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死ぬ準備
虫すら鳴かず、遠くでトラックの走り去る音だけが響く初秋になった。「夏の終わり」と「死」は似ているのではないかという持論を示しておく。9月に入って1週間が過ぎたが、今年は何人生き残っただろうか。目の前の人間が死ぬという感覚を知っている人間は、大人でも意外と少ない。といっても最近の小中学校は九月一日よりも前に学校が始まってしまうらしい。カリキュラムの都合等はどうでもいいが、それで少しでも2学期明けの重圧が薄まればいいと思った。
あっという間に今年も終わる。秋は我々を殺しに来るとは確か去年も書いた。感情が死に切って冬。身も心もズタズタになり、四季を恨む四半期がやってくる。夏はそのうち来なくなる気がする。次が春、秋の順に消えていって冬の時代が到来し温暖期と寒冷期の二つに分かれる、とは地質学的オカルトの読み過ぎだろうか。
長い長い「耐え」の季節がやって来る。あなたも私も好きなあの子も大切なあの人も、清楚もビッチも優等生も不登校も半グレも何の取り柄もないそこのキミも、死ぬ準備を忘れずに。




