「死にたい奴は読め」って書いてあんだろ日本語も読めねえのかカス
どいつもこいつもうるせえし、馬鹿と阿呆しかいねえし、セックスしてる時でさえ孤独だし、「生きる意味」とか「自分とは?」みたいな疑問に飽き飽きしてるはずなのに絶えず悩まされて毎日舌打ちしてるし、永遠に人混みはゴミだろうし。
9月1日を乗り越えた時点で夏なんてとっくに終わっていて、暑さで溶け出したアスファルトとか生い茂った雑草とかの匂いを含んだ空気も何処かに行ってしまったし、朝と夜の涼しさは全身にズキズキくるし、空はどんどん青くなっていく。そういうもの全部が脳みそに語りかけてきて、「今年も殺しに行くから覚悟しとけよ」って脅してくる。
厚着するほど、他人との壁が厚くなっていく気がする。吐く息が白くなる頃にはもう、自分の体温ですらまともに感じられるような状態じゃなくて。季節が4つもある日本は、どう考えても人類が生活するのに適した土地ではないと思う。ハンドガンよりも、包丁よりも、オオスズメバチよりも、人間よりも、短くなる日照時間と下がる気温の方が今の日本では人を殺している。肉体的平和と精神的平和は、果たして共存できないのか。
冬が嫌いになったのはいつからだろう。昔は夏は海、冬は雪なんて一年中ワクワクしていられたのに。学校が嫌になったのはいつからだろう。甘いものが嫌いになったのはいつからだろう。家族を嫌いになったのは、他人を疎ましく思うようになったのは、 SNSをやらなくなったのは、何に対しても頑張らなくなったのはいつからだろう。
「こんな情けない大人に成る気は無かった」って、情けない大人が笑いながら言っているのを心底軽蔑していた10代後半の僕は、今も僕の心臓のあたりに住んでいて、「死ね」って叫んでる。自分に都合のいい言葉や環境や人間を都合よく取り込んでいるだけのくせに必死に頑張っている雰囲気を醸し出すゴミども、日々何にも感謝できず当たり前を当たり前だと思い込んで能天気に暮らしている猿ども、そう言うものがとにかく許せなかった。「生きてればいいことあるよ」ってそんな知能が低い言葉を吐き出す人間が現実には山ほどいて、落胆と嫉妬と羨望がごちゃ混ぜになった感覚を怒りによってごまかしてきた。俺のせいじゃない、お前らのせいだ。お前らが馬鹿なせいだ。お前らのせいで俺がこんな苦しい思いをしなきゃいけないんだ。10代といえどそれが正しくないことくらいははっきりわかっていて、そう思わないと生きていられないこの窮屈さから逃げ出せるなら命くらい安いもんじゃないかって本気で思っていたし、それくらい苦しかった。
大好きだった家族はもう全員どっかに消えた。
何か辛い状況に置かれた時に、いつも自分のコンプレックスが邪魔をしてきて、「逃げろニゲロにげろ」って身体中をつきまとう。人の悪意に触れるたび自分が腐っていくのを感じる。どんだけ深刻な悩みでも、10億円手に入ったらきっと解決する。そんな悩みに毎日殺されかけている滑稽な人生を必死に生きている。「全部虚しい」って言うのは何にも虚しくないってわかってるからで、何かを投げ出すための免罪符にしてるだけで、それも心のどっかでわかってることで。
一応聞くけど題名見たか?興味本位で見てるような奴は二度とくんな死ね。




