△短編:お医者さんごっこ
高校一年生の、夏ぐらいのできごとです
「きょーは、私が、びょーいんの先生をします!」
美寧ちゃんは、何やらいろんなものを持ってきてそんなことを言う。小学三年生の彼女はすぐにテレビの影響を受けてしまう。前はカンフーだったが、今日は医者のドラマでも見たのだろう。最近は医者のドラマ多いからなあ。注射器やメスがないのを確認してほっと息を吐いている僕を尻目に、その中の一つを掴んだ彼女はニコニコと言う。
「はーい、おねつはかりまーす」
つやつやと流れる絹のような黒髪を、腰あたりまで垂らして揺らしている彼女は、そう言っておもちゃの聴診器の様なものを向けてきた。真夏の太陽みたいな笑顔付きだ。
…見るからにそれは熱を計るような形状をしていないのだが。
「じゃあ、服を脱いでくださーい」
僕は言われるがままに上着を脱いだ。
シャツも!といわれたのでシャツも脱いで上裸になる。幼女の言いなりになる僕っていったい。
僕が自分の存在価値を考えていると、美寧ちゃんは近寄ってきて、胡座を書いている僕の膝のうえに向き合う形で乗った。
そしてぐいぐいと胸を押し、寝っ転がるよう指示するので、僕は押し倒される形で床に寝転ぶ。
そして、彼女はぴとっと聴診器を僕の胸に当てると真剣な顔をした。
おおう、ちょっと冷たかった。
少しの沈黙の後、彼女は嬉しそうに口を開いた。
「あー、おねつがありますねー。25度です」
「25度ですか、先生」
そーれは、死んでるんじゃないですかねえー?てかなんでそんなに嬉しそうなんだ。
「このままじゃあ危ないのでうちます」
「うちますか」
なにをだ。またも彼女はガチャガチャとおもちゃ探る。注射器は無かったはずだけど…?
彼女が取り出したのは、おそらく注射器の代わりなのだろう、ひよこの形をした水鉄砲だった。くちから水が出るようになっているやつ。
「はーい、注射です。ぶすー」
「先生、これでよくなりますかー?」
僕は、されるがままに寝っ転がっている。
「はっはっは!ひい君、注射をうたれたね!?」
「…え?」
なになになに?
「実は私は、悪の科学者で、今うったのは毒薬でしたー!」
「ええ!?」
衝撃の展開!こんなこと、誰が予想できただろうか!いや、できまい!(反語)
子供の発想力というのは凄まじいものがある。どのくらい凄いかというと、思わず僕が反語を使ってしまうほどだ。
「これで世界は私のものだー!」
それならそれで乗ってあげようじゃないか…!
僕は右手を腰に、左手を高くあげて、某変身ライダーよろしくポーズをとった。
「変身!」
「あー、変身だめー!ずるいー!」
先生…もとい、悪の科学者は、バシバシと僕のお腹を叩き抗議するが、痛くも痒くもない。
「ずるくない。くらえ!スーパーくすぐり!」
美寧ちゃんを捕まえるとわきをこちょこちょとくすぐる。姉直伝のくすぐりテクニックだ!昔は随分これに苦しめられたものだが、今僕は苦しめる側に回っている。嗚呼、諸行無常。
「きゃー!あははははは!だめー!きゃー!」
「ハイパーこしょこしょ!」
第二奥義のハイパーこしょこしょも使う。この技は、人体に72あるという気孔をつき、笑わせ、死に至らしめないとか、至らしめないとかそういう技だ。
「きゃはははははははっ!」
****
くすぐりをしていると僕のスマホから音楽が流れ始めた。
てれてんてんててーれ♪
てれてんてんててーれ♪
これは僕の電話の着メロだ。好きなアニメのキャラのキャラソンにしてある。恋はサーキュレーション。
誰だ、僕の休息の時間を邪魔するのは。そう思ってみてみると和也だった。
……。
いい歌だなあ。ここまで届いたよ。サーキュレーションが。
多分このサーキュレーションの使い方は間違っているとは思うが、とりあえずほっといてみる。
「電話でないのー?」
長らく流れているメロディを不思議に思った美寧ちゃんが僕に聞いてくる。僕あての電話に美寧ちゃんが出たら和也はどんな反応をするだろうか。
「出ていいよ」
「わかったー!」
ピ
『あ、もしもしろっきー?明日の…』
「ちがいます!」
ピ!
そう言って彼女は電話を切ってしまう。
…将来は大物になりそうだ。
すぐにもう1度電話がかかってきた。
てれてーんてんててーれ♪
てれてーんて♪
ピ
『おいおい!ろっきーじゃないのか!?じゃあ誰が…』
「うるさい!」
ピ!
間違いない。彼女は大物になる。
まあ、和也には後でフォローしておこう。
「つぎわたしのおねつはかってー?」
そう言って僕に聴診器を渡すと、美寧ちゃんは上着を脱着始めた。
しかし、さすがに上半身裸の幼女とお医者さんごっこをするのは、社会的にまずい。
「美寧ちゃん、今度は違う遊びしようか」
「えー。私のおねつもはかってー」
すっかり服を脱ぎ終わった美寧ちゃんは、不服そうな顔をしているが、そういうわけにはいかない。
そうしていると…
ガチャ
玄関のドアの開く音と共に、天寧さんの声が聞こえた。
「ただいまー」
まずい。ほんとにまずい。最悪のタイミングだ。
僕は血の気がサーっと引くのを感じながら、どうにかこの状況を変えようとする。
「お姉ちゃん帰ってきたー!」
「ほら!美寧ちゃん!服着て!」
美寧ちゃんはお姉ちゃんが帰ってきてごきげんで、出迎えに行こうとする。
「ちょっと!服を!服を着て!ね!」
僕が服を掴み、美寧ちゃんに着せようとしたところで、
ガラッと、襖が開いた。
「ひいくん悪かったね、ご飯でも…」
襖の外には、お見麗しい天寧さんが立っている。
そして、部屋の中には美寧ちゃん(上半身裸)と、美寧ちゃんから渡された聴診器を首にかけ、幼児向けの服を持っている僕(上半身裸)。
…あれ?これ、死んだくさくね?
「お姉ちゃんただいまー!」
呑気な美寧ちゃんの声に、僕は、そこはおかえりでしょ、といういつものツッコミさえ出来なかった。
****
天寧さんからの誤解の視線と、美寧ちゃんの「ひいくん変態さんなのー?」という無邪気な一言に、僕の心は、プレパラートに載せられる前の植物細胞並みに切り刻まれ、憂鬱な面持ちで帰路についた。
あの後、特に悪いこともしていないが平謝りで謝り続けた結果、天寧さんの誤解は解け、ご飯でも、と誘われたが生憎、今日は僕が料理当番の日だったのでまた今度、とお断りして今に至る。
人間って、ほんとにまずいと思った時、あんなに冷や汗が出るんだなあ。
何事も体験して見なければわからないとは思っていたが、今回ばかりはあまり体験したくなかった。
美寧ちゃんは帰り際にしきりに、「今度は将棋やろうね!」と言っていた。
とりあえず、次行く時までに、将棋のルールでも覚えておこう。
ふっふふっふ、ふっふふっふ、かれーは〜♪
「どったのひい。今日はゴキゲンだね。鼻歌なんて歌っちゃって」
テレビを見ていたお姉ちゃんが話しかけてくる。
「そうかな?」
自分でも気付かないうちに、鼻歌を歌っていたらしい。
カレーを作っている最中、天寧さんの買い物の具材からして、桜家も今日はカレーかな、なんて考えていた。
子供のパワーははかりしれませんね