【7】『彼』の優しさ
応接室に一人待たされる。
時間になると、グエンと一緒に一人の男が部屋に入ってきた。
彼は私を一瞥してから、グエンを下がらせる。
二人っきりになると、親しげに微笑みかけてきた。
「お久しぶりですね、リサ。何百年ぶりでしょうか」
ラザフォード領にやってきた騎士団のトップは、ニホン人らしい薄めで誠実そうな顔立ち。
細身でピンと伸びた背に、尻尾のように結ばれた黒髪が揺れていて。
あぁ、やっぱり『彼』だと思った。
ウェザリオの軍事責任者。
騎士団のトップ、カザミヤイチ。
けれど、ただ私が知っている『彼』と、今の『彼』の纏う空気は驚くほどに違っていて。
本当に同一人物なのかと戸惑う。
研ぎ澄まされた一振りの刀を思わせる雰囲気を持っていたのに。
私に微笑む目の前の『彼』――カザミヤイチは、穏やかな目をしていて。
「……お久しぶりです。ヤイチ様」
その瞳の中に、私への憎しみを探し出せない。
むしろ懐かくて愛おしむような色を見つけて、心がざわついた。
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「レティシアに忍ばせた間者から、あなたの報告は受けていますよ。長い間お疲れ様でした」
ヤイチ様が労いの言葉をかけてくる。
ふわりと柔らかい声で。
「……まだです。あと一つだけ、神殿が残ってるんです。このラザフォード領のどこかにあるみたいで」
「なるほど。それで私の元へ来ずに、ここに留まっていたのですね」
私の言葉に頷いて、ゆっくりとヤイチ様はティーを飲んだ。
まるで、日常の会話のようなそんな雰囲気だった。
「今日はあなたの顔を見るのと、これを渡すためにここにきました」
すっとテーブルの上に差し出されたのは、書類。
しかし私はウェザリオの文字が読めなかった。
魔法大国レティシアと、隣国ウェザリオは国交がほとんどなかったためか、文化も違えば、文字も使う言葉も違う。
以前ウェザリオに滞在していた時に、日常会話くらいはできるようになったのだけれど、文字まではまだ理解していなかった。
ちなみに、レティシアの言葉なら習わずとも最初からわかったし、喋ることもできた。
自分がレティシアの言葉を話していると、気づかないくらい自然にだ。
文字も魔術言語も、昔から知っていて復習しているような感覚で、すぐに身につけることができた。
その理由はよくわからない。
けれど、現実世界でネット小説とかも読んでいた私は、異世界のお約束みたいなものかと適当に流していた。
「これは何ですか?」
「この国で暮らすトキビトの許可証です。手続きに手間取って、ここに来るのが少し遅れてしまいました」
書類を指して尋ねれば、ヤイチ様はそんなことを言う。
ここにサインをと言われたけれど、私はそれを躊躇した。
私がこの国に帰ってきたのなら、それは全てが終わった時。
なら、今から死ぬ私に、これは必要ないもののはずだ。
神殿のために滞在許可を貰うつもりではいたけれど、初めから準備されているという事が心にひっかかる。
「――ヤイチ様は、全てが終わったら私を殺してくれるんですよね?」
確認するように尋ねれば、ヤイチ様はそんな私を見て悲しげに微笑んだ。
そんな事を、口にしてほしくなかったというように。
どうしてそんな顔をするのか。
理解できなくて、混乱する。
「……リサ。最初から、あなたを責めるものは誰もいないんですよ。あなたのしたことに罪はない。許されて、幸せになっていいんです」
「っ、どうしてそんな事を今更言うんですか!」
ぽつりと呟かれた言葉に、声を荒げる。
私が望んでいたのは、そんな言葉じゃなかった。
「私に死を許さなかったのは、ヤイチ様じゃないですか。生きて償えって言ったじゃないですか!」
「あなたはレティシアに操られていただけで、むしろ被害者だ。そんなあなたに、償いを求めるなんてするわけがないでしょう」
言葉をぶつければ、ヤイチ様は落ち着きのはらった声でそんな事を言う。
「生きて償えとあなたに言ったのは、私じゃありません。あなたを助けた、私の友人です。彼女は――あなたに生きていて欲しかったんです」
ずっと黙っていた事を悪いと思っているかのように、ヤイチ様は打ち明ける。
そこには私を気遣うような響きがあった。
「あなたの性格上自分のしたことを全て知れば、死を選ぶ。それを自分は望まない。償いを求めれば、それが終わるまで責任感の強いあなたは生きてくれるからと、そう頼まれました」
どんな形でも、あの子はあなたに生きていて欲しかったんですと、ヤイチ様は切実な様子で口にする。
「でも、ヤイチ様は私を憎んでくれてましたよね!?」
「……頭の中では、あなたが悪くないことくらいわかっていたんですけどね。目の前で仲間や友を何人も殺されて、平然としていられるほど歳を取ってなかったんですよ」
私の問いかけに、懺悔するようにヤイチ様は答えた。
「私も騎士の端くれです。平和に越した事はありませんが、時には戦いがあり、犠牲があることもわかっている。誰かに恨まれることも、私自身してきています。ですがあなたのした――魔術師があなたにさせた行為は、大儀も何もなくただの虐殺だった。それがあの時の若い私には許せなかったんです」
一夜にして壊滅した、レティシアの北に位置する小さな国。
民も建物も、全て消え去って。
今でもそこは砂漠で、遺跡が残っている程度だ。
それを私は、この国でもやろうとした。
魔術師にとって、それはただの脅しだった。
豊かな資源があるこの国を砂漠にしたところで、得るものは何もない。
武力で従わせその富を搾取するのが目的だった。
ただ、魔術師には私を制御しきれる器がなかった。
脅しとして空に打ち上げられた太陽のような高熱の固まりが、大きさを増すにつれて、魔術師に私の魔力が逆流した。
そして、彼は死んだ。
制御できるものがいなくなり、それはどんどん大きさを増して。
私を攻撃すれば、あれが落ちてくるから誰も手が出せなくて。
そんな私を止めてくれたのは、当時のウェザリオの宰相で。
顔も覚えてないけれど、私を抱きしめてくれたことだけは覚えている。
私の魔力を全て自分の身に移し、魔素へと逆変換して。
その上私を魔術兵器の束縛から解き放って、力尽きた。
「……もうあなたは、十分に罪を償った。彼女もあなたがこんな風に生きることを、本当は望んでなかったんです。幸せになって欲しいと心から願っていた。でも、あなたは今でも自分が許せないままなんですね」
俯いた私に、ヤイチ様は呟く。
「生きるのが辛いですか?」
「……はい」
顔をゆっくりあげて、ヤイチ様の方を見れば、瞳が苦しげに揺れていた。
この人は優しい。
きっとずっと、私のことで思い悩んでくれていたんだろう。
それがその瞳から伝わってくる。
「なら全てが終わって。あなたがまだ死を望むなら」
一旦言葉を切って、ヤイチ様は黒い瞳で真っ直ぐ私の瞳を見つめてくる。私の気持ちを汲み取ろうとするように。
「――約束通り、私があなたを殺してさしあげます」
柔らかな声は、どこか悲しさを含んでいて。
「ありがとうございます」
礼を言えば、ヤイチ様は小さく首を横に振った。
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「あなたは敵国の印をここの騎士に見られています。いきなり正式に国が認めたトキビトだという事になれば、騎士たちが不審に思うでしょう。ですからしばらくは、グエン預かりの捕虜という形を取ってもらいます」
「はいわかりました」
ヤイチ様の言葉に頷いて、書類にサインする。
これで私は、国から保護されたトキビトになったらしい。
別に必要ないんじゃないかと思ったけれど、これがないと滞在を許可できないと言われてしまったのだ。
元魔術兵器だということは、極秘にすること。
ヤイチ様と顔見知りだという事も、怪しまれるといけないから秘密にすることを約束させられた。
同時に雇用契約書にもサインさせられる。
正式に、ラザフォード騎士団のメイド兼料理人として迎え入れる旨がそこには書き記されているようだった。
色々きっちりしすぎていて、まるでニホンにいるみたいだとそんな事を思う。
「いやでもよかったです。いくら募集をしても、ここに勤めてくれる人がいなくて。国の方でも困り果てていたんですよ」
ヤイチ様は心底嬉しそうにそんな事を言う。
「そんなにココは、人手不足なんですか」
「本来罪人である医者たちを、減刑を条件に使っている時点でわかってもらえると思います……そのツテで他にもそろえたのですけれど、ソリが合わなかったようでして」
わかってて尋ねれば、ヤイチ様はげっそりした顔で遠い目をする。
ここに在駐している医者は二人。
一人は人を解剖するのが大好き。もう一人は薬に詳しく、いつだって人体実験したいとうずうずしてるような変態だ。
彼らのいる医務室には、はっきり行って全く行く気がしない。
ヤイチ様の苦労が忍ばれた。
「まぁでも、リサはうまくやっていけているようですね。グエンからの話だと、すでに姐さんと呼ばれて騎士たちからの信頼も得ていると聞いています」
気を取り直したように、ヤイチ様がそんな事を言う。
「そうそう言い忘れるところでした。この国にトキビトが滞在するには、後見人が必要なんです。世話役みたいなものなのですが、実はあなたの後見人になりたいとグエンが申し出ているんですよ」
色んな書類の不備がないか目を通しながら、ヤイチ様がふっと笑う。
そんな事、初耳だった。
「あの子は本当に昔からリサが大好きみたいですからね。ここで出会ったのもまた運命なのでしょう」
親が子の成長を微笑ましく思うような顔。
グエンときたら、ヤイチ様に何を言ったんだろうか。
……ん? 昔から?
ヤイチ様の言葉に引っかかりを感じた。
「ヤイチ様、私とグエンが出会ったのは二週間前ですよ?」
私の言葉にヤイチ様が首を傾げた。
「……あなたはグエンに求婚されてるんですよね?」
「いやまぁ、オレの女になれとかはよく言われますけど、からかってるだけだと思いますよ?」
ヤイチ様は困惑した表情になった。
ふいに、グエンがヤイチ様を育ての親だと言っていたことを思い出す。
「そういえば、ヤイチ様がグエンの育ての親なんですよね」
「育てたと言えば育てましたが……もしかしてリサ、グエンから何も聞いていないのですか?」
「聞くって何のことです?」
尋ねれば、ヤイチさんはそういうことですかと呟いた。
「私が育てたと言ってもほんの数年の事なんですけどね。保護した時のあの子は野生化していて、手を焼きました」
面白い話でもするように、ヤイチ様は笑う。
野生化って何だろう。
ちょっと気になったけれど、ヤイチ様に呼ばれて当の本人のグエンが部屋にやってきたので、話はそこで打ち切られた。
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「グエン、彼女をあなたに一任します。捕虜としての刑は、ラザフォード騎士団のメイド兼料理人を五年勤めること。その後はあなたを後見人として、国のトキビトとして正式に認めます」
「ありがとうございます、ヤイチ様」
ヤイチ様に言い渡されて、グエンは綺麗な動作でお辞儀をする。
ちらりと私に寄越してくるグエンの視線は、だから大丈夫だと言っただろうというような感じだった。
ほっとしてるような雰囲気があって、私の事を案じていてくれたんだなというのがわかる。
少しそれが嬉しかった。
その後、グエンと話があるとヤイチ様が言うので、私は部屋を出た。
一旦広間に戻って、自分の部屋へ行こうとしたら騎士たちが勢ぞろいしていた。
「あっ、もしかしてもう夕飯の仕度の時間?」
結構話しこんじゃったからなぁと思っていたら、そうじゃないですよと勢い込んで言われた。
「姐さん……王都に連れて行かれちゃうんですよね? しかたない事だってわかってるんですけど、できれば刑期を終えたらここに戻ってきてくれないかなって」
「ここでこんなに長らく働ける奴で、まともなのってあんたくらいなんだ。料理も美味いし、できればここにいてもらいたい」
「隊長も寂しがりますよ!」
騎士たちは、口々にそんな事を言ってくる。
どうやら、私を引きとめようとここで待っていたらしい。
――これは……嬉しいかもしれない。
必要とされているという事に、思わず顔がにやける。
「心配しなくても、しばらくここにいるわよ。私の刑は、ここで料理人兼メイドをすることらしいから」
そう言えば、皆が嬉しそうに歓声を上げる。
「なんだもう報告したのか」
すぐにグエンが後からやってきて、私の肩に馴れ馴れしく手を置いてきた。
「隊長、良かったですね!」
「あぁ、死ぬよりもオレたちの世話をする方が罰になると思われたらしい」
騎士たちの言葉に、くくっと楽しそうにグエンが笑う。
「……確かに、こっちの方がよっぽど大変かも」
ぷっと吹き出せば、グエンがにやりと笑って。
「あぁ、間違いない。今日からお前は正式に俺らの騎士団の一員だ」
そう言ってグエンが肩を引き寄せれば、冷やかしの声が上がる。ちょっと調子に乗ったグエンが顎を引き上げてキスしてこようとしたので、足を思いっきり踏みつけてやる。
こうして、私は正式にラザフォード騎士団に迎え入れられたのだった。
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