11杯目 (ウイスキー)
大変お待たせ致しました。
ようやく更新です。
今回はバーには必ず必要な氷について書かせて頂いています。
今夜の風花の店内もいつもと同じ時間が流れている。
完全に常連客となった彼は、カウンターのいつもの席に座りのんびりとパイプを燻らせながら文庫本片手にネグローニを飲んでいる。
ネグローニとはカンパリとスイート・ベルモットとドライ・ジンを合わせたカクテルで、彼が好んで飲むカクテルの1つである。
現在、バーテンダーの間では世界的に人気のネグローニをツイストしたレシピが色々と流行しているが、彼はスタンダードレシピのネグローニを好んで飲んでいる。
カウンターの中ではいつもの真っ白なバーコートをぴしっと着こなした美和さんが冷凍庫から取り出した分厚いブロックアイスをシンクの中で割る準備を始めている。
今日の彼女はいつもは後ろで束ねている長く美しい黒髪をポニーテールに纏めており、時たま見える白いうなじが何とも色っぽい。
「今度彼女に似合う髪留めでもプレゼントしようかな⋯⋯⋯」などとぼんやり考えながらグラスの中のカクテルをちびちび飲んでいる彼を横目でチラりと見ると、彼女は嬉しそうに口元に笑みを浮かべ鼻歌交じえながら氷を割る作業を進めて行く。
牛刀で大きなブロックアイスの真ん中を軽くコツコツと叩くと、パカン!と軽い音を立てて氷は真っ二つに割れた。
美和さんは割れた氷を手に取ると、同じ様に軽快に10センチ角位のブロックを鮮やかな手付きでどんどん切り出して行く。
板氷の半分を大きめのブロックに割り終わると、残りを3センチ角程のキューブアイスにどんどんと鮮やかに割って行く。
「美和さんは氷をアイスピックで割らないんですね?」
何気なく彼がそう尋ねると彼女は
「アイスピックでも良いのですが、牛刀のほうが重みがありますし、点でなく線で力が掛かるので綺麗に氷が割りやすいんですよ。重く刃の厚い刃物ならなんでも良いので中華包丁を使う方もいらっしゃるみたいですが、私は牛刀の方が使いやすいのでもっぱらこればかりですね」
と教えてくれた。
次に10センチ位の氷を1つ手にすると、カツカツカツ!と鮮やかに牛刀で氷の角を落としていく。
美和さんの手の中で四角だった氷がまるで魔法の様に鮮やかにどんどん丸くなって行く。
時々、ロックグラスに入れて大きさを確かめながら削って行き、最後に水道水で洗いながら手で凹凸を擦り表面を均す。
あっという間に綺麗なランプアイスが完成した。
出来た丸氷はフリーザーバッグに入れ、冷凍庫にしまうと直ぐに次のランプアイスを作って行く。
彼女の鮮やかな包丁捌きとその包丁を扱うほっそりとしたシミ1つない美しい手を彼がボンヤリとカクテルグラスを片手に眺めていると
「そういえば貴方は当店ではカクテルばかりでウィスキーやブランデーなんかはお飲みになりませんね?」
と美和さんが冷凍庫にフリーザーバッグに入れたランプアイスを仕舞いながら問いかけてきた。
「自慢になっちゃいますけど、うちの店はシングルモルトウイスキーでもアメリカンウイスキーでもブランデーでも結構色々な銘柄が揃っているんですよ。たまにはいつもと違った物をオーダーしてくれても良くありませんか?」
彼女は腰に手を当て、わざと怒ったふりをしながら彼にそう訴える。
「いや、ウィスキーやブランデーをストレートで飲むのが嫌いな訳では無いんですよ。美和さんのカクテルが美味しすぎるからついついカクテルをオーダーしてしまうんですよ⋯⋯」
彼が真顔で彼女にそう答えると、美和さんは一瞬キョトンとした後、満面の笑みを浮かべてカウンターから身を乗り出すと彼の肩をペチペチ叩きながら
「もう〜そんなに私を喜ばせてどうするんですか〜!そんなにお世辞言っても何も出ませんよ〜♪」
と嬉しそうに言った。
美和さんは暫し彼に背中を向けてニマニマしていたが
「ではこの後は私のこだわりのグラスと氷でウィスキーを飲んでみませんか?」
と提案してきた。
この魅力的な提案を断る理由など何も無い。彼がふたつ返事で了解すると、美和さんはバックバーのウィスキーが並んでいる一角を眺めながら考え込みだした。
暫し考えた後、彼の方を振り向き「シングルモルトウイスキーならスプリングバンク、アメリカンウイスキーならフォアローゼズがお好きでしたよね?」と聞いて来た。
⋯⋯あれ?美和さんに自分のウイスキーの好みの銘柄の話はした事は無かったよな⋯⋯?
疑問に思いながらも肯定すると彼女は意味深な笑みを浮かべながら
「ではロックスタイルで味わって頂きたいのでアメリカンウイスキーを選ばせて頂きますね」
と言い、バックバーから1本のボトルを取り出した。
「フォアローゼズ スモールバッチです。別名“マスター・ディスティラーズ・メロウ・チョイス”とも呼ばれ、柔らかく豊かな香りと円熟した味わいが特徴のアメリカンウイスキーです。」
そう彼に説明しながらカウンターの上のバーマットにボトルを置くと、次に美しいカットの施されたクリスタルガラスで出来たロックグラスを取り出した。
「Baccarat社のアルクールタイプのロックグラスです。1825年に原型が、1841年に今の形が出来たという伝統あるデザインで、シンプルで深いフラットカットが施されており、重厚感がありますがウイスキーにはピッタリとマッチするグラスだと思います。」
そう説明しながら美和さんは冷凍庫からランプアイスを1つ取り出すとグラスにそっと入れた。
このグラスの為に作られたとしか思えない絶妙な大きさの綺麗な丸い氷がぴったりとグラスに入り込む。
「この氷は地元の氷屋さんがこだわって作っている純氷を使っています。此処の土地は水が豊かで美味しく、その為米どころとして有名です。その水を使って作った素晴らしい氷ですので満足頂けると思います♪」
そう言うと美和さんはボトルを手に取り封を切った。
ボトルキャップを顔に近づけて軽く香りを嗅ぐと、満足だったのか軽い笑みを浮かべると、ミキシンググラスを使わずにそのままお酒をグラスに注ぎ入れた。
グラスの中のランプアイスがピキッ!ピキッ!パチッ!と音を立てる。
バースプーンで軽くステアすると彼の前のコースターにそっとグラスを置いた。
「頂きます⋯⋯」
彼はそう呟くと曇り1つ無いグラスをそっと口に運んだ。
濃い琥珀色のウイスキーをひとくち口に含むと、口の中に芳醇な香りがふわりと広がり、その後しっかりとコクのある重厚な味わいが広がる。
「美味い⋯⋯」そっと呟くとふた口目を口に運ぶ⋯⋯。
満足気にグラスを運ぶ彼を見つめ、そっとチェイサーの入ったグラスを置きながら美和さんも嬉しそうに微笑んだ。
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