託二、終わりまで②
第二章 飴湯
右も左も果ては前も後ろも木に囲まれて、獣道とすらいえないような深い森を一行は進んでいた。ボウダチが手にしているのは鯨でも解体するのかという大鉈、それで幹枝を切り開いて最低限通れる道をつくっている。ボウダチが切り取った枝をせっせと背の籠に放り込んでいるのを見て託二が一言
「いつもは、乾かした燃えやすい薪を燃やしてんでしょうが、そんな切りたての汁気にあふれた枝なんて役に立つんで?」
「効率は落ちますが、十分動力源となります。旧型なら行えませんが、私は最新型なので、効率よくエネルギーの分離ができるのです」
ボウダチが手を止めずに答える。それきり、会話がなくなりかけて、このままいくと暇を持て余すことを知っている託二はなにか話題は無いものかと考えて、考えて、考えることが億劫になったので、頭に浮かんだことを口に出した。
「それで、ええと、姫さんはまだおねむなんで?」
ボウダチは手を止めずに
「はい。今日はもう寝るとおっしゃっていたので、もう起きないでしょう」
「それはそれは、いやはや、なるほど、燃料の節約ですか…」
あまりに怠惰な態度に、いくらか辛辣な言葉など浮かびはしたのだが、それを面に出さないように飲み込んで託二は訳知り顔で頷いてなど見せるのだが、どうやら間違っていたようで、
「いえ、ご主人様は寝ているのが好きなようで、託二さんも知っているように頻繁に眠っているのは、……そうですね娯楽や趣味と言うことでしょう」
「そこそこ名家で金に不自由しない生活を送っていた俺も仕事ぐらいはまじめにやっていたんだが、姫さんはすごいお人だね。そもそも歩くのや食事も旦那任せ、姫さんが何かやったことなんてあるんですかい?いや、私はお小言をいくつもいただいてますが」
「……いっ、いろいろしていますよ。そも今こうして託二さんをご案内しているのもご主人様あってのこと」
「いや、その案内も全部旦那がやっているような気が……、まあまあこの話はこんなとこで、それなら旦那の話を聞かせてくださいよう。仕事に仕事にやれ仕事ってぐあいなら、いくらも話すことはあるんじゃないですか」
託二は苦笑いを浮かべ、これ以上おもしろくもない会話をするのも飽きてきたので話題を変えにかかる。
「いえ、私のことなど、型番や機能についてあれこれ言っても仕方ないですし」
もう十分木の枝を集めたためか、ボウダチは森を切り開いての疾走を再開する。託二もあわてて後を追い、息も切らさず会話を再開する。
「いやね、例えば好きな食べ物とか、なにかあるんじゃないですか」
「……食べ物は好きです」
「ほうほう、それで一番って言ったら何になるんですかい?」
「順位はつけられませんよ、私には味を細かく計る機能が付いていないんです。
そうおっしゃる託二さんは、何が好物なんですか?」
「そりゃあもちろん飴湯ですよ。これがなくっちゃ始まらない」
託二は見せつけるように懐から出した水筒の中身をのどに流し込む。それを見てボウダチは表情を変えはしなかったが、声の調子はあきれたように
「そうでしたね。でも好物とはいえ控えたほうがいいですよ。虫歯で済まないかもしれません」
「いやいや、ちゃんとのどに直接入れているんでね、歯にはノータッチってやつですよ。まあでも、旦那の処理は痛くないんで、次の虫歯も旦那にお任せしますよ」
「……まあ、いいですけど」
託二は水筒をボウダチの方に差し出す。
「旦那も少しどうですか。俺の飲みさしでよければ」
「気持ちだけ受け取っておきます。本当は独り占めしたいでしょうに。そこまで、気を使っていただかなくても大丈夫ですよ。今となっては託二さんは私の上司のようなものですから」
託二は水筒をしまう。上司ということは俺も姫さんの従者と認識されちまっているんだろうかなど脳裏をよぎったが、それよりもボウダチの態度が気になって、
「しかし旦那。それじゃあ俺の気が治まらねぇ。旦那はあれ欲しいこれやってなんて言いませんからな。恩を返すっても、……そうですね、その見事な体を磨きましょうか。そりゃもう心を込めて」
「結構です」
ばっさりと断るボウダチの言葉に託二は少し傷ついたのだが、それをおくびにも出さず、
「じゃあどうすりゃあいいかねぇ。恩を受けっぱなしじゃあ信藤の名が泣くぜ」
「気にしないでくださいよ託二さん。この旅のお金はあなたに出してもらっているのですから、それで十分すぎるほどです。あなたは以前大勢の人を使っていたそうですが、その一人一人にいちいち恩を返すと考えていましたか?私はそのような従者の一人と考えてください」
この手の頑固者には、何かきっかけを作って、意見を押し付けないといけないことを託二は知っていたので、この話はこれまでと何か話題の転換をはかる。
「それじゃあ、そうですねぇ。趣味とか何かないんですかい?」
ボウダチは一瞬動きを止めて、ぶつかりそうになった託二も慌てて止まる。ボウダチは再び走り出した。
「別に、趣味なんて、趣味なんてありませんよ。楽しむために何かをするなんてありません。そのような機能はついていません。ご主人の手足となること、それが私の機能。強いて言えばそれが趣味です」
託二は何か思うことがあったのか、顎を一撫ですると
「なるほどなるほど、私はお姫様にお仕えするだけですとは、これはたいした騎士様だ。俺にゃ無縁なんでわかりませんが、やはり忠義や愛のなせる業ってわけですかい」
「忠義ですか、そうですね。私は忠義だけでできているのかもしれません」
「それで、本音はどうなんですか。やっぱり美しい姫さんにどきっとして、とか常に一心同体で興奮するとかないんですか?」
「託二さん。あなたがどんな言葉を期待しているのかはわかりますが、それはありえません。あなたがどんな方であるかは、少なからず把握しているつもりではありますが、あまりしつこいと失望してしまいますよ」
「すいません。いやでもね、旦那みたいな仕事人間がろくなことにならないって経験上ね、配置転換でぽっきりいくのも居たんで。家庭でも持ってりゃ違うんだが。……旦那は無いんですか、美人に見とれてとか、器量よしに惹かれてとか、惹かれる相手でもいりゃあ俺も手伝うんだが」
託二が面白くなさそうにはなった言葉に、ボウダチは足を動かしながらも、託二に向き直った。そのまま見つめてくること数秒間。無言の鉄面という威圧感に託二は冷汗を流した。
「あなたの軽口を止めようとは思いません。好きなだけ好きなことを言っていただいて結構です。しかし、私も不快に思うことがあります。私も女性なのです。それなのに、やれ旦那だ、家庭を持つために相手の女性がどうといったようなことをおっしゃって。
あなたが、しょうがない人なのは知っていますし、もう大人なので成長の余地がないのかもしれませんが、女性の扱いには気を使ってほしいものです」
ボウダチはそれだけ言うと拗ねたようにそっぽを向いた。託二は心底驚いて、ボウダチにしては本当に珍しいこちらを責めるような言葉をしっかりと受け止めて、すぐに莞爾笑うと土下座した。
「これは大変失礼した。女性になんということを。できれば、望みかなうならば許しを、いえせめて挽回の機会を」
「待ってください。託二さん。顔をあげてくださいよ。私は気にしていません。気にしませんから。少し気を付けてほしかっただけで」
ボウダチは慌てて、託二の顔をあげさせる。託二は立ち上がって、一度深く頭を下げて、口を開く。
「ありがとうございます。寛大な言葉に感謝を。配慮をかいた言葉を改めて謝罪させていただきたい。
……しかし、誤解してほしくはないですね。騎士が女性であってはいけないという法は無い。俺は君の献身に心底感動していると、そういうことです。そして、……申し訳ない。これからは、女性として配慮を持って接します。ええ、接しますとも。そもそも、俺は君の性別を……いえこれは最悪なんですが、間違えてですね、悪気があったわけでは……」
「そうですか。わかりました。あなたに悪意がないことはなんとなくわかります。だからこれでおしまいにしましょう。もうネガティブな話はおしまいです」
それっきりボウダチは黙りこくってしまい、心なしか、いや明らかに歩く速度は上がって、託二はおいて行かれないように早足で駆けながら、なんてことをしてしまっていたのだと自分を攻め立てて、それも数分後にはおさまって、飴湯のことを考え出した。
森の夜は暗い。当たり前だがそれは街に暮らす者にはわからない世界である。屋内に居ては味わえない吹く風照る月流れる星が人を狂わせ獣に変じるというが、それよりもさしあたっての問題として寒さと獣をよける寝床を作らなくてはいけない。最近は夜毎に旅籠に逗留などできていたが、いささか距離のある山を越えていくということで3日は歩きづめの予定、野営の準備が必要である。
といってもボウダチは睡眠が必要ない。未奈美はボウダチの中で安全。そうなると託二のみ何とかする必要がある。託二は西行掛けの背嚢から布を取り出すと木々を支柱に手早く即席の天幕をこさえ寝袋に潜り込む。その横でボウダチは胡坐をかき、手早くランタンとお湯を用意している。
「どうぞ、熱いので気を付けてください」
ボウダチが、芋虫のように地面に転がり上半身のみを寝袋から出している託二に椀を差し出す。
「ありがてぇ」
託二は昼間のことがあったにもかからわず、ボウダチの様子が少なくとも表面上はいつも通りであることに安心して、椀を受け取ると大切そうにちびりちびりとやりはじめる。頬などだらしなくゆるめて、なんとも幸せそうである。普段の卑屈な笑みや眉根を寄せる渋面からは想像できないような幼い表情だ。そんな託二の様子にボウダチは少し首をかしげ、
「あなたが文句ばかり言うので、今日は非常に濃く作ってみましたが、くどくは無いですか。とても水代わりに飲むものではないような気がするのですが」
体にも悪そうですし、と小声で付け加えボウダチは託二の方を覗き込む。託二はきまり悪そうに頬をかいて
「いやはや、恥ずかしいことだが、どうにも中毒かなんかなのか、こいつを切らすと落ち着かなくてね」
誰がとるわけでもないのに託二が後生大事に抱え込んでいる椀の中には、若干のとろみがついた薄褐色の液体。粗い糖や香料をお湯に溶かしこんだ飴湯と呼ばれるものである。甘すぎるので通常は童のおやつや祝い事で嫌々仕方なく飲まれるようなものであり、とても大の大人が晩酌に一杯やろうというものではない。………託二は水や酒、はては食事の味噌汁がわりに飲んでいるが、明らかに異常である。この世界に糖中毒という言葉があるかはわからないが、それでも常人からすれば何かしらの病気を疑いたくなる奇行。まあ、はじめはともかくボウダチと未奈美はもう気にしちゃいないのだが。
託二は椀の残りを懐から出した水筒に詰めると、ボウダチに向き直る。
「いやしかし、よくも再現できたもんですねぇ、昔を思い出しますよ」
託二は羨望のまなざしを向けているのだが、ボウダチはそれに気が付かず、何でもないとでも言いたげな声で
「ハッカやら苦草やらで香りをつけただけです。要は砂糖水。あなたでもつくれるではないですか」
それを体内でするんだからとんでもないもんだと託二は思ったが口に出さない。この昼にようやく明らかになったのだが、どうにもこの巨漢は無骨な見た目に反して中身の方は乙女らしい。よくよく記憶をあさってみると、それもしごく理想的な。託二にも一応女性への気遣いというものができないこともない。失礼と分かっていても躊躇しないこともある人でなしではあるが。
託二はわざとらしくうんうん頷くと
「やはり、騎士様ではなく、お嬢様でしたな、いや昼間は失礼しました」
「気にして頂かなくてもよろしかったのですが、私も自分がこんななりということは了解しています」
やはりボウダチは何も感じていないようで、自分は気にしていなかったと告げる。託二は激しく首を横に振ると
「いやいや、器量よし性根よしの淑女にやれ旦那だ騎士様だと、他にもいろいろ、本当に失礼を、これからは見目麗しいお嬢さんのように扱いたいと思っていますよ。いや本当に」
「気を使ってくださらなくて結構ですよ。……あ、いえ少しだけ気を使ってくだされば結構ですよ」
「もちろん、これから期待してくださいよ」
「……そうですか。そこまでおっしゃるなら、お好きなようになさるとよろしいでしょう」
ボウダチは、いやに熱心な託二に少し困惑しつつも言葉を返した。自分の扱いに対して別に腹を立てたり、強弁するようなことは気にならない。気にしてはいないはずだ。そのようにどうでもいいことだと思っているのであれば、昼間余計なことを言ったのはなぜだろうとボウダチは内心首をひねる。単純作業の繰り返しで少しはいら立ちでも覚えたのかもしれない。そのような苛立ちがあるならば、それはそれでおかしなことかもしれないが。
「ええ、ええ。しかし、ここまでの器量よしだと引く手あまたでは、いや、ぜひとも連れ合いになって欲しい逸材ですな」
ボウダチは託二の調子のよい言葉に、託二が酔っているのではないかと疑った、もしくは暇つぶしにでもと、からかっているものと。託二の顔を見て、その目があこがれの存在を見る少年のような純粋さをたたえていて、他意なく尊敬やら好意やらを向けられている気がしてもっと困ってしまった。
「いえ、私はそのようなものでは」
「謙遜しないで下さいよ、もう料理ができる女性というだけで感動が……。作れん人に限って人に振舞おうとする法でもあるんですかね?」
託二は遠い目でいつかの景色を思い出した。加熱不十分で硬い野菜、ひたすらしょっぱいだけの味付け、魚などそのまま丸ごと加熱で。託二は頭を振ると在りし日の光景を彼方へと放った。
「いや、今までひどい目に遭いました」
「しかし、あなたに手料理をふるまう女性と言うと、想像ができませんね。そういえば既婚者だと聞きましたが、奥方はどのような人だったのでしょうか?」
ボウダチがなんとなく放った疑問に、託二は苦い顔になって
「まあ婚約者ってだけなんですが、人身御供というやつで、十いくつかの子どもでしたよ。縁が切れて幸いでしょうね、お互いに」
ボウダチは、託二の言葉から複雑な感情を感じ取り、いや複雑な感情と言うものを正確には測りかねて、つい気になって、
「なかなか複雑そうですが、その人があまり好きではなかったのですか」
「まあ二人とも役割を演じようとしていたんですよ、家のためにってね。そんな感じの無難な付き合いで、心を開くことなどついぞありませんでしたしねぇ」
「甘い話でも期待していたら、なんというか。……世知辛い話ですね」
ボウダチには、託二の言う家や婚約者というしがらみを理解することはできなかった。ただ未奈美にはそのような縛りが無くてよかったと思う。しかし、物語の中の話のような婚約者と言うものが居ればまともな恋愛ひとつでもできたのでは、とも。
託二は、もう昔の話は終わりとばかりに手をひらひら振って、
「そんなんで、料理ができて、性格もよくて、となると魅力的すぎてねぇ。肝心のお嬢さんはお姫様に夢中だが」
ほめられ慣れていないボウダチは、むず痒いような気持ちを持て余し、体育座りの自分の脚の間にある何かに視線を落とすかのように俯いて
「あなたは社交辞令としてかそういいますが、この機械の身体、役不足でしょう。あなたがたびたび繰り出す店の娘たちのようなことはしてあげられないのですよ。子供もできませんし。おべっかも過ぎれば毒になります。あまり持ち上げないでくださいよ。冷静に考え直してみてください、あまりに他の人と離れすぎて、少し親切にした道連れの私が魅力的に映るだけではありませんか」
「ああ〜。こいつは悲劇だ。お嬢さんは自分の魅力に気が付いていない様子。そこらの村娘と比べてみたらどうでしょう、その性格でお釣りが二人分三人分ときますよ。そも鉄の体なんて大した問題でもなし。それに、子供をつくるだけが恋人や夫婦じゃないでしょうに」
意識せず少し早口になり、適当に相槌を打ちながら託二は内心冷や汗が噴き出していた。色街に繰り出していたことがなぜばれたのか。種々のしがらみから解放され、ようやく大手を振ってそのような店に通えるとなっては、しょうしょう度が過ぎたのかもしれないが、それにしたっておかしい。ことあるごとに現れては邪魔してきた妹や智美嬢のように女性はなにか第六感というべき新人類の力でも身に着けているのか。いや、よくよく考えたら、古来より女の勘と言うものが提唱され続けている!古今東西の事実として女性は何か不思議の力を兼ね備えているのだ、などと思考に沈みこんだ。
いや、気が付かないのか託二よ、自分の姿は鏡にでも映さないと見えないもの、といっても少し自分の行いを顧みれば見たものに疑念の念を抱かせる行動があることに。普段渋面やら皮肉げなにやにや笑いやらの人が突然だらしなく頬をゆるめ空を見上げるように幸せそうな妄想でもしていれば、ソバ畑に向日葵というほど目立ち、なんだこいつと疑念を抱かせるのは道理。そして、浮ついた心では尾行に気が付かず、そのような店に調子拍子の足取りで入っていくところをばっちり見られるという失態を託二はたびたびやらかしていた。
幻滅されないか、最悪愛想が付かされるのではなどと暗い思考におちこんで、内心冷や汗を滝のように流す託二の様子を見て、何を思ったのかボウダチは託二に就寝を促した。
「もう夜も更けています。明日もあるのですから。寝るのが良いでしょう」
確かに眠気が無視できないほどで、変なことを考えてしまうのはそのせいだと決めつけた託二は素直に従うことにした。
「そうですねぇ。後はお願いしますよ」
託二は寝袋に潜り込んだ。ボウダチはランタンの灯りを調節し、寝ずの番として周囲に意識を向ける。
夜は更けていく。