猫に恩返し
川里隼生小説50作記念作品
もう50作目です。読んで頂いている皆様、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。
小学校から帰ってたら穴に落っこちた。困ったなあ。先生の言う通り、森に入るんじゃなかった。私の身長と体力じゃとても登りきれそうにない。森の中だし、大人も通らない。どうしよう。
「おーい」
叫んでも返事がない。
ずっと上を見てたら、猫の頭が見えた。毛の黒い猫がこっちを見てる。
「穴に落ちて出れないの。助けて」
猫はどこかに行った。人の言葉は通じなかったのかな。
「おーい」
もう人も猫も見えない。意外と泣かないもんなんだな、と思った。
「にゃああ」
猫の声がする。
「ここに何かあるのか?」
大人の男の人の声。
「ん? こんな所に穴なんてあったか?」
穴に近づいてる。ひょっとしたら見つけてくれるかも。
男の人が穴を覗いた。びっくりしてる。
「大丈夫? 怪我してない?」
「大丈夫。早く助けて」
「ちょっと待ってろ」
男の人は腕を伸ばして私を抱え上げた。
「森の中には入らないようにな。危ないから」
「ありがとうございました」
お礼すると、男の人は帰ってった。それを黒猫がじっと見てる。私も帰ろうと思ったら、こっちを振り向いた。
「にゃああ」
何か言いたそうだけど、私は猫の言葉はわかんない。何となく怖くなったから走って森を出た。時間はそんなに経ってなかった。
その日の夜、カレーを食べてる時にふと気づいた。やっぱり森に大人がいるわけない。いたのは黒猫だけ。もしかすると、あの黒猫が助けを呼んで、それをあの男の人が助けてくれたのかも。だったら黒猫にもお礼しないと。お礼するなら猫の言葉わかんないといけないよね。
次の日の朝、私は布団の中で猫になってた。真っ白な猫に。あの猫と同じ黒じゃないのは少し嫌だけど、でもこれできっと猫の言葉がわかる。あの黒猫にお礼ができる。私は開いた窓から家を出た。黒猫に会った穴を探して森に入った。すぐにその場所は見つけたけど、穴がない。
「どうした、そこの白いの」
振り返ると黒猫がいた。
「もしかして、昨日助けてくれた猫?」
「あん? あんた昨日の、人間の娘か?」
「そうだよ。助けてくれてありがとう」
「別に。お前のためじゃない。あの穴はナスタってのが部下に掘らせたんだ。俺みたいな黒猫を目の敵にしてる嫌なババアさ。あいつの思い通りになるのが癪だったから邪魔した」
黒猫は後ろ足で耳を掻きながら言う。
「どうしてナスタは黒猫が嫌いなの?」
「俺たち猫はな、前世の行いで毛の色が変わるって言い伝えがあるんだ。いい前世なら白、普通なら茶色、悪けりゃ黒。俺は真っ黒だからきっと前世で悪いことしたんだろうって」
「ふうん」
毛の色だけで嫌われちゃうんだ。それっておかしい。
「お前は真っ白なんだな。ナスタに気に入られそうだ」
タキの話は聞いてなかった。私がナスタをやっつけてやる。
「あなた、名前は?」
「あん? タキだけど」
「ナスタの居場所わかる?」
「聞いてどうすんだよ」
「いいから!」
「ついて来な」
タキに公園まで連れてかれた。
「ここ?」
「ああ。公園の中はあいつの縄張りで、黒猫は入れない」
「私、行ってくる」
タキは止めなかった。
「余計なことすんなよ。俺はここで待ってる」
ここじゃない公園には行ったことあるけど、猫の目で見る公園はなんとなくどこか違う気がする。ブランコとかが大きい。
「おい。見かけねえ顔だな。どこのどいつだ」
白い男の猫に止められた。隣にもう一匹いる。門番かなあ。
「ナスタに会いに来たの」
「ナスタ様とお呼びしろ。死にたくなけりゃな」
「ナスタ様なら向こうの茂みの中にいらっしゃる」
そこには確かに白猫のおばあさんがいた。右の前足全部に包帯が巻かれてる。
「誰だいあんたは」
「私はサオリ。あなたに話があって来たの」
「言ってみな」
ナスタの周りにはたくさんの白猫たち。
「どうして黒猫をそんなに嫌うの? 前世の行いなんて関係ないと思うんだけど」
ナスタは笑った。
「ずいぶんな命知らずが来たもんだね。この私に向かって意見するだなんて。いいかい? この言い伝えは私たちの百代も前から受け継がれてるもんなんだ。正しいのかどうかなんて考えるんじゃない。どうして正しいのかを考えな」
「だって絶対間違ってるよ。生まれてくる体は選べないもん。それで相手を嫌うのは間違ってる」
今度はナスタは怒った。
「うるさい! お前たち、そいつをつまみ出せ!」
周りの白猫たちが私を取り囲む。みんな真っ白。鋭い目をしてる。
だいたい十匹くらいの白猫たちが一斉に私を襲った。噛まれたり引っかかれたりして、私はどうにもできなかった。
「痛いよ! もう許して!」
白猫たちの向こうからナスタが言う。
「許してほしけりゃ謝るんだね」
そんなこと言われても、私は悪いことしてない。
でもこのままだったら殺されちゃうかも。
「ごめんなさい! 私が悪かったから、もうやめて!」
ナスタは満足そうな顔をした。
「その辺でやめてやんな」
白猫の一匹が私を公園の外に放り投げた。
「馬鹿な奴だ」
白猫が見えなくなると、近くの電柱に隠れてたタキが出てきた。
「結局余計なことしたのか。立てるか?」
「うん。平気。けど……」
「お前が泣くな。穴に落ちても泣かなかったくせに」
タキが慰めてくれたけど、私は泣いた。多分だけど生まれて初めて悔しくて泣いた。
「タキごめんね。私、怖くてナスタの言いなりになっちゃった。私がもっと強かったら……」
タキは右の前足を私の頭に乗せる。そしてこう言った。
「人間なんだから、猫より強いんじゃないのか?」
「そうかな?」
私は泣きやんだ。
「怪我を恐れなけりゃ強いはずだ。お前ならナスタに勝てるかもしれない」
「でも、私無理だよ。引っかかれたら痛いもん」
タキが私の目を見る。
「今度は俺も戦う。俺たちはまだやれるさ。最後までやってやろうじゃねえか」
それが嬉しかった。私はまた立ち上がった。身体中切り傷だらけで痛かったけど、元々私がタキに恩返ししたくて始めたことだから、タキだけ行かせるわけにはいかない。
また公園に入った。やっぱり門番がいる。
「またお前か。もうやめとけ、怪我するだけだ。あと黒いの。お前は公園に入ってはならん」
「うるせえ。どけ」
タキが二匹の白猫を引っかいた。タキって強いんだ。
「またあんたかい。おや? 隣にいるのは……」
ナスタがタキに気づいた。どんどん尋常じゃない顔になってる。
「どうして黒猫がここにいるんだい! お前たち、今すぐ二匹とも殺しちまえ!」
白猫たちが私とタキを取り囲む。
「ぬかるなよ」
後ろからタキが言う。「ぬかる」の意味はわかんないけど、とりあえず「うん」って言っといた。目の前から襲ってくる。グーにして叩いてみる。
「ギャッ」
短い悲鳴を上げて倒れた。ナスタが目を丸くしてる。
「何だいあんた、何者なんだ。ま、まさか……」
「そうさ。こいつは人間だ。小娘だけどな」
タキが言い放った。余計にナスタがひどい顔になる。
「おのれえ! もう許さん! この私が地獄に送ってやる!」
私が人間だと聞いたらもっと怒った。
「喰らえ!」
右の前足で私を引っかこうとする。私はその足を引っかいた。ビリ、って音がして包帯が取れた。ナスタの右の前足は黒かった。
「ナスタ様、それは……」
白猫たちがびっくりしてる。私もタキもびっくりした。
「これはね、生まれつきの模様なんだ。生まれつきの模様なのに、変な言い伝えのせいで悪者扱いされる。だから私はこうやって自分を偽って生きてきたのさ。それに人間の娘、あんたらは白猫ばっかりかわいがって、黒猫には見向きもしないじゃないか」
ナスタはそう言うけど、私はそうは思わない。
「そんなことないよ。猫はみんなかわいいもん」
最初にタキと会ったとき、少し怖いと思ったけど。今のタキは全然怖くない。
「そうかい。人間のあんたがそう言うなら、言い伝えは間違いなのかもねえ」
「ナスタ様、では……」
白猫の一匹が言った。
「ああ。これから公園を解放する。猫なら誰でも入っていい場所にしよう。白でも黒でも、猫は猫だ」
白猫たちは町中の猫にこのことを伝えるため、公園から出てった。
「あんたはどうするんだい」
ナスタが私に聞いた。
「恩返しが終わったから人間に戻る」
「じゃ、俺ともお別れだな」
タキは少し寂しそう。
「またあの森に来るよ。今度は魚持ってくる」
タキは笑った。
「俺は山育ちだから、ウインナーがいいな」
タキたちの公園から家に帰って、布団に潜り込んだ。目が覚めたら人間に戻ってた。そのうち人が猫に変わるのがおかしいって気づいたけど、次の日になって森に行ってみたら黒猫がいた。
「にゃああ」
きっとタキなんだろうな。ウインナーを美味しそうに食べたから。