19杯目(ルイ・ロデレール)
長らく更新出来ずに申し訳ございませんでした。
ようやく筆が進みはじめました。
これからも少しづつですが話を進めていきますので宜しくお願い致します。
「今晩は♪久しぶりね美和。貴女がお店を開いたって聞いたから仕事のついでに顔を出させてもらったわ。 小さいけど良い雰囲気のお店じゃない。」
ゆっくりと店内を見回し、彼女はそう言いながら店内に入って来た。
カツ…カツ!とヒールの音を響かせながら彼女は彼の横を通り過ぎると、美和さんの前で立ち止まった。
「はいこれ、開店祝いね♪」
そう言うと彼女は手に持っていた綺麗にラッピングされたボトルをカウンター越しに美和さんに無造作に押し付けた。
「もう、貴女は相変わらすですね⋯突然現れてびっくりするじゃないですか。でも来て頂いて嬉しいです♪ありがとうございます。」
苦笑いしつつ彼女にそうお礼を言いながら、手に持ったプレゼントのボトルを見て美和さんは悲鳴に似た驚きの声を上げる。
「これサロンじゃないですか!しかも1996年ってシャンパンの当たり年ですよ!一体幾らしたんですか⁉こんな高価なお酒とても受け取れませんよ!」
大慌てで彼女に返そうとボトルを差し出すが、彼女はニコリと笑うと手をヒラヒラさせながら
「ああ、気にしないで受け取ってよ。そんな高い物でも無いし、お祝いだから♪」
と言って受け取ろうとしない。
「お返しします!」
「一度あげたものだから受け取らないよ〜♪」
と言ったやり取りが何度も繰り返されたが、最後には美和さんが根負けして「全く⋯この一本の値段でこの店で何日飲めると思ってるんですか⋯」とブツブツ言いながらも渋々受け取った。
◆ ◆ ◆
「さてさて、では久しぶりに美和の作るカクテルをご馳走になりましょうか♪」
彼女はそう言いながらカウンター席に腰を下ろした。
「あら?BARのチェアーにしては少し低めね?でもこのチェアー座り心地がとても良いわ。結構良いチェアーね。随分奮発したでしょ?」
彼女はバーチェアーの座り心地を確かめながらそう言った。
「はい。せっかくご来店頂いたお客様ですから、ゆっくりと寛いで頂きたいですからね。色々なお店や工房を回って色々な椅子を見て回って選びましたよ。」
美和さんはそう言いながら彼女の前に腰のポケットから取り出したコースターをそっと置くと、暖かいお絞りを差し出した。
「あ~、温かいお絞りって気持ち良いわよね。あら、ミントの香り⋯?」
彼女はほっそりとしたシミや傷一つ無い美しい手をお絞りで優雅に拭きながらそう独り言を言う。
「日本のBar独特の文化の一つですよね。外国のBarではお絞りなんか出ませんからね。当店のお絞りはハッカ油を入れたお湯で洗ってから巻いてるんですよ。」
美和さんがそう答えると、女性は両手を広げオーバーにリアクションしながら「相変わらずマメね⋯」と少し呆れながら呟いた。
◆ ◆ ◆
「彼さんご紹介致しますね。この方は私の古い知り合いでソフィアさんです。ロシア系ですが国籍はアメリカの方なんですよ。CI⋯では無く東京で古美術商を営まれている方なんですよ。」
美和さんが彼女をそう紹介した。
「はじめまして、ソフィア・カヴェーリンです。ソーニャとお呼びください。」
彼女はそう言いながら彼に優しく微笑むと、スッと右手を差し出した。
ゾッとする程美しい東スラヴ系の超美人に微笑みながら握手を求められ、思わずどぎまぎしながら握手をする。
握手をしながら視線を合わせると、美しいブルーの瞳に吸い込まれて行く様な、奇妙な、しかしとても心地良い不思議な感覚を覚え、彼女の美しい瞳から目が離せなくなる。
目の前に立つ女性が、ずっと昔からの友人の様な懐かしく、そしてとても大切な存在の様な想いが心の奥底からどんどん湧き上がり、その気持ちが彼の心に浸透して行く⋯
「パンッ!」
突然店内に柏手の音が鳴り響いた。
その音でハッとした彼が音のした方を振り向くと、そこには微笑みを浮かべながらもこめかみに青筋を浮かべている美和さんが居た。
「ソーニャさん!な・に・や・っ・て・る・ん・で・す・か!!」
普段いつもニコニコ笑って怒った事が殆ど無い美和さんが烈火の如く激怒している。
⋯ああ、これが激おこぷんぷん丸って奴かな⋯などと彼がぼんやりと馬鹿な事を考えている横で、彼女はケラケラ笑いながら美和さんに
「いや、浮いた噂がとんと無かった貴女に珍しく憎からず思っている男が居るって聞いたから、どんな男かついつい確かめたくなってね♪」
と悪びれる素振りは全く見せずにそう言った。
「貴方もごめんなさいね、色男♪でも貴方も随分と面白い縁を持ってるみたいね⋯」
彼女はそう言うと彼の頭を優しく抱きしめた。
柔らかな胸の感触と上品な香水の香りが彼を包み込む。
そしておもむろに彼の頬に唇を寄せた。
「あ~!一度だけでは飽き足らず二度も〜!」
目にうっすらと涙を浮かべながらカウンター内で大騒ぎする美和さんを横目で眺めながら、彼女は彼にそっと舌を出しながら妖艶に微笑んだ。
◆ ◆ ◆
カウンター内で不貞腐れている美和さんを何とか宥めすかして、ようやく何時もの風花の空気が戻って来たのはそれから15分後の事であった。
「あ、そういえばソーニャさんは車で東京から来られたんですか?さっき綺麗な品川ナンバーのZの横で貴女とお会いしましたよね⋯」
場の空気を何とか変えようと彼がそう尋ねると、彼女は
「ええそうよ。飛行機では持ち運ぶのが大変な荷物もあるし、レンタカー借りるのも面倒くさいでしょ?だからあの子で来たのよ。ま、東名や名神辺りで何回か走り屋っぽい車や外車に絡まれて別の意味で大変だったけど⋯」
と笑いながらあっけらかんと言う。
その話を小皿を取り出しながら聞いていた美和さんが
「でもあのZで来たんでしょ?あの車はきちんとした工房でボディから作り直してエンジンもチューニングしたRB26に載せ換えているから600馬力以上出てるって言ってたじゃないですか、それに貴女の運転技術があれば相手にならなかったでしょ?」
とサラリと言った。
そう言えば美和さんも車が好きだったよな⋯しかしあの車、そんなにとんでもない車だったのか⋯
彼が二人の会話を聞いていると、さらに美和さんが
「でも、なんで今回はLFAで来なかったんですか?買ったって言ってましたよね?98台しか生産されていないニュルブルクリンクパッケージ。あれならもっと楽だったんじゃないんですか?私も乗ってみたかったな〜LFA⋯」
「ん〜、あの子でも良かったんだけど、リアシートのスペースがあるZと違って荷物が載せられないのよね〜。荷物がキャリーケース2〜3個なんて良くあるし⋯。今回は調査が目的だから結構荷物が多いのよ。」
彼女はケラケラ笑いながらそんな事を言う。
⋯商品をそんなに持ち歩くのか⋯古物商の仕事って結構大変なんだな⋯
そんな事を考えながらか彼はぼんやりと二人の会話を聞いていた。
◆ ◆ ◆
「さ、まずは何を飲ませてくれるのかしら?」
彼女はカウンターにヒジをついて男なら誰もが魅入られるであろう魅惑的な笑みを浮かべながら美和さんに言った。
「そうですね、大変高価なお祝いを頂きましたし、お礼を兼ねて、まずは当店からシャンパンを一本プレゼントさせて頂きます。」
美和さんはそう言うと、バックバーの一角に設置されているワインセラーを開けて、一本のシャンパンのボトルを取り出して彼女の前にスッと置いた。
琥珀色のお酒が入った透明のボトルに金色のラベルが貼られたとても美しいシャンパンである。
「ルイ・ロデレールのクリスタルです。ビンテージは2008。近年では最も評価の高いビンテージです。」
「このシャンパンは1876年にロシア皇帝アレクサンドル2世の味覚を満たすために生まれました。味わいは柔かく丸みのある口当たりにフルーティなアロマ。力強いミネラルを感じ、白い花と柑橘類のアクセントも加わる素晴らしいシャンパンです。」
美和さんはそう説明すると、鏡の様に磨き上げられた銀色の美しいワインクーラーに水を貼り氷を入れ、折り畳んだ布を下に敷いて彼女の前にセットした。
次に後ろを振り返ると、バックバーのグラスを収納している場所から一脚の背の高いフルートグラスを取り出した。
「あら、ロブマイヤーのパトリシアンシャンパンフルートじゃない。随分と良いグラスを使ってるのね?そんな高価なグラス使ってたら管理が大変なんじゃないの?」
彼女が少し呆れながら美和さんにそう言う。
「せっかくなら良いグラスでお酒を楽しんで頂きたいですからね。勿論、お手頃な価格のグラスも使ってますよ。」
そう言いながら美和さんは彼女の前にグラスを置き、ワインクーラーに入っているシャンパンに手を掛けた。
「あ、美和!なにやってるのよ!グラスが足りないじゃない。私に一人でシャンパンのフルボトルを開けろって言うの?貴女も一杯位付き合いなさいよ。あとそちらの色男にもグラスを⋯」
彼女はニッコリ笑いながらそう言いった。
⋯こんな「超」の付く美人にお酒を勧められたら断れる男は居ないぞ⋯
彼はそう思いながら、有難く御相伴に預かる事にする。
美和さんは
「ごめんなさい、彼女いつもこんな感じなんです。マイペースで気まぐれで気分屋で⋯まるで猫ですよね⋯」
彼に苦笑いしながらそう言うと、バックバーからリーデルのグラスを2脚取り出してカウンターの上のスピル・バー・マットに並べた。
そして腰のポケットから背面部分に綺麗な彫刻の施されたラギオールのソムリエナイフを取り出すと、シャンパンのコルクを覆っているシールを刃の部分を使って綺麗に切り取って取り除いた。
そしてミュズレと呼ばれるコルクを押さえてている金属の蓋を取り外す。
コルクが剥き出しになると美和さんはシャンパンのボトルの底とコルクの部分を持ち、ボトルをゆっくりゆっくり回しながら中のガスを抜いて行く。
プシッ・・・と言う小さな音と共にコルクが抜けたが、美和さんは直ぐにはグラスに注がずボトル内の泡を落ち着かせる為に少し時間を置き、その間にナプキンでスッとボトルの口をふき取った。
泡が落ち着いたのを見計らい3脚のグラスに交互に3回に分けてシャンパンを注いで行く。
注ぎ終わったシャンパングラスをまずソーニャさんの前のコースターに置き、次に彼の前のコースターに置いた。
最後に美和さんが残ったグラスを持つと、ソーニャさんが
「美和、Congratulations on opening.(開店おめでとう)I pray for your health and good fortune.(私は貴女の健康と幸せを祈っています)Let's make a toast.(さあ乾杯しましょう)Cheers!(乾杯!)」
美和さんも「ソーニャ、ありがとう、乾杯」と言ってグラスを掲げた。
彼も何とか「Cheers」が「乾杯」と理解出来たので、急いでグラスを掲げて美しく細かい泡が立ち上る琥珀色のシャンパンを一口口に含む。
まず彼の口の中でまるでクリームの様な泡が弾ける。
味は口当たりも柔らかく複雑味があり、花の様な香りと白桃や白ブドウ、柑橘類など透明感のあるフルーツの様な香りと圧倒的なみずみずしさが口に広がり、飲み込んでも香りの余韻が口の中に長く残っている。
ロシア皇帝が愛したという逸話も納得できる素晴らしくエレガントなシャンパンである。
ソーニャさんも嬉しそうに微笑みながら満足気にグラスを傾けている。
「ありがとう美和。私の好きなシャンパンの銘柄をちゃんと覚えてくれていたのね。」
シャンパンを飲み干した彼女はコースターの上に空になったグラスを置きながら美和さんにそう言った。
「当たり前ですよ。古いお付き合いなんですから⋯でも貴女と初めてお会いした当時のお友達も随分と減りましたよね⋯」
空いた彼女のグラスに優雅に2杯目のシャンパンを注ぎながら美和さんは彼女にそう言って優しくそしてちょっと寂しそうな笑みを浮かべて微笑んだ。
「そうね、随分減っちゃったわね⋯」
二人の間にしんみりした空気が流れる。
そんな二人の重い空気を振り払うようにソーニャさんが
「あ、そう言えばこの間仕事で岩手に行ったんだけど、瑠璃音に会って来たわよ。あの子も貴女に会いたがっていたわ。此処の話をしたら中々遠野を離れられないけど、一度時間を作って尋ねるから宜しくだってさ。」
と美和さんに言った。
美和さんはパッと顔を上げるとまるで花が咲いたような満面の笑み浮かべて
「瑠璃音に会ったのですか!?彼女は元気にしてましたか?会いたいです!」
と言った。
彼が怪訝な顔をしながら二人の話を聞いていると、ソーニャさんが
「ああ、貴方は知らないわよね。私達の古い知り合いの子よ。遠野の神社で巫女を勤めているわ。きっと貴方も近い内に会えるわよ⋯きっとね♪」
整った形の良い美しい唇を微かに動かし、男なら誰もが心奪われるであろう美しい微笑みを浮かべながら彼女は彼にそう言った。
ソーニャさん、いつの間にか主役級に⋯何故だ⋯
この作品を読んで頂く事で、皆様のバーに対する敷居が低くなり、気軽にバーの扉を潜っていただく切っ掛けになれば幸いです。
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