【4】私のあだ名
「こいつはオレが拾ってきた奴で、名前はリサ。国から指示があるまで騎士団で身柄を預かることになった。手は出すなよ?」
夜、皆が揃ったところで、グエンが私を騎士たちに改めて紹介した。
やんややんやと、騎士達が私に向かって好奇の視線を向けてきた。
中には当たり前のように、卑猥な言葉を投げかけてくる奴がいて。
――今すぐ魔術で氷付けにしてやろうか。
そう思ったけれど、笑顔でぐっと耐える。
仮にも助けてもらったのに、いきなり暴力沙汰はよくない。しばらくここで過ごすのだから尚更だ。
神殿を探すのにこの場所という宿があるのは、とても都合がよかった。
魔術で洞窟を暖かく保つことはできても、ふかふかのベッドまでは再現できないのだから。
平常心平常心と自分に言い聞かせていたら、いきなり手を掴まれグエンに抱き寄せられた。
ん?と思った時にはもう遅く、顎を上に持ち上げられてキスされる。
しかもとびきり濃厚なやつ。
ご丁寧に、魔術が使えないよう、紋章ごとがっちりと手を握りこまれていた。
「こいつはもうオレの女だ。この意味、わかるよな?」
グエンがその一言を放てば、さっきまで騒がしかった騎士たちが黙り込む。
有無を言わせない威圧感がグエンからは出ていた。
何を勝手なことをと思い、急所に一発蹴りをお見舞いしてやる。
「っ!」
さすがのグエンもこれは痛かったらしい。
俯いて、歯を食いしばっていた。
「いきなり何すんのっ! 一体、誰がいつあんたの女になったっていうのよ!」
「……あぁ?」
怒鳴りつければ、グエンが視線だけで人を殺せそうな目で睨んでくる。
「一日中で裸で温めあったのを忘れたのか?」
「あれはそういうのじゃないでしょ! 大体、人の胸揉んだかと思えば、こんな……キスだなんて。それが騎士のする事なの!」
今更何を言い出すんだというような態度のグエンに、ムキになって答える。
確かに、私はグエンと裸で毛布にくるまっていた。
けれどそれは冷え切った私の体を温めるための処置で、そういう事は一切何もなかったのだ。
何を考えてるんだ、この男は。
戸惑っていたら、グエンは再度私を引き寄せて顔を近づけてきた。
力が強すぎて、手を振りほどくことができない。
「そういうのって、どういうのの事だ? こいつらにもっと聞かせてやれよ」
グエンは唇が触れ合うような距離で、色っぽく囁いてくる。
騎士たちを煽るかのような口調で。
「あんたね……!」
こんな言われ方だと、まるで何かあったみたいじゃないか。
苛立ちから顔を赤くすれば、くっくっと喉を鳴らしてグエンは楽しそうに笑った。
「それじゃ、これからオレはお楽しみだから。今日はこれで解散だ」
その言葉と共に、私の体が宙に浮いて、グエンの肩に担がれる。
「ちょっと何すんの!」
「何って、決まってるだろ?」
いきなりの事に魔術を使うのも忘れ、ジタバタと暴れる私を持ったまま、グエンはその場を後にした。
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グエンは自分の部屋につくと、ベッドに私を放りなげた。
「こういうことするのって、騎士以前に男として最低だと思うんだけど」
きっとグエンを睨みつける。
「まだ何もしてないだろうが。大体アレはポーズだ」
いざとなったら魔術を使おうと手を構えたのに、グエンは気だるそうに私に背を向けてベッドのふちに座った。
「ここの奴らは女に飢えてるからな。オレがあぁでもしないと襲われてたぞ、お前」
グエンの言葉に驚く。
私の事を何も考えていなかったわけじゃないらしい。
どうやら騎士たちの前でのあのパフォーマンスには、牽制の意味があったようだった。
――これは礼をいうべきなんだろうか。
でも正直、危険度でいうとグエンもその部下の騎士達も変わらないような気がする。
それに、そんな事をしてもらわなくても、私なら対処できた。
そもそもだ。
こっちは初めてのキスだったというのに、あんなのが最初だなんて。
最悪もいいところだ。
思い出してムカムカとしてくる。
「なんだ不満そうだな。もしかして、キスもしたことなかったとか言うんじゃないだろうな」
くくっとからかうように、グエンが肩越しにこっちを見てくる。
「……っ!」
「なんだ図星なのか」
声を詰まらせた私を見て、グエンは意外だというような顔をした。
「男をあしらいなれてるから、それなりに場数を踏んでるのかと思ってたんだけどな。へぇ、そうかそうか」
にやにやと笑う。
馬鹿にされていると思った。
取り合えずグエンの頭の上に、巨大な氷の塊を魔術で作り出して落としてやる。
ゴンといい音がして、グエンの頭に当たった。
「……喧嘩売ってんのか? あぁ?」
「最初に喧嘩売ってきたのはそっちでしょうが」
グエンが立ち上がり、腰の剣に手を掛けた。
私もまたベッドの上で立ち上がり、術を使うために手を構える。
魔術で小さな爆発を起こしたり、グエンの足元を凍らせたり。
グエンはグエンで私の攻撃を剣で弾きながら、対応してきて。
私の方が魔術の威力を手加減しているとはいえ、隊長だけあってグエンはなかなかやる奴だった。
どんどんグエンの攻撃に遠慮がなくなってきて、つい夢中になって応戦していたら、気づけば窓から朝日が差し込んでいた。
部屋はボロボロ。
私達ふたりは汗だくで、疲れ切っていて。
「さすがにやめにしない?」
「そうだな。オレもそう思っていたところだ」
二人して休戦を申し出て、とりあえずお腹が空いたので何か食べようという話になった。
食堂に行って、料理を作る。
騎士たちの朝食の時間には早かったので、自分達の分だけ作る事にする。
肉を焼いて、パンに挟むだけの簡単なものだ。
それを皿に用意して、向かい合って食べる。
「思ったんだけど、食材少なくない? いや量はあるんだけど、種類がないっていうかさ。肉や魚は全部乾燥したモノだし、野菜に関しては根菜ばかりで葉モノがないんだけど」
「しかたないだろ。生モノはここに届ける前に腐るんだ。大体、ふもとの街からここまで天候にもよるが、三日はかかる。その上一週間に一回しか食材は運ばれてこないからな」
私の質問に答えながら、グエンがパンを齧る。
急に雪が降ったりかと思えば、真夏のような天候になるこの領土。食材が痛みやすく、ここまで持ち込むのも大変なんだろう。
けど、だからといって、ずっとこれでは飽きてしまう。
栄養バランス的にも偏っているから、ここの騎士達は皆あんなにぎらついてるんじゃないだろうか。
「鶏とか飼わないの? せめて卵とかあれば少しは料理がまともになるんだけど」
「飼ってみたこともあるんだが……いつも気づくと食われてるんだよな。まぁ、腹を空かせた騎士共の仕業だと思うが」
困った奴らだというようにグエンは言う。
そのレベルで、ここの騎士たちは飢えてるんだろうか。
そんな事を考えていたら、私達の座っていた食卓に、一人増えていた。
「っ!」
全然気配に気づかなかった。
思わず立ち上がって距離を取る。
「あぁ、こいつは副隊長。名前は……忘れた。影が薄いのが特徴だな」
グエンにさらりと酷い紹介をされた男は、まるで幽霊のように生気のない顔をしていた。
「……昨晩は外まで物音が響いてましたよ」
ゆっくりと席にもどれば、副隊長はぼそぼそと言いながら胃を押さえ、グエンと私に目を向けてくる。
「あー、すいませんでした」
最初に手を出したのは自分なので、素直に謝る。
そうすれば、副隊長は小さく首を横に振った。
「いえ、あなたが謝ることではありません。早く子供をつくって隊長が落ち着いてくれれば……私も楽ができます。頑張るのはいいことです」
責めたわけじゃないんだというように、副隊長がほんのりと微笑む。
思いっきり何か勘違いをされている上、色々ぶっとびすぎていて、言葉もでなかった。
ぷっとグエンが私の顔を見て吹き出す。
「あぁ、まかせておけ。この調子だと、すぐにいい報告ができそうだ」
「……それは何よりです」
笑いを堪えた震え声でグエンが告げると、副隊長は満足気に席を立って行った。
「ちょっと、アレ誤解されちゃってるんだけど!」
「いいんじゃないか? 勝手にさせとけ。面白いしな」
我に返って抗議すれば、グエンは平然とそんな事を言う。
「私は面白くないの! 今すぐちゃんと説明してきなさい!」
「事実にしてしまえばいいだろうが」
ドアの方を指差した私に対して、グエンがなんてことないように口にする。
「事実って……どうしてそんな発想になるわけ? ここの騎士はそこまでに女に飢えてるの?」
女なら誰でもいいのか。
そう思って口にすれば、心外だなというようにグエンが肩をすくめた。
「ここの騎士共の大半はそんな感じだが、別にオレは困ってない。わりとモテるしな」
自分でそれをいうかと思ったけれど、まぁわからなくもなかった。
グエンはそこにいるだけで威圧感のあるような男なのだけれど、精悍な顔立ちをしている。
たくましい体つきと、少し危険な香り。
女の人にもてそうなタイプだった。
「ならなおさら、私にそんな事いう理由がわかんないんだけど」
「お前が欲しいと思ったからだ」
グエンが真っ直ぐに私を見つめてくる。
その瞳は、獲物を狙う獣のような鋭さがあって、ぞくりとした。
「このオレに対して遠慮が無いし、歯向かってくる。それに何より強い。こんな女、めったにいないしな」
「……あんた変わり者って言われない?」
自分に対して反抗してくる女の何がいいのか。
さっぱり私にはわからない。
可愛くて素直にいう事を聞く女の子の方が、絶対いいに決まっているのに。
虐められて喜ぶ趣味でもあるのか、それとも「強い=素敵」みたいな図式が頭の筋肉に存在しているのか。
残念なモノを見る目つきでグエンを見ていたら、グエンが身を乗り出してきた。
「オレは今、お前に好きだから付き合えって告白してるんだがな。そこのところ、ちゃんとわかってんのか?」
「えっ?」
そんな甘い雰囲気だっただろうか。
いやそもそも、出会ったばかりだ。
何を言ってるんだこいつはと戸惑っていたら、グエンがテーブルの上においていた私の手を掴んだ。
右手の紋章を包みこむようにして、ぎゅっと握ってくる。
魔術師は、紋章に自ら触れることで術に魔力を循環させることができる。紋章をこういう風に抑えられてしまうと、術を使うことができなかった。
「それで、返事は?」
逃がさないというように、手に力を込められる。
はい以外の答えを許す気があるんだろうか。
そう問いたくなる、鋭い眼光が私を射抜いていた。
「……お断りするわ」
「そうか。なら、頷くまで口説くだけだな」
断ればあっさりとグエンはそう口にした。
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ラザフォード領では、魔物の動きが活発になる夜は外出禁止らしい。
そのため、昼は領土の見回りや訓練にいそしんでいる騎士たちも、夜になると全員食堂に集まってきて、夕飯を食べる事になっていた。
これがまた騒がしい。
「昨日は激しかったようですね、隊長!」
騎士達は、私とグエンがそういう関係なのだと完璧に勘違いしているようだった。
「リサが寝かしてくれなくてな」
グエンもグエンで、しれっとそんな事を答える。
どこの世界に爆発音や破壊音が響く、情事があるというのか。
「大丈夫ですか、姐さん。ぐったりしてるようですが。隊長しつこそうですからね」
「姐さんも大変だな。絶対今日も寝かしてもらえねーぜ」
気遣わしげに、私に声をかけてくる家事当番の若手騎士たち。
彼からはからかいの他に、私をちゃんと気遣ってくれている空気が感じられる。
しかし、そんな気遣いは全くいらない。
「誰が姐さんだ。だから違うって言ってるでしょうが!」
グエンとは何でもないんだと何回も否定したけれど、どいつもこいつも人の話を聞きはしない。
部屋で殺りあってただけだと説明しようものなら、違う意味のやりあいに捉えられてしまう始末。
加えて二人とも寝不足気味で疲れているのが、騎士たちの想像に拍車をかけているようだった。
敵国の魔術師の可能性が高い私を、一人部屋にすることはできないという理由で、私はこれから先もグエンと同じ部屋で過ごすことが決まっていた。
牢屋よりはマシだろとグエンは言ったけれど、こんな扱いも困る。
グエンと同室で、手を出されてないわけがないと、騎士達は思っている様子だ。
何その妙な信頼。
本当勘弁してほしかった。
そんなこんなで、私はグエンのお手つきというのが周知事実となり。
その日から、あだ名は姐さんで固定されてしまった。
予約投稿して後、推敲して出そうと思ってたのに間違って投稿してしまいました。誤字脱字等ありましたら、教えてくれるとありがたいです。