愛知者・愛身者・愛財者
幸せを大切にできない瞬間というのがいつも私を咎めてくる。道行く異性に惹かれたり、最愛の人への配慮が足りなかったり。もしかしたらそれで反省できるのが「愛」なのかもしれない。どのポエムも偉人の金言も、愛と恋の違いは説明しきれていないということが分かっただけでもよかった。
何かに追われると、面倒臭くて時間がかかるものから逃げられる免罪符を得ることができる。境遇や現状を言い訳にして毎日を一生懸命生きられるようになる。一生懸命生きた先に待っているのは財貨という報酬で、それは多ければ多いほど余裕が生まれ、穏やかに生きられる。
巧みに、用意周到に、あたかもそれが自然の摂理であるかのように我々は羊水に浸かっていた時から調教されている。金にならないものを得るために、金にならないものを捨てて金を追いかける。貧困は悪か。資本主義は悪か。つい二元論で語リたくなる。きっと正解は「主義主張及び思想に善悪正誤は存在しない」だろう。そして「善悪正誤は存在しない」と決めつけた時、我々はその主義主張に呑み込まれる事になる。
馬鹿は食い物にされて骨も残らない。それだけは確か。ミサントローポスとは人間嫌いのこと。信じ裏切られを繰り返した末に待っているのは、裏切られて途方に暮れた愚か者しかいない。紀元前から変わらない人間の本質。ミサントローポスとは本来人間に備わっている仕方のない機能だけれど、ミソロゴス(言論嫌い)は良くない。ちゃんと反抗し、触れる物みな傷つけるという概念をいつまでも持ちたいものですね。




