【番外編4】グエンと満月の秘密―前編―
そういうシーンはありませんが、内容的にR15です。
「明日クライスに誘われてカフェに行く事になったんだけど、グエンも行くわよね?」
「悪い……明日は一日中留守にする。今日の夜には屋敷を出て、明後日の朝方には帰るから」
お腹も少し大きくなってきた冬の初めのこと。
元ラザフォード騎士団で、家事当番だったクライスからカフェに誘われた。
てっきりグエンも一緒に行くものだと思っていたのに、断られてしまう。
「いつもの?」
「……まぁな」
グエンの返事は歯切れが悪く、目を逸らしている。
「それなら別にいいけどね」
クライスからグエンも誘うように言われていた。
グエンが嫉妬深いことを、賢いクライスはよくわかっている。
私を単独で誘えば、グエンが怖いとクライスは理解していた。
グエンは過保護というか心配症というか。
……私にはグエンがいるんだから、他に目移りすることなんてありえないのに。
そんなわけで、私としてはグエンが一緒に行かなくても別にそれでよかった。
「……別の日にできないか?」
「クライスの弟さんが私に会いたがってるみたいなんだんだけど、二人の都合が合うのがその日しかないみたいなのよ。別に私と話ができればいいみたいだから、グエンがこないならこないで大丈夫よ」
あっさりとそう言えば、グエンが眉を寄せる。
「クライスの弟がリサに何の用だ」
「さぁ? でも弟さんは私を知ってるみたいな言い方をされたわ」
そう言えば、グエンが難しい顔で考えこみだした。
「無理して行く必要ないわよ? そもそもグエンには関係ない話なんだし」
「……いや、オレも行く」
しばらくの間の後、グエンはそう答える。
苦渋の決断というような顔をしていた。
「どれだけ心配症なの。浮気なんてしないわよ? お腹に赤ん坊もいるんだし」
「妻が他の男と一緒にお茶なんて、いい気がするわけがないだろ。しかも相手の男の一人は、リサに会いたいなんて言ってるんだ。それに妊婦のリサに、いざという事があったら困る」
呆れて言えば、グエンはそんな事を言う。
妻という単語にまだなれなくて、それだけでむず痒い気持ちになった。
「……わかったわ。でも、本当に用事はいいの? 毎月この時期になるとグエン、絶対に出かけて行くわよね。大切な用事があるんじゃないの?」
それこそ、ラザフォード領にいる時からグエンは月に一度どこかへ姿を消す。
それは決まって満月の日だ。
グエンは満月の日になると、必ずいなくなる。
ラザフォード領にいたときからの決まりごとのようなものだった。
ラザフォード騎士団では、満月の日はお休み。
別にグエンの都合に合わせたというわけでもなく、満月の日は魔物が活発になる日だからという理由からだったりする。
満月の日は魔物の魔力高くなり、凶暴になるので、外へ出るのは危険なのだ。
この日の騎士達に外出許可は与えられないのだけれど、グエンだけは特別だった。
満月の一日前からグエンは狼たちとどこかへ出かけ、満月が終わった次の日になったら帰ってくる。
魔物である狼たちと何かしてるんだろうなと私は勝手に思っていたのだけれど、ここはラザフォード領ではないので狼たちはいない。
だから、わざわざ姿をくらます必要はないはずだ。
なのに――グエンは王都に来てからも満月の日周辺になると決まって姿を消す。
「本当は嫌だがしかたないだろ。我慢すれば……どうにかならないこともないしな」
はぁと大きくグエンは溜息を吐く。
本当は行きたくないんだがというような顔をしていた。
「ねぇグエン。この日って、いつも一体何をしてるの?」
「それは……内緒だ」
どんなに聞いても、グエンはバツの悪そうな顔をするだけで。
その内容を、決して教えてはくれなかった。
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ヤイチ様の屋敷で暮らすようになって、数ヶ月が過ぎた。
春には子供が生まれる予定だ。
元ラザフォード騎士団で、家事当番だったヴィルトとクライス。
二人は王の騎士の試験に見事合格して、正式な通知はまだ来てないものの、次の秋から城で勤めることが決まっている。
王の騎士になれば、王都を守るため滅多に故郷には帰れない。
だからこの春から半年間は、二人は長期の休暇に入る。
クライスの方のお祝いはともかく、ヴィルトは故郷で王の騎士になったお祝いを盛大にやるらしい。
時期的に出産と被るため出席できないのが惜しいところだ。
コンコンと同じヤイチ様の屋敷内にある、ヴィルトの部屋のドアを叩く。
「姐さん。何か用ですか?」
「グエンが満月の日に何してるか知らない?」
すぐに出てきたヴィルトに尋ねてみる。
グエンの行き先を、部下だったヴィルトなら知っていたりしないかなと思ったのだ。
「あーこれ、言っていいんですかね……」
「何よ。言いなさいよ」
ヴィルトは躊躇するように、困った顔をした。
そんな言い方をされると気になってしまう。
「姐さん怒らないっていうのと、隊長に言わないって約束してくれますか?」
「……わかったわ」
ヴィルトの真剣な様子に、ごくりと唾を飲んで頷く。
「……隊長は実際に狼人の末裔なんですけど。狼を操るから、人狼って呼ばれてるじゃないですか。魔物めいた強さもありますし。それで、その……満月の日になると力を持て余して、街に下りて女の人を狩りに行ってるんだと先輩の騎士たちが」
私の拳が固く握られていくのと反比例するように、ヴィルトの声が弱々しく消え行くようになっていく。
かなり気まずそうな顔をヴィルトはしていた。
「へぇ……知らなかったわ」
思わず口から出た言葉は、自分で思っていたよりも低く冷ややかだった。
「いや、でもあくまで先輩が言ってただけですよ! 今の隊長は姐さん一筋ですし、そんな事してないと思います。それに、きっと姐さんの体を気遣って」
「そんな言い訳はいらない」
きっぱり言えばヴィルトがぐっと押し黙った。
騎士たちが女の人を買うということは、あまりよろしくないことだけれどあった。
血気盛んで戦場に身を置く騎士達ばかりが、ラザフォード領にはいるし、そういう商売が成り立つことも知ってる。
近くの街にはそういうお店があったし、理解はしているつもりだった。
しかしグエンがそれをと思うと、とてつもなく腹が立つ。
ムカムカと腹の底が煮えたぎるみたいだ。
グエンは手馴れているみたいだったし、モテるというのは知っている。
側に私がずっといるのに手を出してなかったのだから、相当に溜まっていたことだろう。
別にあの頃は付き合ってなかったし、そういうのがあってもしかたないかもと思いながら、やっぱり納得はできなかった。
どうにかして落ち着かなきゃと、深く深呼吸をしたところで。
ヤイチ様がたくさんの食材を抱えて廊下を通りかかった。
「ふたりとも、どうかしたんですか?」
声をかけてきたヤイチ様の手には、ぱんぱんになった紙袋があった。
「ヤイチさん、その食材どうしたんだ? まさか……何か料理するつもりじゃないよな」
ヴィルトが眉を寄せて尋ねれば、ヤイチさんがよく聞いてくれましたと笑顔になる。
「今日は寒いので鍋にしようと思っているんです。面白そうな具材を色々市場で見つけて買ってきたんですよ!」
これから下ごしらえするつもりなんですと、ヤイチさんはご機嫌だ。
そんなヤイチさんから、ヴィルトが食材の入った袋を奪い取る。
「台所まで持ってくれるんですか? ありがとうございます」
お礼を言うヤイチ様をよそに、ヴィルトは袋の中身を確認した。
まるで危険物を確かめるかのように、恐々とした様子が気になって、私もそれを横から覗き見る。
苺に魚に、粘つく何かに、紫色の果実。
黄色い色をしている謎の肉に、人型をしているニンジンっぽい何か。
納豆と思わしき藁で包まれた物体に……これはチョコレートだろうか。銀色の紙を開ければ茶色の板が出てきた。
「まさかとは思いますけど……これ全部鍋の材料なんですか?」
おおよそ鍋に入れるべきものじゃないものが、色々入りすぎている。
「そうですよ。ニホンでは見慣れない食材が多いから、リサが不思議に思うのも無理はありません。ここでは手に入らない食材は、代用のものを使って作るつもりなんです」
戸惑った顔をする私に、おかしそうにヤイチ様が笑う。
私が知っている鍋は――苺も納豆も入れたりしなかった記憶があるんだけど。
絶対に入れたら美味しくない。
「もしかして……闇鍋ですか?」
ヤイチ様らしからぬ、悪戯心に溢れた鍋のチョイスだ。
できれば普通の鍋がいいなという気持ちを込めて、上目遣いに恐る恐る尋ねてみる。
「闇鍋……? 普通の味噌をつかった鍋ですよ? 実はリサがいない間に、この国では味噌が開発されたんです」
ヤイチ様は得意げに、味噌の入ったビンを袋から取り出して見せてくれる。
どうやら……普通の鍋を作るつもりで、この材料を買ってきたらしい。
「なんで苺と納豆とチョコレートが入ってるんですか……?」
「味噌と一緒に納豆まで開発されたんですよ。それをリサにも味わってもらいたくて。ただ手に入れるのが難しい品で、納豆の方は少量しか手に入らなかったんです。鍋なら、皆で味わうことができるでしょう? あと苺とチョコレートはグエンの好物ですから」
私の質問にヤイチ様は答えてくれたけれど、全く意味が理解できない。
どうして納豆を手に入れて、鍋にしようという発想が出てくるんだろう。久々の納豆なんだから、普通に食べさせてほしい。
あとグエンの好物だからと言って、何故苺とチョコレートを鍋に入れようとしているのか。
納豆と一緒に煮込みなんてしたら、味の不協和音を奏でるのは目に見えている。
「……私が鍋を作ります」
「いえ、リサに無理をさせるわけには行きません。それに私が作りたいんですよ。にぎやかに皆で鍋というのは、いいと思いませんか?」
私の申し出を断るヤイチ様は、ニコニコと良い笑顔だ。
今より数百年前。
隣国のレティシアへ行って研究施設を破壊する前。
この屋敷で、ヤイチ様のお世話になっていた時の事を思い出す。
あの頃のヤイチ様は、侍と言った感じで。
真面目でキリリとしていて、こんな風に自分から台所へという事はあまりなかったのだけれど。
時折思いついたように、故郷の料理と称して料理とは呼べない何かを私に振舞ってくれていた。
あれからかなりの時が経ったから、少しはよくなっているんじゃないかと思ったけれど。
ヤイチ様は未だに料理ベタで――味音痴らしい。
「ヤイチさんの鍋は前に食べた事あるし、俺は姐さんの作る鍋が食べたい!」
頼む姐さんと訴えるような目で、ヴィルトがこっちを見てくる。
その表情は必死だ。
何度かヤイチ様の料理の犠牲になったことがあるんだろう。
「俺が姐さんを手伝う。ヤイチさんは一切手出ししなくていいから!」
「ですが」
勢い込んでいうヴィルトに対して、ヤイチ様はまだ食い下がるつもりらしい。
「ヤイチには日頃お世話になってるし、たまには私が作ります! それにヴィルトはずっと私の下で料理してたのでチームワークはバツグンなんですよ!」
むしろ作らせて下さいと言えば、ヤイチ様は少し残念そうな顔をしてから、それではよろしくお願いしますと言ってくれた。
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「姐さんのお陰で助かった。ヤイチさん、ヘタな癖に料理したり何か作ったりするの好きなんだよな……」
私の横で具材となるネギを刻みながら、ヴィルトがほっとした声を出す。
確かに昔から、ヤイチ様は手先が器用ではなかった。
過去に珍しく王都に雪が積もった日があって。
折角だから雪像を作って遊ぼうと、イベントごと大好きなゼンというトキビトが言い出した。
ヤイチ様も誘われて来ていたけれど、あまり乗り気じゃなくて。
でもゼンや施設の子供達に煽られて、結局は雪像を作ることになった。
ヤイチ様が作った像は、なぜか顔と思わしき部分から五・六本何かが生えていた。
カニじゃないかとか、太陽のつもりかもしれないとか。
みんなに散々言われて物凄く不機嫌になっていた。
「ヤイチ様、これ素敵ですね。逆さになったタコ……ですか?」
「見てわかるでしょう……犬です」
むっとしながら言ったヤイチ様の顔を、私は今でも忘れない。
しかし、あれはどう見ても犬ではなかった。
あれ以来、ヤイチ様の物作り魂に火がついてしまったらしく。
屋敷の改造が始まった。
私が思うに、ヤイチ様には美的感覚が足りてない。
国一番の騎士であるわりには、ヤイチ様の屋敷は小さめだ。
ニホンを勘違いした外国人が造りましたよというような、そんな雰囲気の和洋折衷な洋館だ。
屋根の上には金色のシャチホコっぽいもの。
門を守るのは、狛犬……だと思われる中途半端な耳の長さをした、不思議な生き物。
ちなみにこれらは、全部ヤイチ様の作品であることを私は知っている。
手際よく具材を切ったりして、準備を進め。
夕飯の時間になれば、ヴィルトとグエン、ヤイチ様と一緒に鍋を囲んだ。
「鍋って、こんなに美味しかったんだな。食べて気が遠くなったりもしないし、具材が……噛み切れる」
ヴィルトが衝撃に目を見開いている。
一体全体、前はどんな鍋を食べたんだろう。
というか、それは本当に鍋だったんだろうか。
隣を見ればグエンが器に入った具を、懸命に冷ましている。
こんなゴツイ見た目をしている癖に、グエンは熱いものが苦手で猫舌だ。
騎士団にいるときは、それを知られるのが格好悪いと思っていたのか、平然とした顔で食べていたのだけれど。
記憶喪失になって子供化して、色々皆にばれてしまってからは隠さなくなっていた。
具材にふーふーと息を懸命に吹きかけて冷ましているグエンを見てると、そのギャップが可愛いと思えてしまう。
「なんだ」
見てたのがばれてしまって、グエンが不機嫌な声を出す。
「私が冷ましてあげようか?」
「いい」
横に座るグエンにからかうような口調で言えば、むすっとした顔で返される。
思わず笑えば、グエンはさらに不機嫌そうな顔になった。
「そう怒らないでよ、グエン。今日はデザートにヤイチ様が買ってきてくれた苺があるわよ? グエン大好きでしょ?」
ご機嫌を取り戻そうと鍋の具材になることを逃れた苺の存在をほのめかせば、グエンが反応を見せる。
「オレを馬鹿にしてるのか、リサ」
「そんなことないわよ。苺食べないの?」
迫力満点に睨まれたけれど、少し恥ずかしがってるだけだと分かるから全く怖くない。
「……食べる」
「わかった。後で一緒に食べようね」
好物の前に観念したようなグエンに、思わず笑みが漏れる。
なんとなくグエンに勝ったようなそんな心地になって。
そこで一瞬、ヴィルトが言ってたことを思い出す。
満月の日に、グエンがしてること。
「……」
「どうした?」
いきなり黙り込んだ私に、グエンが心配そうな目を向けてくる。
「明日は、私と一緒にクライスと会ってくれるんだよね」
「あぁ。しかたないからな」
やっぱりグエンは乗り気ではなさそうだ。
恋人同士になったものの、すぐに妊娠したから恋人同士のそういう事をあまりしてあげられてなかった。
同じ部屋でずっと過ごしてきたのに、そういう甘い事もなくて。
グエンをかなり我慢させてしまっていたのは間違いない。
本人も、我慢していたと最初の日に言っていた。
でも、それでも。
私以外の人となんて、グエンは――そんなことしてない。
大丈夫だと、不安になるなと嫌な想像を振り切った。
★1/19 年表の関係で、日付等を曖昧にしました。王の騎士にほぼ決定しているものの、通知はまだ来てない旨を追加しました。