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後編

居酒屋でのお見合いから一ヶ月ほど経過した。


結局、駅まで連れ立っての通勤は初日に実現したきりだった。


理由は彼の仕事が忙しくなって、家を出る時間がいつもより一時間も早くなったからだ。


私は合わせるつもりは毛頭ないので、頑張ってください、とエールを送り丁重にお断りした。


それでも、彼はラインやら短い電話をかけてきては私との仲を縮めようと一生懸命に連絡を絶やさなかった。


私は、と言えば居酒屋お見合いの時の胸の高鳴りは一晩で収まってしまって、次の日の朝、彼の顔を見てどうしたものかと思案している。



別に好きな人がいるとかじゃないので、あの日のときめきが嘘だったと言い切れない。


まあ、正直迷っている。


断るほどではないが、結婚、という現実が待ち構えていると思うと腰が引ける。



周りの友人達はまだ遊びたいとか、そろそろ付き合っている相手と考え出す頃で焦っている感じはない。


「あんたが周りに合わせたことあったっけ?」


友人の一人がスマホ越しに声を荒げる。


「私ほど協調性に特化した人間はいませんよ?」


とりあえず言ってみると通話が切断された。


五分後、その友人からラインが送られてきた。



デートせよ



その一文のみだった。



デートですか……



私はデートをまともにしたことがない。



付き合った人々とは部屋で過ごすばかりだったのだ……


そんな退廃的な思い出をすみに追いやり、私はさっそく彼にデートを提案すべくスマホを操作する。



「行こう!ぜひ!」



そんなに嬉しそうにされたら反対に私は行きたくなくなった。



彼は車を出して遠出をしようと提案してきた。


海へ行こう、と言ってきた。



私は海は好きではないことを伝えると、アウトレットパークやら動物園やらと次々に候補が飛び出してくる。



私は車を使ったら、後戻りできない行為を必然的にしなければならないことを分かっていた。



彼も脳内の半分、いや九割はそのことを考えているに違いない。


殿方に考えるなと言う方が酷だ。


「徒歩で行ける所がいいです。その日は姉が夜に帰ってくるので、早めの解散が都合がいいのです」



取って付けた私の都合に、彼は一瞬、言葉を失ったようだった。


しかし、気を持ち直したのだろう、了解、了解と、早口で近所の公園を提案してきた。



公園と言っても、ちょっとしたハイキング気分で森林浴ができるほど広い敷地に、アスレチックや整備された芝生の広場、野球場、テニスコート温水プールがある。


つまりは運動公園だ。



日曜なので、学生の試合があればそれを冷やかしつつ散歩でも、と彼は言う。


私は了承し、通話を終えた。



電気を消し、部屋を外と同じ暗さにして、カーテンを開ける。



少しだけ見える彼の自宅の屋根。



もう仕事から帰っただろうか?



そんなことも訊かず、私は電話をしていたのか。



しばらく彼の自宅の屋根を眺めた後、カーテンを閉めて休むことにした。



デート当日、青空が広がり爽やかな風が私の髪をなびかせた。


「お待たせしました」



「待ってない、待ってない。さっき来たとこ」



公園の入り口で待ち合わせていたのですぐに合流できた。



「あ、なんかね、色々試合してるみたいだ。野球にサッカー、ソフト、バスケも体育館でやってるって」



「へえ……」



私はスポーツに興味は無い。



けれど、彼がさっきからにやけっぱなしなので、一応、目を見開いて関心を示すふりをする。


もしかして、下見してきたのだろうか……



「行こうか」



「はい」


公園内は賑わっていた。


学生達の若い雰囲気に気後れしながらも、だんだんと慣れてくる。


グラウンドや体育館を一通り見て終わる頃にはほどよい疲れが木陰のベンチへと自然に足を向かわせた。


少し離れた所にある自動販売機で彼がジュースを買ってくれた。



「すみません」



「ありがとう、でしょ?」



私を諭すように彼が不意に真面目な顔をする。


さすが、先生……小学校の……



「ありがとう、ございます」



「ございますはいいよ」


彼は照れたように頭を掻いて、私の隣に座った。



「っはー!しかし、いい天気だね!」



ペットボトルのジュースを一気に半分ほど飲んで、彼が空をあおぐ。



「はい」



私も一口、ジュースを飲み、周りの景色に目線を漂わせた。


目の前の芝生の広場は、家族連れで賑わっていた。



「生徒さんがいるんじゃないですか?」


意地悪で訊く。



「いてもいいよ」



分かったように彼が微笑んで私を横目で見る。


私の心を許すように。



「あー!先生じゃん!」



甲高い、幼い声がいくつも重なって飛んでくる。



「ん!本当にいやがった!ちょっと行ってくる」



彼は声の集団に驚き、でも、すぐにそちらに駆け寄っていく。



受け持っているクラスの生徒達だろうか?

ざっと十人ほどいて、男子も女子もまざっていた。



彼の勤める学校は、ここからは遠い。

きっと自転車で遠出してきたか、親達に車を出してもらったかだろう。


生徒達があからさまに私を見てニヤニヤしている。


彼はからかわれているのだろう、唇を尖らせ、慌てているようだ。


おや?


一人、私を睨んでいる女子がいる。


なるほど、彼が好きなんだね。


「先生さよならー!」


なんとか私の方への接近を阻止した彼は、生徒達のにやけ顔に手をふった。



「びっくりした!ごめん!お待たせ」



彼が暑くもないのに額の汗を手で拭う。


「いえいえ」



「なんか、生徒のお兄さんの試合を応援に親御さん達と来たらしい」


内心は慌てたのだろう。

彼の汗はなかなかひかなかった。


「生徒さんに人気があるんですね」


「完全になめられてる。まあ、上級生だからね、自立心を大事にしないと」


本当になめられてるんだろうな、と彼の上級生だからね、からの言葉に苦笑した。



でも、さっきの様子だと大丈夫そうだ。


きっと、私を睨んでいた女子が皆から彼を守るに違いない。


他の生徒達も彼をキラキラしたまなざしで見上げていた。


「あ、時間」


彼がスマホを取り出し、私のタイムリミットを気にする。


「ゆっくり歩いて帰りましょうか」



私は微笑んで立ち上がり手を差しのべると、彼は一瞬、痛みを感じたような表情を浮かべてすぐに消し、私の手をつかむ時には無表情だった。



彼の手は、大きくて、熱くて、湿っていた。



私の手は、小さくて、冷たくて、乾いていた。



公園を出ると、さっきの女子が道路脇で待ちかまえていた。



「どうした?」


彼は私から手を離さないで女子に呼びかける。


私は離そうとしたが、彼が握る力を強め、そうさせない。


せめて、と思い自分の背中に二人の手を隠した。


彼は、女子の気持ちに気がついているのだ。



「皆とはぐれて……」


もう、泣いてしまいそうに表情をゆがめた女子が弱々しい声を出す。


「そっか。きっと駐車場だ。場所、分かるか?」


「………」


女子が頭を左右に振ると、涙が飛び散った。



「泣くなよ……先生が一緒に行くか?」


「……はい」


女子が私をちらりと見て、頷いた。



「じゃあ、行こう」


「え?」


彼は私の手を引っ張り、もと来た道を引き返す。


女子と私は驚いてつい、お互い目線を交わした。


少しだけ抵抗してみたが、彼はかまわず歩き続ける。


「次はいつデートする?」


女子がついて来ているのを彼は確認すると、すごいことを訊いてきた。



「………」



私は何も言えず、目を伏せるしかない。


小学生でも、あの睨みは女だ。

女の敵に私はなれない。

姉で充分に懲りている。


「……もしかして、おれとの結婚、今日、断るつもりだった?」



私は思わず顔をあげる。


彼は切なそうに笑う。


「何となくは分かってたんだけど、やっぱりそうだった?」



「……あの……」



「いいよ。結婚だもんね。よく選ばないと」



「………」



私は胸が痛くなった。


初めてだった。



「サイテー」


後ろから女子が呟く。


「ちが……」


私は思わず立ち止まる。



彼は手を離して私と向かい合った。


手が寒い……



「あの、私は、誰かを……本気で好きになったことがありません」


「マジで?大人なのに?」


女子が声を荒げる。


彼が片手をあげて制する。



痛い視線が背中に突き刺さった。


また睨まれているのだろう。


「私、欠陥人間なんです。情緒が足りないっていうんでしょうか……人の気持ちが分からないことが多くて、だから、あなたに、相応しくないです」


私は自分について、もしや……と思っていたことをついに口に出した。


冷たい、と何度か言われたこともあった。


どうしてか、彼に、知ってほしかった。


断る口実とかじゃなくて。


「手、つないでくれたのって、おれへのご褒美的な?」


見事に当てられ、私は血の気が引いた。


「サイッテー!」


突き落とすような女子の言い方に、私は立っていられなくなりそうで、街路樹にもたれかかろうとする。


「それでもいい。おれが好きだから」


あたたかいものに包まれ、私は何が起こったのか理解できない。



「せんせー!マジで言ってる?こいつ、人を好きになれないって言ってるよ!」



「……それでもいーの!」


彼の胸の中で声が響く。


「おかしいよ。騙されてるよ」


「それでもいーの!」


「……ばかじゃないの?」


「この人に関してはばかでもいーの」


私の頭を大きな熱い湿った手が撫でる。


「あ、おい!駐車場、分かるのか?」


彼が女子を慌てて呼び止める。


「……こっからは分かる、せんせーさよーなら!ニュースになっても知らないからね!」


すっかりあきれてしまったのか、女子の声は乾いて、足音もさっさと遠のいていった。


「ほっとけー……」


小さな声で、嬉しそうに彼が囁く。


「あっと、ごめん。もうしない。あいつら、嘘を見抜くからさ、こうでもしないと納得しないんだ……」


彼が私を慌てて手離し、また帰り道へ方向を変えた。


もうしない、って……


「もう、連絡しないし、両方の親にはおれから上手く言っとく」


「……あの……」


「あーあ、君の時間があれば、すぐそこに焼き肉のうまい店があるんだけど……」



「あの……」



「その後はこわーいDVDをおれの部屋で観たかったな」



「あの」



「……いーよ。無理しなくて。居酒屋ではちょっとおれに興味あるかな、と思ってたけど、次の日会ったらもう違ってたし、おれ、諦め悪いからなぁ、ごめん」


彼が振り向いて、寂しそうに微笑んだ。


「あの!」


自分の声に驚いて、私は持っていたカバンを落としてしまう。


「なに?びっくりした。生徒達よりおっきい声」


彼は可笑しそうに目を見開き、カバンを拾ってくれた。


「あの子が嘘を見抜くって……さっき言ってくれたこと、本心ですか?」


私はカバンを受け取らず、挑むように彼を見据える。


「……そうだよ」


胸が潰れそうに痛い。


そんな真面目な顔をしないでほしい。


「私、好きになりたい」


「………」


「あなたを好きになりたいです」


「………」


「こんな気持ち、迷惑ですよね……」


「………君はまだ子供だったんだね……」


彼は泣いていた。


なんで?


「しゃーない。それでもいいよ」


彼は両手でグシャグシャと涙を拭い、笑って私のカバンを肩に担ぐ。


「その代わり、今度、焼き肉屋に行って、おれの部屋でDVDだから」


「ご実家ですよね」


「……そうでした」


「焼き肉、今から行きましょうよ」



「え?お姉さんはいいの?」


「実は私、姉の下僕なんで、姉が帰ってくるとそばを離れられないから……」


「ぶは!」


彼が盛大に吹き出す。


「あははっ!おばさんが言ってたこと本当だったのか!お姉さんは君を溺愛してるって!」


「で、溺愛?私は姉のオモチャなんです!」


私は怒り心頭で、地団駄を踏んでいた。


「ど、どうどう……落ち着いて。焼き肉食べながらゆっくり聞くから」


彼が私の手を握り、ゆっくりと自分に引き寄せた。


「あ、姉は勝手なんです……」


「うん」


「姉は家族を振り回してですね……」


「……うん」


「聞いてます?」


「聞いてる、聞いてる」




〈おわり〉


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