雪の日の話
雪の降った翌日は、滑って転ばないようにするのが精一杯で、駅にたどり着くまでに疲労困憊になってしまう。
東京は雪に弱いというけれど、強いも弱いも考えることもできないくらい、足をとられながらも必死に歩く。
赤信号で一息ついていると、傍に小さな雪だるまがあった。鼻のところに赤いペットボトルの蓋が着いていた。
信号が青になると、僕はまた歩き出し、やっとのことで駅に着いて、服についた雪を手で払った。冷たい感触を指先に感じながら、僕は雪だるまのことを思い出して、ある年の2月の雪の日のことが頭をよぎった。
その雪は金曜の夕方から降り始めた。土曜の朝に目覚めて、窓を覗くと踝はすっかり埋まり、膝くらいまでありそうなほど雪は積もっていた。時計を見ると八時半だった。
休みなんだからと僕は再び布団に包まって眠ろうとすると、隣に寝ていた彼女は伸びをし、そうしてすっきりした顔で起き上がると僕から布団を剥がしてしまった。
毛布を引っ張って抵抗する僕を気にする風でもなく、それも剥がしてしまい
「たまには早起きしましょうよ。せっかくなんだから」とにこにこしながら言った。
「起きてもこんな雪じゃ出かけることもできないし、借りている映画もテレビの録画もないよ」
僕がそう言っても彼女は気に止めない様子で、てきぱきとトーストと卵焼きを焼いて、コーヒーをいれた。
ぶつくさと言いながらも食べ終わる頃には僕の眠気はすっかり覚めてしまっていて、まんまと彼女のペースだなと思った。ただし彼女のペースになる方が楽しかったりすることも、その頃の僕は知っていた。
不機嫌を装う僕に彼女は「さあ着替えて、着替えて」と言った。
「着替えてどうするの?」
「そんなの決まってるじゃない。外には真っ白い雪がいっぱいあるのよ。しかも今日はお休み」
まさかとは思ったけれど、着替えると僕たちは外に出て、太陽の光が反射する新雪の上に雪玉を転がしていた。
最初は面倒だと思ったけれど、作ってるうちになんだか楽しくなってきて、僕は黙々と雪玉を転がした。
小一時間でふたつの雪だるまができて、自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、二人して眺めた。
翌週には舗道の雪はすぐに溶けてしまった。雪だるまは水曜あたりまで、それが雪だるまだと分かるくらいにがんばったが、やがて溶けてなくなった。
雪が降ったらまた作ろう。
雪だるまの後に出きた小さな水たまりを見て僕はそう思ったが、彼女と作ることはもうなかった。その年の夏に二人は離れてしまった。
慣れない雪道でくたびれた乗客の疲労感が漂う通勤電車に揺られながら、僕はあの時に飲んだ缶コーヒーの味と、隣にいた彼女の子どものような笑い顔を思い出した。そしてそのとき僕の作った優しい表情が皮膚に蘇り、自分の頬を手のひらで触った。




