21杯目(マンハッタン)
随分と間が開いてしまいましたが、久しぶりの更新です。
「美和、久しぶりにあのカクテルを作ってくれない?」
彼等の手元のグラスはすでに空いてしまい、シャンパンのボトルもすっかり空になっている。
さて次は何をオーダーしようか?
彼がそう思案していると、隣で美しくカットされたフルーツを盛った皿から福岡産のあまおうをフォークを使って優雅に口に運びながらソーニャさんがそう言った。
「ああ、あのマンハッタンですか?」
小皿に数種類のチョコレートを綺麗に盛り付けながら美和さんは訊ねる。
そして盛り付けが終わった小皿を二人の前に差し出しながら
「はい、ソーニャさんには自家製生チョコレートの盛り合わせを…右からビターとミルクと抹茶です。そして彼さんには彼さんのお好きなピエールエルメのオレンジピールチョコレートです。」
美和さんはそう言って二人の前にチョコレートの入った小皿をそっと置いた。
「ちょっと、美和〜!貴方の作る生チョコレートは確かに最高だけど、エルメのオレンジピールがあるなら話は別よ!ちょっと色男!私の生チョコ食べていいからエルメのチョコレート、私にも食べさせなさいよ!」
と言うと彼の皿からオレンジピールチョコレートを素早く一本取り上げた。
「そう、美和の作るあのマンハッタンが飲みたいの⋯。私は国籍はアメリカで生まれと育ちはLA、職場はワシントンだったけど、仕事柄ニューヨークには良く行ったわ。その中でもマンハッタンって街は私にとって特別な場所なのよ⋯」
「だからかな⋯異国の地に長く居るとたまにあの都市の名前を冠したマンハッタンってカクテルが無性に飲みたくなるのよ。」
高級ブランドのハンドバッグの中から取り出した美しい彫刻が施された銀のシガレットケースから極細巻きの手巻き煙草を取り出し、細身のガスライターで火を付けると、紫煙を燻らせながら彼女はそう言った。
甘い桃の様な妖艶な香りが紫煙と共に店内に広がって行く⋯
「あれ、この香りは⋯?」
彼がそう呟くと、彼女はニコリと微笑みながら
「そう、よく分かったわね。マクレーランドのパルオーマイン。無理言って手巻き用にシャグカットの物をオーダーしたのよ。」
と言いと、ふたたび紫煙を燻らせた。
アメリカの煙草のハイエンドブランドの四天王の一角を担う『マクレーランド』に、パイプ用の煙草をわざわざ手巻き用のシャグカットで別注でオーダーするとは⋯
⋯お金がある人は色々と凄いな⋯などと考えながら、軽くドン引きした気持ちを落ち着かせるため、彼もパイプを燻らす⋯
控え目な音量で『アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』の代表曲『I Remember Clifford』が流れる店内に、2種類の甘い香りの紫煙が絡み合いながら漂った。
◆ ◆ ◆
美和さんは目を瞑って少し考え込んでいたが、顔を上げてにっこり笑うと
「承知いたしました。ではご要望のマンハッタンをお作りさせて頂きます。」
とソーニャさんに言った後
「彼さんも宜しければ如何ですか?」
彼に美和さんがそう声をかけてくれた。
せっかくの魅力的な提案を断るなど勿体無いし、その特別なマンハッタンがとても気になる⋯彼は二つ返事でそのカクテルを頂く事にした。
美和さんはくるりと後ろを向き小さな脚立を持ち出して、バックバーのウィスキーが並べてある辺りの奥をゴソゴソ探し出した。
ボトルを探すために美和さんが身体を動かす度に、彼の目の前でシミ一つない真っ白なスカートに包まれた形の良いお尻がフリフリ動いて実に目の毒である⋯
彼が居た堪れなくなり思わず目をそらすと、隣で頬杖をつきながらフリフリ揺れる美和さんのお尻を煙草を持ったままの指で指差しながら彼を見つめてニヤニヤ微笑んでいるソーニャさんと目があった。
美和さんは暫くウィスキーコーナーの棚の奥をごそごそしていたが、ようやく目当ての二本のボトルを見つけ出すと、それをカウンターに並べた。
続いて別のビターズ類が並べてある一角から二本の瓶を取り出すと、これもカウンターに並べた。
最後に冷蔵庫から二本のベルモットを取り出しカウンターに並べる。
続いて二枚の小皿にカクテルピンを刺したチェリーとカットしたレモンの皮を置いた。
「まず此方のボトルはバーボンで『ジョージ・T・スタッグ』と言います。ジョージ・T・スタッグは、バッファロートレース蒸留所がリリースするプレミアムブランドのバーボンです。年間数百本程度しか出荷されない人気のバーボンで最大の特徴はその度数で70度近い度数があります。」
「続いて此方のボトルはライウイスキーで『パイクスビル』です。こちらはヘブンヒルバーンハイム蒸留所で造られているライ・ウィスキーでアルコール度数は55度もあります。」
「そして此方はスイートベルモットの『カルパ丿 アンティカ フォーミュラ』。カルパノは昔ながらの製法で作られたベルモットで、ベルモットの王様とも呼ばれています。香りと甘みのバランスが良くコクもあるため、マンハッタンには最適のベルモットです。」
「そしてドライベルモットの『ドリン』です。アルプス中心のシャンベリーで高山植物を利用し伝統レシピを引き継いで造られたベルモットで、ユニ・ブランの酸味とほのかに香るハーブが特徴のベルモットです。」
「次にアロマチックビターズの『ビタートゥルースジェリートーマスオウンデキャンタ』とオレンジビターズの『ビタートゥルースオレンジビターズ』です。」
「そして私が地元のさくらんぼを使って作ったチェリーです。このチェリーは国産の佐藤錦を3種類のウィスキーをブレンドした物に2週間漬け込んで、その後黒糖のシロップとアロマチックビターズを加えて更に寝かせた物です。」
「最後は地元の農家さんが作った無農薬ノーワックスのレモンです。このレモンの皮を薄く削ぎ取ってレモンピールに使用します。」
二人に一通り説明すると、美和さんはバックバーの一角から美しいカットの入った2脚のウォーターフォード リスモア マティーニグラスを取り出してバーマットの上に並べると、キューブアイスを入れてグラスを冷やし始めた。
次に大きめのミキシンググラスを取り出すと、氷を入れてミネラルウォーターを注ぎ入れると、素早くステアを始めた。
ミキシンググラスが十分に冷えた所で水を切り、アロマチックビターズとオレンジビターズを数dashづつ振り掛ける。
次にメジャーカップを使わずに、迷い無く2種類のウィスキーとベルモットを注ぎ入れ、すかさず鮮やかにステアを始めた。
白く細い美しい指に挟まれたバースプーンがクルクルと鮮やかに回転すると、ミキシンググラスの中でウィスキーとベルモットと氷が音も無くダンスを踊る。
ステアが終わると中身をスッとグラスに注ぎ入れて、短冊型に切ったレモンの皮をグラスの上で捻り、レモンの皮の油分を飛ばしてカクテルに香りを付ける。最後にカクテルピンを刺したチェリーを沈めた。
カクテルが仕上がると、美和さんは一つ目のグラスをそっと持ち上げると、まずソーニャさんの前のコースターの上にそっと置き、次にもう一つのグラスを彼の前のコースターに置いた。
照明に照らされて細かいカットの入ったウォーターフォードのカクテルグラスが美しい輝きを放ち、グラスを満たす明るく暖かな琥珀色のカクテルとローズゴールドのカクテルピンが刺さった紅いチェリー⋯
カクテルの女王と呼ぶのに相応しい、美しく豪華なカクテルが彼等の目の前に現れた。
「お待たせ致しました、マンハッタンです!ささ、お二人共まずはお召し上がり下さい♪」
満面の笑みを浮かべて美和さんはそう言った。
一口そっと口に含むと、濃厚なウィスキーの旨みとベルモットの香り、強めに振られたビターズの香りが口の中に広がって行く。
ドライだがコクと奥行きのある極上の味わいの素晴らしいマンハッタンだった。
(彼は普段、マンハッタンをオーダーする際は通常のウィスキー2:ベルモット1のレシピでは甘すぎる為、ウィスキー4:ベルモット1位の分量のレシピを好んで飲んでいます。)
ソーニャさんも満足した様で
「流石ね、美和!貴女はいつも最高の1杯を作ってくれるわ⋯。それにこのウォーターフォードのカクテルグラス、随分と良い物を使ってくれたのね⋯」
と嬉しそうに言った。
美和さんも満面の笑みを浮かべながら
「ありがとうございます♪このマンハッタンはウィスキー評論家ニール・リドリー氏がウィスキーマガジン紙に記載された記事のレシピを使わせて頂いています。ぶっちゃけますと2種類のウィスキーがレアなウィスキーを使用する為に、1杯の単価が相当高いカクテルになってます。ハッキリ言いますと、ソーニャさんや彼さん位しかこのカクテルはお出し致しませんよ。」
⋯何と常連冥利に尽きる嬉しい事をこの美人バーテンダーさんは言ってくれるんだ⋯
彼の顔が自然に綻んで来る⋯
「あらら?美和は古い古い付き合いの私と同じ位、この色男が大切なの?」
ソーニャさんがイタズラっぽい笑みを浮かべながら美和さんをからかう⋯。
アタフタしながら必死に言い訳する美和さんと、そんな美和さんを更にからかうソーニャさん⋯。
そんな二人を横目で眺めながら彼は微笑みを浮かべてまた一口グラスを傾けた⋯




