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お化け 

作者: 麻田陽次郎

梅田行きの御堂筋線に乗り、人混みを眺める。誰もがスマホを見ている。スマホをいじっている人達は皆同じに見えるが、誰1人同じことをしている人はいない。2人位、本を読んでいる人がいる。1人の『中国の総体的文化』という表紙を盗み見る。スマホからつながる電子世界は一つだと思う。巨大な一つの世界の僅かな片一方を手に取り、楽しんでいる。本の世界はそれぞれ小さな一つずつなのではないかと思う。一つの小さな世界の中でくるくる回っている。  


 それぞれの人は肩がぶつかる位に近い。近いけど他人だ。みんながみんな、それぞれの世界に入り込もうとする。ここで隣のおじさんに殴り掛かったなら、おじさんの入り込もうとしていた世界はどうなるのだろう。こちら側の普段、顔見知りとする世間話が繰り広げられる日常と混ざり合うのかな。殴り掛かりたいし、殴り掛かられたい。そんなことを考えて梅田に着いて、降りた。  


 梅田の街を散策する。どこもかしこも人工物の匂いしかしない。香水、シャンプー、たばこ、排ガス、油、ここには浄化するものがない。ここに来はじめて少し感じた呼吸のしにくさは、浄化するものがない故の予めな清潔感かもしれない。ドン・キホーテという、名前は聞いたことがあったが入ったことのない店の前に立つ。そういえば、と思いいざなわれる様に中へ入る。へたり切った枕を買い替えなくちゃと、そう思う。買ってから、なかなかに大荷物だと気付く。


  近くのカレー屋へ行き、腹を満たす。帰り際、店員に声をかけられる。 「お客さん、忘れ物」 買ったばかりの枕をあやうく忘れるところだった。 帰りの電車に乗る。 最近、ぼんやりとしてばかりだ。 何が大事なのかを考えたり、人に問われたりし過ぎて何もかもがどうでもいいように思える。ついさっき買った枕でさえだ。

 

 先日、アメリカ村へ服を買いに行った。服を眺めていくうちに、何を着てもどうでもいい気になってしまう。着る前に、その服を捨て去ることを考えてしまう。ゆくゆくは捨てるもの、無くなってしまうもの、ということを考えるとなんでこんなものに心惑わされるのだろうと思い、パッと見て面白いと思ったTシャツを買った。買った後にそのTシャツを見て、何を面白いと思って買ったのかが分からなかった。 気づくとアパートに着いていた。 疲れ果て、ベットへ横になる。 乱雑に制服を脱ぎ、そのまま床に放る。寝返りをうつ。 そういえば、買ってきた枕をと思い、箱から取り出す。 ビニールがついたまま、頭の下に置く。 あぁやっぱりへたっていたんだな、と思う。


 2週間前、ボランティアで子どもと触れ合い、そこで子どもと一緒に絵を描いたことがある。人の絵である。なんの気なしに描いたその絵を子どもが見て「お化けみたい」と言った。確かにお化けみたいだ。改めて手に取り、右に左に見てもそうとしか思えない。何故かアパートに帰ってから、泣いた。


 いつ頃か、自分のことを移動する意識体のようなものだと思い始めた。何かに影響は受けるけれども、何かに物理的に決定的に影響を与えることはない。発言をしても、それは宙を舞うばかりで誰の心にも突き刺さらない。いずれみんな消え去る。そんなことを考えると自分は、それこそお化けのようなものではないかと思うようになった。体はある、意思もある、眠りもするし、食欲も性欲もある。しかし実体や本質はとっくに失われていて、社会や人の間をすり抜けていく亡霊なのではないか。そうなると他者との交流の中で生きていることは殆どなく、かといってどこか死んでいるからこれ以上死ぬこともない、そんな気分に支配されている。多分、ゾンビっていうのもそうした比喩なのだろう。なら実際にいる、お化けやゾンビが安心していれる場所ってどこだろう。



 朝が来て、シャワーを浴び、脱ぎ散らかした制服に皺を伸ばすスプレーを吹きかけ、ハンガーにかけ、そのハンガーを衣類パイプにかける。隣にある白シャツともう一つの制服を着る。ざらついた化学繊維でできた鞄に今日のテキストを詰め込み、水を飲んで高校へ行く。


 国道を曲がった路地のコンビニで同じ制服を着た3人組を見かける。 高田と絹川と後藤だ。高田は3人の中で最も背が高く176cmはあるだろうか、ハンドボールをしているらしい。角ばった顔と大きな目をしている。絹川は自分と同じくらいの背丈で160cm位で、オタク系の趣味、とはいえ昨今ではよくいう趣味の細分化を考慮すれば括りが大雑把だが、ライトノベルに詳しい。目は切れ長で、手足が細く長い。後藤は170cm程で丸顔で小太りである。いつも笑いながら2人の話を聞いている。後藤を見るたび思うが、高田と絹川の話をこいつは本当は聞いていないのではないか。笑っていればなんとかなると思っている節があり、実際なんとかなってきた様で羨ましくもある。


  この道が校舎へ向かう最短ルートなので、3人に近づく。3人は僕のクラスの右前方2メートル程のところに固まっているので挨拶をしないのも気が引ける。 「おはよう」と一応挨拶する。 高田と絹川が「おぉ」か「あぁ」か分からない、曖昧な返事をする。 そのまま校舎へ向かう。



 僕と高田と絹川と後藤は「生ける屍の会」を毎週水曜日に開いている。発起人は後藤である。クラスで話している内に笑い話で絹川が、俺らって最早どっか死んでるよな、と言ってそれはそれで面白いよな、生きてても死んでてもどっちでもいいし、どちらにもなれるんだからと高田が言った。死んでるってつまりどういうことだよと僕が言った。誰も答えられない。なら来週の水曜は部活が休みだから放課後、空いている教室で適当に話そうということになった。変な話し合いにはなるのだろうなという期待感はあった。それで今日。まず会の名前をどうするかということになった。何かかっこいい名前がいいということで色々と意見が出た。ゾンビ研究会、塵ゴミ収集隊、文化人類学的生死を研究する奴ら、馬の骨、生ける屍の会、グレーな人々、と色々案が出たが、一番中2っぽい「生ける屍の会」に決まった。


 科学室が今日の「生ける屍の会」の会場である。

僕:それで、今日のテーマはどうする?


高田:やっぱり本質的に生きるってことでどう?改めて言うとこっぱずかしいけど。


絹川:まぁそれをある程度定義づけないと始まらないしね。あ、さっきのしねは死ねと関係ないよ。


後藤:それでいいと思う(笑)


僕:じゃあ「生きる」ってことで(黒板に書きだす)。「生きる」とは、いやーこういうことやってるとさ、なんか青春って感じじゃね(笑)。


絹川:茶化すなよ。まぁ茶化してもいいけど、それなりのこと言えよ。


僕:わかったよ。でも気持ちはわかるだろ。生きている以上、「生きる」ことを考えるのは重要なことにも拘わらず、そこは各々の内面の問題だろ、手段は教えるけど後は勝手に考えなよっていうのが学校じゃね。重要なことを棚上げしてるってことはどこか恥ずかしいからだと思うんだよね。


高田:確かに。部活の連中にそれを話そうとすると、変に気を遣われたり、何かそんなギャグ最近流行ってんの?って茶化されるだろうな。茶化したい気持ちはやっぱあるよ。


僕:逆に言えばさ、茶化さなきゃいけない何かがあるってことじゃない。


絹川:それは、まぁつまり死ぬってことだろ。ギャグでもなきゃ、今の飢え死にすることも戦争で死ぬこともない今の日本で死ぬ、とか死ねとか、実際に起きえない状況だから比喩化してギャグ化するよね。


後藤:僕もそう思う(笑)


絹川:それで死ぬこととは何か、とか話すと飯がまずくなるから、やっぱギャグでしか使えないよね。


僕:じゃあ一旦、「生きる」ていうことは「死ぬ」の対立概念で茶化したくなる位、切実なものってことでまずはいいかな。


高田:良くね。 絹川:異議なし。


後藤:それでいいんじゃないかな。


高田:いや、ちょっと待って。    いや、いい。


僕:何だよ。言えよ。


高田:いや、概ねは賛成だけど、部分的に違和感があるんだよ。だから、まず「生きる」の反対で「死ぬ」、これはいいと思う。


絹川:ハーイ


高田:おれ部活でハンドボールやってんじゃん、皆知ってると思うけど。でさ、そん時にたまにいいプレーが出来て、俺って最高じゃん、マジ天才って位いいプレーが出来たときに「生きてる」って思えるんだよね。これって「死ぬ」の反対とは違う気がすんだよね。


後藤:確かに。そうだね。


高田:でさ、逆に俺のミスで試合の流れが悪くなったりすると「今日の俺、マジで死んでる」とか思うんだよ。なんかそう考えると、逆っちゃ逆なんだけど、プレーの出来不出来っていうか、プレーに関することで言えば同じじゃん。


絹川:それは考える次元にもよると思うけどね。生物的、物質的に言えば2つは逆だけど、実感としては同じってことでしょ。


高田:そうそう。でさ、シルクも言ってたけど俺ら割と平和じゃん。シリアとかイスラム国とか、そんな実際の「死ぬ」ってこと考えるのはあんま意味ないと思うんだよね。本当に死にそうになったら、なんとか直観で生き延びようとするだろうし。


僕:じゃあ今回は「生きる」っていうことが、そもそも厳密に考える必要もないと思うんだけど、俺ら学者じゃないし。「生きる」っていう、もしくは「生きてる」って感覚ね。これをもうちょっとマシに説明できれば良くね。


後藤:僕もそう思う(笑)


絹川:なぁ、俺は別にいいんだけど、お前、そこで笑うの気持ち悪いぜ。


後藤:ごめん(笑)


絹川:ざっけんなよーコイツ


僕:じゃこれでいいかな。感覚としての「生きる」、「生きてる」ね。


高田:そういえばゴッスー、お前、彼女できたらしーじゃん。


僕、絹川:マジ


後藤:ごめん(笑)


絹川:なぁ、もう、せめてその笑い方はここだけにしてくれ。


僕:会話はひたすら受け身のクセに、それなりに手は早いんだな。


後藤:いや、向うからかな(笑) 明らかに気があるって分かったから。そうなると相手のいいとこばかっり見えちゃって、それで告白して、と。


絹川:あーハイ。あーハイ。で、多分だよ、彼女が出来たら楽しいもんだろ。さっきのたっちゃんみたいにさ、「生きてる」って思うことあるだろ。ちょっとその前に、彼女って俺ら知ってる人?


後藤:いや、塾で2か月前位に知り合った人。たっちゃんは知ってるけど、二人は知らないと思うよ。


僕:で、どうなのよ。


後藤:毎日「生きてる」ね(笑)


僕、絹川:爆笑


高田:名言でましたー(苦笑)


僕:やっぱり「生きる」とか「生きてる」使うと笑ちゃうよな。で、最近はどーいう時に、彼女といてそう思うわけ。


後藤:いや普通に話しているときかな。そもそも彼女の話、面白いし。でも悪口が多いから、時々上手く笑えない時があるんですよ。ただ、その微妙な苦しさも「生きてる」って感じで良かったりして(笑)


高田:うん、相手の味方になりつつも前向きなことを言えるか、微妙な頃だな。


絹川:おい、お前ら大人の階段を着々と登るなよ。


僕:見苦しいぜ。


絹川:うるさい!ここで株を上げても仕方ないだろ。


僕:そういうのは普段の行いから出るもんだろ。


絹川:うるさい!もう死ね!


僕:はいー   でもゴッスーいいこと言う。楽しさ、時に苦しさも「生きてる」って感じさせるってことだよな。


後藤:そうだね(笑)


僕:ここで整理すると「生きる」「生きてる」ってことは体感で、楽しい時や嬉しい時といった快を感じた時に感じて、時によっては不快を感じた時にも感じる。とそういうことだろ。


高田:主に快の時だよな。


後藤:うん(笑)


絹川:なら、そう聞きたいんだけど、ゴッスーの場合はその後の快ありきでの、言ってみれば引き立て役としての不快だろ。不快がずっと続いたら「生きてる」って思えるのかよ。


後藤:いずれ快があると信じればいいんじゃないかな(笑)


絹川:コイツ  まぁそこまで前向きなのは羨ましいよ。


高田:でも不快が更なる不快に繋がってるって分かり切ってしまったら「生きてる」とは思えない。


僕:何となく、思ったんだけど、死って実際のところではもう生命活動を終えてる訳じゃん。終わってるって意味で死と止って同じで、不快が続くってことはその行き着く先は死で、終わりで、止な訳で、終わりが見えちゃうと死の方向に向かってくから、やっぱり「生きてる」っていう実感は得られないんじゃないかな。


高田:あ、それなら、おれがハンドで「死んだ」って思う時って試合での負けが頭によぎった時に出る。


絹川:それはある。ラノベとかゲームとかで勝ちが見えなくなった時、「死んだ」って思う。


僕:となるとどのスパンや段階を終わりにするかで「生きてる」か「死んだ」の実感が変わってくるよな。


高田:この試合では「死んだ」がゆくゆく中体連の地方大会があるから、そこに向かっては有意義だし、「生きてる」って思えるかもってことかな。


絹川:それってどうなんだ。直観では「死んだ」って思ったんだろ。後々言葉で裏付けて「生きてる」ってことにすると体感から外れないか。


高田:それもそうだな。


絹川:「生きてる」ってのは体感だろ。体感って何かに触れて熱いとか、冷たいとか考えるもんでもない、直観、最初の印象、ていうか感覚っていうかだろ。


僕:いや待て。それを言い出すと言葉で説明しようとすること自体に無理が出てこないか。


絹川:まぁ無理はあるだろう。ただ、無駄ではないだろう。現に彼女がいないゴッスーと彼女がいるゴッスーが俺には別人に見えるし、つまり人は変わるんだよ。俺自身、1年前と同じ物の考え方をしているかって聞かれたら微妙だし。そうなると「生きてる」って体感自体も変わるだろ。変わるものを説明しようとしても無理なんだよ。


高田:でも無駄じゃないんだろ。


絹川:無駄じゃないだろうね。多分、予防接種みたいなものだろ。無知故の危険を避ける為っていうか。例えば言葉でとらえきれない、不確定な何物かが突然ぶつかってこようとした場合と、トラックが突然ぶつかってこようとした場合と。トラックだ!って瞬時に分かったなら分からない場合より、よっぽど安全に対応できるだろ。両方危険なことには危険だろうけど。


僕:なら「生きてる」っていうことは、いずれそれを考えなかった場合の危険に出くわす可能性が高い事柄で、よってその危険について知っておこうということかな。


絹川:俺らには出くわす可能性が高いだろな。「生ける屍の会」だぜ。意識してしまっている段階で出くわす可能性は高まっているし、既に出くわしちまっている気さえする。


後藤:えっと、うん(笑)


高田:これでまた一つだな。「生きてる」「生きる」は変化し、変化するから説明は無理がある。無理はあるが、説明をしようとすることは将来的に有益だと。


僕:よかった。根本的にこの会が必要ないっていうことではないみたいで。 それで「生きてる」は体感であり直観であり、快自体または快への中間地点であり、そうするとどの段階での快にいるのか、または目指すのかによって感じられるか否かが決まる。しかしその快を認識するのは言葉ではない。言葉は体感ではないから。


絹川:いや、自分で言っておいてなんだがそうでもない気がしてきた。


僕:なんだよ。


絹川:いや、ごめんって。その、そうすると快というのは全て体感の領域になる。ただそんなこともないだろう。明日は旅行だと、うきうきしているのも快だろうし、それって頭の中で色々想像したり、言葉を紡いだりしている状態だよな。


高田:確かに。


絹川:となると快を認識するのは言葉ではないってことも矛盾する。そもそも言ってることがおかしくないか。快って言ってる時点で言葉だし。仮に快と名付けられる前の純粋快があるとする。純粋快が快とカテゴライズされてしまえば、その純粋快は元々の純粋快の性質から変質して快の性質の影響をうけるだろう。訳も分からず蝶が羽ばたいている情景を見て笑う、これを純粋快とする。あれは蝶で飛んでいてパタパタ羽が動いていて面白い、これを快とする。そうすると2つの楽しみの質は違っているはずだ。


高田:まぁそうだけど。


絹川:そのような変質と同様に、不快、仮に不快と名付けられる前の純粋不快を快へカテゴライズすることで不快、純粋不快が変質することだってある。長々と述べてきたが、言おうとしているのは快というのはそれを感じている瞬間は体感の領域だが、快を形づくる前段階では言葉も相当に作用しているということだ。


後藤:もう、こんな感じでよくない(笑)


僕:そうだね、いいと思う。いや、シルクの言うことは分かるよ。だからこそね。これ以上深めると関係することがらを主役級に考える必要性が出てきそうだからね。


高田:でも、大分分かったんじゃないか、希望があれば、希望を作れれば「生きてる」って感じられるって思ってけばいいんだろ。


絹川:あっさりまとめるなよ。リア充。


高田:ハハ。クーはリア充じゃなくても頭ん中は言葉で充実してるだろ(笑)


僕:言葉や概念で氾濫してるよね(笑)おれは面白いからいいけど。ロゴスばかりの ロゴ充じゃね(笑)


絹川:お前らだって同じ穴のムジナだろ(笑)


 科学室を出て、校庭を眺める。戯れにサッカーをしている生徒が7,8人見える。誰かが転んで笑い声が起きる。つまずきそうな所も、進路を邪魔する相手もいないのに急に転んだからだ。校庭の真ん中で、原因不明の転倒を行い、本人もヘラヘラ笑っている。ヘラヘラ?この距離なら表情なんて見えるはずもないのに。


 帰りがけに通る商店街で、さっき話したことを思い出す。希望があれば「生きてる」という体感が得られる。この商店街で働いているおじさんやおばさん、子どもを連れているお母さん、騒いでいる小学生、彼らにそれぞれの希望があるのだろう。多分。ここで僕がテレビの真似事をしてアンケートを取るとする。あなたは「生きてる」と思いますか、「生きたい」と思いますか。即答できる人がどの位いるのだろう。そこで質問を変えてあなたは「死にたい」と思いますか、と聞いたなら大多数の人が「いいえ」と答えるだろう。「生きたい」とは思いにくくても「死にたくない」とは思えるはずだ。そうなると生きると死ぬということが簡単な反対の関係にはない気がしてくる。赤ん坊が泣き叫ぶのも、あれは「生きてる」ということを表現しているのではなく「死んでいない」止まっていない、これからも止まるつもりはないという表現ではないか。 ふと2年前のスキー合宿のことを思い出す。天候が悪いなか、スキーの練習は決行された。みぞれが顔に吹き付け、視界が悪く、手で顔を隠しながらみんなは滑っていた。僕もそのように滑っていたら転倒し、右すねを骨折していた。空を見上げるよりも早く激痛のあまりに叫んでいた。あの時の叫びは、赤ん坊の泣き声と近かったのだと思う。


 たまに死んでしまいたいと思う。そんな現状から振り返ればあの時、叫び声すらあげず、そのまま死んでいたならと思う。誰にも知られず、夜になり、みぞれが雪へ変わり体を覆い隠してくれるのを待てていれば。しかし痛みが、それは身体と言い換えてもいいのだろう、叫びをあげさせていた。もちろん考えてのことではない。 痛み、死の世界から生の世界へ有無を言わさず引っ張り上げる軍人の様だ。しかしそれに感謝することはない。こちらの言い分を全く無視するのだから。


1週間経って、僕は科学室へいた。

前回、来週にも会を開くということは決めてはいなかったが自然とここへ来ていた。科学室の扉が開く。クーだ。


僕:お前も物好きだよな。


絹川:まぁ暇なんだよ。暇なことを悪いとは思わないけどね。

また扉が開く。ゴッスが笑いながら入ってくる。


僕:うぃーっす


絹川:ちわ


後藤:あぁどうもー(笑)

また扉が開き、視線を送る。誰もいない、と思っていたら高田が入ってくる。

絹川:変な間を取るなよ。


高田:うわ、全員いるじゃん。誰が来たのかドキドキさせようとしたのに。


後藤:僕はドキドキしたけど(笑)


僕:俺ら以外、来るわけねーだろ。

黒板に向かう。前回は話の内容を頭に溜め込みながらだったので、あまりうまく話せていなかった気がしたので、今回は要所、要所を書いていくつもりである。黒板の右上に殴り書きで、「生ける屍の会 vol.2」と書く。


絹川:vol.2って生きてんのか、死んでんのかはっきりしてくれよ。


高田:どっちでもよくね、名前だし。


僕:それではですね、今日のテーマは、死ぬことです。


高田:丁寧に言葉を区切るな(笑)


後藤:いや、いいと思う(笑)


僕:前回は「生きてる」という体感の話だったけれども、その反対だよね。だから裏面から前回の内容を補強、説明していくってことになる。


絹川:まぁ、おおよそ反対ってことだろ。前も言ったけど次元を変えれば似たようなことにもなりそうだし。どちらにせよ、「死んでる」というのを現象では話せないだろうから、それの印象というか、これも体感だよね。どんなことに対して「死んでる」と思うか。


僕:何だろな。


高田:担任の添島。


僕:死んでる(笑)


絹川:教頭の高頭。


僕:死んでる(笑)


高田:祖父、竜也。


僕:死んでる。  え、マジ?


高田:うん。生物的に。


絹川:いつ?


高田:えっと、2012年の5月。


僕:それ、この流れで笑えるのお前だけだぞ。他のやつには、なんていうか、そもそも資格がない。


高田:いや、すまん(笑)


僕:悪いやつだな。


絹川:人のこと死んでる、死んでるって笑いながら決めつけてるやつが言うなよ。


僕:あのテンポで言わせといてそりゃないよ。


絹川:でも添島にせよ、高頭にしてもあんまり楽しそうじゃないっていうか、時々マジで表情死んでるよな。


高田:よくあんなおじさんの顔、見てるもんだよな。


絹川:お前、人の目を見て話を聞けって教わんなかったのかよ。


高田:でもさ。


絹川:でももへちまもないだろ。ゴッスーは見てるだろ。


後藤:見てないです(笑)


絹川:まぁ、   いいけど。


僕:じゃあ「死んでる」イコール、活き活きしていない、つまらなそう、何考えてるかわからない。添島さんも高頭さんもずっとじゃないけどね。でも、正直あの2人、疲れてるよね。


高田:マジで疲れてる。添島、あいつ大丈夫かな。自習しとくから1週間位休んで欲しい。もう少し気力が出てきてから働いて欲しい。


僕:高田いいやつ!


絹川:高田いいやつ!


高田:(笑)人の疲れた顔見たくないってだけでね。 で、だいたい大人ってどこか表情死んでるんだよね。言い方難しいんだけど、ていうか年齢的なことなのかな、しょうがないかもしれないけど瑞々しさがないんだよね。遊んでる小学生は表情死んでない。まれにいるけど、逆に表情死んでる小学生は凄い。


後藤:そうだね(笑)


僕:人間が農耕を始める前の、狩猟採集を行っていたころの平均寿命が23位だったかな。とりあえず30になったら長生きした部類だったらしい。となると20代半ばから先は肉体的に死んでいってると言ってもいい。


絹川:じゃあ大学生って卒業してる段階で、これから社会に出るぞ!って時にもう肉体的に死に始めるって切なくない。


高田:その話聞くと、見た目にシビアな女子が恋愛に莫大なエネルギーを注いでるのも分かる気がするな。じゃ、20半ば過ぎの人が表情死んでいくのはある程度仕方ないかな。


絹川:いや待て、人間のDNAとかがそんな数万年で変化するとも思えないが、狩猟採集の頃と現代で比較するのは早計じゃないか。犬の品種改良みたいに、人類の環境における変化と人類自体の変化もあるだろう。


僕:なら、もう感覚でいいだろ。何歳位からおじさんだと思う?おれは35。


後藤:32(笑)。


高田:30。


絹川:38。


僕:じゃあ34でいいか。そこから先の人間で、見た目から死んでる、死んでないって言うのは、まず体が死に始めている、つまり老化し始めていることだからあまり意味がない。


高田:でも、いや、どうかな、表情って微妙じゃない。それは皮膚とか皺とかシミとか、色々関係すると思うけどさ、何を思ってその表情になったのか、その表情によって表されたもの、感情の方が表情に関係するんじゃないの。


僕:どうだよ、ゴッスー。


後藤:え、僕?


僕:そうだよ。今日、32、位しか言ってないだろ。


後藤:そうですねー(笑) 表情って自分で思っているのと相手に伝わっているのと違うんじゃないかな。だから相手の表情にもよるけど、それをどう思うかはこちらの問題だから んー(笑)今回は年齢で区切っちゃっていいんじゃないかな。


僕:いいんじゃないかな。


絹川:キリがなさそうだから、いいと思う。


高田:この場では、そういうことで。


僕:ていうか「生きてる」の話より、「死んでる」の話の方が具体的な話がポンポン出るもんだね。


絹川:老い、とか病、っていう現象が割と分かりやすいからじゃないかな。その延長上で「死んでる」っていうのが分かりやすくて話しやすいんだと思う。


高田:だからか!俺ら「生きろ」て言うことは滅多になくても「死ね」とか「死ぬ」は割と言うよな。「生きる」より「死ぬ」の方が分かりやすいよな。


僕:それに変化がある。一応、物質的には、生物的には「生きている」訳で、「生きている」ものに「生きろ」っていうのは、それはそうだけどって気になるけど「死ね」って言うと「生きている」ものに、そうなるなって言うことになるから、それなりに言う意味とか面白味がでてくるよな。


絹川:ゴッスーは毎日「生きてる」んだよな。


後藤:毎日「生きてる」ね(笑)


僕、高田、絹川:(笑)


僕:彼女にさ、「死ね」って言われたらどうすんの?


後藤:それは、嬉しいですね(笑)


絹川:なんで(笑)


後藤:その位打ち解けたなぁって思えるから(笑)


高田:俺毎回言われるぜ。


後藤:羨ましい(笑)


高田:んで俺が言うとあっちが微妙に凹むから、俺からは言えない。不平等(笑)。例えだってあっちも分かってるんだけど、絵的にきつくなるよね。


僕:彼女、口悪いね。


高田:それは俺以外言っちゃダメなやつ。


絹川:うっぜーー。


高田:いやホントホント。あいつ人当り凄くいいから。その分、俺への当りが強いってだけで。俺だってそうだし。


僕:まぁ。うん。で、戻るけど、どうせ現状「生きていて」、どうせ「死ぬ」訳で、「生きている」時に「死ぬ」こと考えるのもいかがなもんかだよな。前シルクが無理はあるけど無駄じゃないってこと言ってたけど、変な話、「死ん」でから「死ぬ」こと考えた方がいいよな。矛盾してるけど、今「生きてる」訳で、大体の人はいかに「生きる」かを考えて行動してる訳で。だったら「死ん」でからいかに「死ぬ」か考えた方がマシな気がするんだよね。


絹川:理屈はあってる気がするが、違和感半端ない。「死んだ」らもう終わりだよね。


僕:うーん、生物的には間違いなくそうなんだけど。あ、そう体感としての「死ぬ」ね。どういう時に「死ぬ」「死んだ」って思う?


後藤:落ち込んだ時(笑)


絹川:落ち込んだ時、って言う時まで笑うなよ。そうだな、絶望した時。


高田:疲れ切った時。試合で負けた時。


僕:もう既に終わり切った時。変化がない時。


高田:で、いかに「死ぬ」かだけど、えーっとスギ的にはどういうこと。


僕:なんていうかな、さっきの状況だったら、どうなっているのが望ましいかってことね。俺はぼーっとする。「死ぬ」のに飽きるまで、その状況がどうでもいいやと思えるまでぼーっとする。


絹川:俺は公園にいく。そしてそこでぼーっとする。


高田:お前らジジィみてーだな。


後藤:僕もぼーっとします。


高田:え、ゴッスも?ジジィの集まりだな。俺は「生きてる」人間に会うね。んで食いたいもの親に頼んで、食うだけ食って、ゲームして寝る。


僕:あれ、これって凹んだ時の対処法じゃね。フツーじゃん。


高田:フツーのどこが悪い。


僕:いやいいんだけど。何か予想してたのと違うなぁと思って。


絹川:高校生に高尚さを求めるなよ。


僕:いや、違うけど、なんかさ、こう、「生きてる」の時みたいにいまいち話が積み重ならない気がしてさ。


高田:まとめたの見ようぜ。

これまで書いたものはどれもこれも酷い殴り書きである。僕しか読めない。もし誰かがここに来て、この黒板を見た時に変な勘繰りや気遣いをして欲しくないからだ。


僕:体感としての「死ぬ」  疲れた時、負けた時、終わった時、変化がない時等 つまりネガティブだったり無だったりする時に起きる    

表情や相手の状況として「死んでいる」   34以上の年齢の人間は老化が始まっているから、言い換えると死に始めているから、相手の印象から「死んでいる」と今回は考えない。


高田:これでいいんじゃないか。むしろ「生きてる」の話よりもまとまっていていいと思うぞ。


絹川:そうだな、付け加えるとするなら、ネガティブだったり無だったりを感じる時って割合あるもので、その程度が問題じゃないか。


後藤:クーちゃんいいこと言う(笑)


僕:ただ単に疲れた、負けたじゃなくて、再起不能なまでに疲れた、負けたっていう、極端さがあるか、ないかだよね。


高田:それも人による。


僕:それもそうで、主観だよね。思い込みの強さ。あ、でも相手にも確実にそうだとわかる位強くないとダメだよね。ちょっとやそっとの指摘じゃ揺るがない位の。


絹川:自他ともに認める「死んでる」(笑)


高田:いや、でも本当に、生物的に死んだ時に「死にました」って誰かが言わなきゃ「死んだ」ことにはならないだろ。承認は必要だよな。


僕:なら付け足すと「死ぬ」は自他ともに承認できる程の極端なネガティブ、または虚無な体感    ということでいいかな。


後藤:いいと思う(笑)


絹川:いいっしょ


高田:はい、おしまーい


僕:なんか34歳以下の「死ん」でる状況について放置してるけど、これでいいでしょ。



科学室の人体標本を見る。体は複雑な、かつ無駄のないものの集合体だと思う。ついさっき「死ぬ」ということをベラベラと喋っていたが、膨大な細胞の集合体がこの体になることを考えればただの言葉遊びのようにも思える。なんでこんなことを考えるのか、考えさせられるのか。社会やこの国が行き着くところまで来てしまったその余波ではないか。生きることが当然になった、いかに生きるかしか考えなくなった。そしていかに生きるかを考えに考えに考え尽くして、あとは死ぬことを考えるという遊びしか残っていない。いざとなれば、1つ1つの細胞が、器官が1分の隙もない的確な決断を示してくれるのだろう。ただその声が、様々なものにかき消されている。メディア、学校、会社、他人、ただそれを悪いことではないとも思う。


人類は進化している。それは間違いない。ずっと洞窟の中にいる訳でもなければ、食う為だけの暮らしをしているわけでもない。さっきの能天気なお喋りだってできている。しかしどこか上っ面なことしか話していない気がする。 働くようになったら、自分の生活を自分で立てられるようになったら違うのか。いや、そうとも言い切れない。そもそも個人がするべきだったことを、社会に依存している。着るものも、住むものも、自分が生きるシステムを効率がいいものだろうと考えもなしに、確かめることもせず、それに乗りかかり、大分楽をしている。 それを進化と呼ぶべきか、否か。


アフリカの原住民族と話したい気分だ。彼らからすれば、僕は軟弱な実感を伴わない薄っぺらなやつなのか。それとも過去の遺産を継承し、人生を謳歌する現代人なのか。


郵便受けに手紙が来ている。母からだ。何を今時、手紙なんかを書く必要があるのだろう。部屋に帰って読んでみる。黄色いボールペンで書かれており、やや読みづらい。


ケンちゃんへ。元気にしていますか。ゆーちゃんは元気です。相も変わらず家事、パート、家事、パート、家事、パート、家事、パートです。最近始まったスダマサキのドラマが唯一の心の支えです。嘘です。ケンちゃんもヒロくんも心の支えです。でも時々マサキくんが1位になる時があります。ひ弱そうに見えて、ワイルドな所があり、演技力はピカイチです。 ケンちゃんは、勉強や部活を頑張っていれば大変なこともあるでしょう。でもゆーちゃんを見習い、ささいな幸せを見つけて欲しいものです。ではでは。


そういえば、母はこういう人だったなぁと思い出す。こんな人でも、あるいはこんな人だから世の中を渡ってこれたのかと思う。面白いから写メを取っておく。明日、自分の席の左隣りにいる斎藤に見せてみようか。でも見せたら見せたでマザコンっぽいから止めておこう。写メを消す。


母や父にも生きるとか死ぬとか考えたことはあるのだろうか。おそらくあるだろう。僕が尊敬している人も尊敬していない人も、歳を取っていようといまいと、あることにはあるだろう。ただ今はあの3人以外でそのことを話す気が起きない。もし聞いたなら、それはどこかお説教に聞こえてしまうし、こちらが聞いてあげなきゃいけない立場になる気がする。なんのかのと興味があるのは、他人の生きるか死ぬかの考え方よりか、自分のそれであり、内面から浮き上がってきたものを捕まえることでしかない。酷く独善的だが、誰がどうすることもできないし、そうしようとしているやつがいたなら放っておいてあげるしかない気がする。

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