だ。
「口の利き方には気を付けるものですな」
「そういうのはどうでもいいから。どうなるかなんて分かってるって。私を馬鹿だと思っているのか? のっぴきならなくなったら、この国を滅ぼすだけだ」
「はは、大言壮語を吐くお嬢さんだ」
「じゃあ質問だ。殺すことの不可能な存在を、どうやって止めるんだ? 私は神様のせいで死ねないんだが」
彼女がいうや、スタンリーの足元に魔法陣が浮かんだ。見たこともない文字の記された魔法陣が。
さらに、パチン! と魔術師殿が指を弾くと、魔法陣の縁から生えだした金属製の爪に、スタンリーの周囲が覆われた。
「鳥かご檻ってヤツだよ。本当なら屋外に吊るしてそこで干乾びてけってやるようなヤツだ」
もう一度指を鳴らす。すると爪の内側から棘が飛び出し、スタンリーの胸を串刺しにした。
「でも私はそんなことはしない。殺すなんてもったいない。それは物理的なモノじゃないから死なないよ。死ぬほど苦しいだろう? 心筋梗塞の苦しみだ。苦しみの程が違う。っつっても、心筋梗塞がなにかしらないか。あぁ、その檻は外部からの干渉を一切受けないから、その苦しみを存分に堪能できるぞ。少なくとも話が終わるまでそうしてやがれ。
で、クロ―ディアさん、用はなにかな? 話があるみたいだけど。あぁ、その話が終わったら、私は出て行かせてもらうから。ここに来てからというもの、こんなことばっかりだ。そんな所にいつまでも居たいとは思わない。これ以上の事故が起こったらそっちも困るだろう? それに10日も居たんだ。もうそっちの面目も立っただろう?」
私は歯軋りしながら、無様に苦しむスタンリーを睨みつけた。
「うちの者が失礼をした。魔術師殿」
「プライドのかけどころを間違えているね。プロフェッショナルじゃないよ。少なくとも、そういった感情は見せつけるものじゃないよ。どこまで傲慢なんだか。天辺はまともなのに、なんで下は思い違いをしているんだか。キツネだって己の分をある程度弁えて虎に遠慮するぞ。そして弁えないキツネは虎に喰われるんだ。
……意外とこの傲慢さはアンドルーと息があうかな? いや、ないか。あの神モドキは単なるナルシストの権化だし」
魔術師殿言葉に、私は目をそばめた。
“神モドキ”?
「魔術師殿、その“神モドキ”とは?」
「あぁ、こっちだと【魔】と呼ばれてるモノ。この世界に侵入した【這いずるモノども】の親玉8体のうちの1体のことだよ。いわゆる“神様のなり損ない”だ。私は相手にする気はないから、そっちで頑張って始末してね。せっかく女神が勇者をふたりこっちの世界に引き込んだんだ。上手く扱うんだね。確か、もう教会が動いてなにかしてるんでしょ?」
勇者? ふたり? なんのことだ?
「あー。まだ教会は秘匿しているのかな。神託が聖女とやらに降ってるハズなんだけど。神様が情報公開の許可が出したから、私もこんだけ口が軽くなってんだけどね。
勇者っていうのは【這いずるモノども】を滅するために女神が別世界から召喚し、転生させたふたり組。もうじき6歳になるんじゃないかな。どこにいるのか知らないけど」
そういえば、暫く前に教会が騒がしかったな。確か、第7聖女が放浪を始めたのもその頃、5年前だ。
「それで、話ってなにかな?」
「“女神の封印”に関してなにか情報はないだろうか? ディアドラから【魔】が封印から出てきていると聞き、いろいろと調べているのだ」
「あー。あの雑な結界ね。つーか、この世界の女神は本当にやる気が欠片もないんだな。まぁ、成り上がりの女神らしいし、そんなものなのかねぇ。
あぁ、その結界。“女神の封印”なんて大層な呼び名の結界だけれど、実際の所は完璧なんて代物からはほど遠くてね。そこかしこに綻びがあるんだよ。連中はそのうちのひとつを通って来たんじゃないかな。その裂け目は“空間操作”に多少の才能があれば、簡単に通り抜けられるから。目についた綻びは私が補修したんだけれど、まだ見落としがあったみたいだね」
魔術師殿が肩を竦める。
私は顔を強張らせるしかできない。背筋を冷たいものが走る。
魔術師殿はいまなんといった?
やる気のない女神? 雑な結界……結界は封印のことだろう。そしてそれを補修した? 女神の奇跡を魔術師殿が!?
「あの……魔術師殿?」
「あー、さすがに聞き逃さないよねぇ。まぁ、わざと口を滑らせてみたんだけど」
ニヤリと魔術師殿が笑う。
「ちょっと確認するから待ってねー」
そういって右手で片耳を塞ぎ、魔術師殿が暫し目を瞑る。
「うん。私以外のことは許可が出たから話すよ。多分、教会辺りは激怒するかな?」
そして魔術師殿は驚くべきことを話した。
神が代替わりをしていたこと。新たな神が【魔】に対抗する為に、別の神の世界から勇者を勝手に呼び寄せた事。そして新たな神はそれに満足し、この世界を離れ遊び惚けていること。
それだけでももう私の手に余る話だ。教会が狂乱する内容だ。そして――
公国には【復讐】【支配】【悲嘆】【貪食】【高慢】【慈愛】【守護】【増殖】の8体の強大な【魔】……魔術師殿曰く【神のなり損ない】、即ち“神モドキ”が存在し、それが他の【魔】を従えているそうだ。そして現在、【支配】が世界を手中に収めようと、結界の外へと手を伸ばし始めたということ。
「連中は人に憑りつき、喰らい、同化し人間社会にとけ込む。喰われても生前の記憶もそのままに、まったく別の生き物に成り代わる。見つけ出すのは厳しいぞ。
実際、お嬢様はマウラとかいうメイドの中身が“入れ替わってる”ことに欠片も気付かなかったわけだしね。あのメイドは王都で喰われ入れ替わられたみたいだし。はてさて、【支配】の配下はどこまで王国に浸透しているんだろうね。
ま、憑りつかれた人間によっては、まったくの無害だったりすることもあるんだけれど、それは本当に例外中の例外かな」
は……はは。うそだろう? ということはだ、昨日は隣人だった人間が、今日は【魔】なっているということか? 普通に喋っていても、一切の違和感もないと?
「……そんなもの、どうやって判別すれば良いのだ?」
「さぁ? 連中が活動を開始するのを待つしかないのでは? 現状、外に出ているのは【支配】の配下の【這いずるモノども】のみだ。【支配】の指令があればそれにそって動き出す。お嬢様もその一環で攫われたわけだし。【支配】はこちらの立場あるモノを掠め取りたいんじゃないかな。支配を容易にするために」
背筋が凍る。
ディアドラが【魔】に取って代わられようものなら、ヘッドリー公爵家は完全に乗っ取られたようなものだ。
「貴様……そこまで、知っておきながら……何故なにも……」
スタンリーが苦し気に声を絞り出す。
それを聞きながら、魔術師殿は呆れた顔をして肩を竦めて見せた。
「そりゃ私は無関係だもの。【這いずるモノども】を相手にしているのも、神様の遊びの付き合いだし。のっぴきならなくなったら、元の世界に帰るよ。私は女神にこの世界に引きずり込まれた部外者で、ただの被害者だからね」
トントントントン。
ノックが響く。だが、その主は何者であるのか、何用であるのかなにも云わない。
私は眉をひそめた。
「誰だ?」
目の前に立っていた魔術師殿が脇に一歩退ける。おかげで正面の扉が良く見える。
扉が開き、そこに立っていたのは見覚えのないメイド。
栗色の髪の――
急に魔術師殿が執務机に手をついて私に飛び掛かって来た。
メイドがこちらに手を向け――あれは魔法か!?
「開け!」
魔術師殿に抱き着かれる。魔術師殿の声が聞こえた。
そして視界は真っ赤に染まり、直後、目を塞がれ真っ暗になった。




