狂気と愛の違いを説明してください
くだらないものまみれの世界に生まれた。そんなことは小学生の頃から知っていた。結局男も女もセックスで、身体も愛も金で買える。そんなことは高校生の頃から知っていた。そんな中でたった一人でもくだらなくない人間に出会うことができたら、どれだけ救われるだろうか。幸せは絶対的に自分で決めるもので、日々の小さな幸せをなるべく多く実感することが幸福に暮らすコツだとして、それは本当に幸せだろうか。本当の幸福の最中にいるとき、人は実感できないようにできている。失わなければ実感できないようにできている。それでいいんじゃないか。もうたくさん失ってしまえばいいんじゃないか。失ったぶんだけ、傷ついたぶんだけ、幸せな記憶が増えていく。素敵なことじゃないか。もうあの人に2度と会えなくても、もう謝ることも感謝を伝えることもできなくてもいいんじゃないか。後悔しても帰ってこないのならば、何を破壊しても戻れないのならば、その虚しさも絶望も愛するしかないじゃないか。どれだけ恨んでも憎んでも殺意を覚えて、悪態をついても、結局一生嫌いになんてなれないのだから。もういい加減自分を責めるのはやめるべきだと、自分で自分に言ってあげるべきだ。無意味なことがしたいならもっと大胆にやったほうがよっぽど有意義だ。冬の朝、自動販売機で買った缶コーヒーの匂いと温もりでふと思い出す人がいて、寂しくなって泣きたくなってもうどうにもならない時、私たちに何ができるだろうか。きっとその缶コーヒーを投げ捨てることなど誰一人できない。静かに、冷たく、それでも穏やかに、届かない想いが届くように祈ることしかできない。
それほどまでに大切な人ができてしまった時、それは愛ですか。それとも狂気ですか。愛し合うことができなくても片思いの人が二人いるだけでも一生分かり合えないことがわかってもそれでも誰かを大切にしてしまったら、それはとても美しいことだなって。その人を生き返らせたいとか、殺してしまいたいとか、永遠に自分だけのものにしたいとか、クローンを作りたいとか、そう言うの全部正直で誠実で、くだらなくないものだと思うんです。




