【番外編3】甘い朝
本編終了後の番外編です。獣人型のグエンを書きたくて書いてたはずが、うまくいかずただのイチャイチャです。R12くらい? よければどうぞ。
ひょんな事から記憶喪失になったものの、どうにか私は記憶を取り戻して。
王都で結婚式を挙げて後、ヤイチ様の屋敷の一室にお世話になっていた。
昔使っていた私の部屋に、大きなベッドを入れてグエンと二人で過ごしている。
どうして記憶が戻ったのに、ラザフォード領に帰らないのか。
その理由は私のお腹の中に宿る命にある。
ラザフォード領は、国の境にあるため戦争好きな敵国がよく攻めてくる。
天候はと言えば、吹雪に見舞われたかと思えば、次の瞬間には灼熱地獄。でこぼこと足場は悪く、馬も使えない。
魔素も不安定で、危険な魔物がわんさか。
かろうじて医者はいるけど赤ん坊を取り上げた瞬間、実験体に使いかねないような奴らしかいない。
そんな領土で……無事に出産なんてできるわけがない。
なので、子供が生まれて少し成長するまでは王都の側で過ごすことになった。
グエンはラザフォード騎士団の隊長なので、さすがにそろそろ領土に戻らなくちゃいけないのではないかと思ったのだけれど。
有給が有り余っているらしく、一年くらいはお休みを貰えるようだった。
ラザフォード領は険しいところなので、領土にいる間は例え働いていなくても、書類上は待機として扱われる。
つまり領土から出て街に行ったりしない限り、休日扱いにはならない。
なのでラザフォード騎士団に所属している騎士たちは長い休みをとって、それからまた帰ってくるというパターンが多かった。
ラザフォード領には、店どころか何もない。
休日を二・三日もらったところで、運がよくてふもとの町にどうにか辿り付けるレベルなので納得だった。
故郷があったりする騎士は、休みをとることもあったけれど、グエンは元々このラザフォード領の出身だった。
かつてラザフォード領に住んでいた、人狼の一族。
二十年ほど前に一族は敵国の刺客に惨殺され、唯一の生き残りがグエンだ。
家族は誰一人もういないけれど、ずっとグエンは故郷の地で私を待っていた。
ずっとラザフォード領から出ることもなかったグエンの有給は、そんな事情から溜まりに溜まっていたようだ。
ちなみに現在、ラザフォード領の隊長はカナタが一時的に勤めている。
かつてこの国の宰相をしていたカナタは、ヤイチ様が留守の時には軍の指揮も兼任していたらしい。
「カナタに任せておけば問題はありませんよ。勝手に無茶をして、私に仕事を押し付けた借りは、きっちり返して貰わなくては困ります」
真っ黒ないい笑顔でヤイチ様がそう言っていたので、大丈夫なんだろう。
過去のカナタは自分を犠牲にして。
魔術兵器として暴走しこの国を消滅させようとしていた私を助けてくれた。
ヤイチ様は、カナタが私を助けたことはともかく、カナタが自分を犠牲にしたことを今でも怒っているみたいだった。
けれど、カナタに無茶を押し付けたり、からかったりするヤイチ様には、長年の知り合いに対する気の置けない雰囲気がある。
だからあれも、本人たちにすればちょっとしたじゃれあいの延長なんだろう。
朝陽が差し込む部屋の中で、そんなことを考えながら寝返りを打つ。
横を向けばグエンが――そこにいた。
灰色がかった銀髪に、力強い眉。
横になってこっちを向いているグエンの顔立ちは、野性味があって男としての魅力に満ちていると思う。
グエンは寝る時、上着を着ない。
鎖骨のラインとか、筋肉の盛り上がる腕とか。
その厚い胸板を見るたび、私がドキドキしてしまうことに気付いてるんだろうか。
「……グエン」
呼んでも返事が無い。
どうやら熟睡してるみたいだ。
寝てるならいいかなと、側に寄って頬をグエンの胸に押し付けてみる。
規則正しい心臓の音がして、グエンに触れた頬から熱が伝わってきた。
視線の先に、グエンの体に付いた傷跡が見える。
戦って傷ついてきた跡は、いたるところにあった。
そのほとんどは、グエンが隣国の魔法大国レティシアで、私を探している時にできた傷だった。
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グエンは、私が罪滅ぼしとして、レティシアの神殿や研究施設を破壊していた時に出会った子犬だった。
子犬とは言っても、すでに大きさは大型犬ほどはあったのだけれど。
実験動物だった子犬は逃げられないようになのか、足を酷く痛めつけられていて。
手当てしようとすれば、怯えて噛み付いてきた。
その体は痩せてて、目はギラギラしてて、全てを憎んでるような目をしていて。
「大丈夫、怖くないよ」
放って置けなくて、無理やりその場から連れ去った。
怪我が治るまではと、子犬の看病をした。
最初はやっぱり噛まれたりしたけど、その度に優しく頭を撫でたり抱き寄せて。
その体を確かめていけば、いたるところに痣や注射痕があった。
この子も、レティシアのせいで傷ついた被害者なんだと思うとやるせなかった。
元気になってからも、やっぱりまだ心配で。
やせ細った子犬のために、ご飯を与えた。
でも私の手からは食べてくれなくて、遠くへ置いて、気にしないふりをしているとゆっくりと食べる。
首輪なんてものはつけなかった。
足が良くなったら逃げてしまうだろうなと思いながら、日々を子犬と過ごした。
段々と距離が縮まっていって。
一人でずっと旅をしていた上、犬好きの私。
すぐにこの子犬は、私にとって癒しの存在になった。
でも私は旅の途中。
しかも、復讐にも似た暗い事情を抱える旅だ。
常に危険があるし、この子犬を巻き込むわけにはいかない。
愛着なんて持ってはいけないと思った。
かってにつけたポチという名前は、心の中だけで呼ぶことにして。
もう少し、あと少しだけ。
そうやって、別れがたくて期間を延ばした。
子犬だから狩りの仕方を知らないかもしれない。
私が置いて行って後、ポチが飢えたら大変だ。
そう思って、狩りの仕方を教えたこともあった。
今思えばポチと離れるのが嫌で、私は一緒にいていい理由を探していたんだと思う。
ナイフを牙に見立て、獲物のどこに突き立てたらいいかという事を教えて。
身体強化の魔術を使って、それを実演した。
そしたら、ポチはなんと身体強化の魔法の方を使って見せた。
そうじゃなくて、仕留め方を覚えて欲しかった。
けど、これはこれでいいかと思った。
動物の中には、魔法を使えるものもいる。
そういった動物を、魔物と呼ぶのだけれど。犬なのに魔法を使えるというのはとても珍しく、驚いたものだ。
今思えば、ポチもといグエンは、犬ではなく魔物として名高い狼。
魔法が使えて当たり前だった。
ちなみに魔法と魔術は、効果は同じだったりするけれど、微妙に違う。
魔法は天然の力で、私がいつも使っている魔術は、人が魔法を使うために作りだした技術と言ったところだ。
魔法は魔術と違って感覚で操作でき、魔術式を組む必要はない。詠唱もなければ術を発動させるために、紋章に触れる必要もなかった。けれど、使える種族や個体差が大きい。
ポチは身体強化の他にも魔法を覚えていった。
私から狩りの仕方を習って、すぐにマスターする優秀さに嬉しくなる。
人間が教えても大丈夫かなと思ったけど、ポチは賢い子だった。
頑張れば私が偉いねと褒めてくれるからか、ポチは狩りに熱心で。
私に獲物をプレゼントしてくれるまでに成長した。
もうこれで、一匹でもポチは生きていける。
まだ……一緒にいたいな。
そうは思ったけれど。
心を鬼にして、私はポチを置いて行った。
今までずっと一人旅で寂しいなんて思ったことはなかった。
なのに、ポチがいなくなったとたん寂しいという気持ちを思い出して苦しくなった。
その日は適当な場所でテントを張って、早く寝て。
次の日起きたら、腕の中にポチがいた。
ポチは私の匂いを覚えていて、後を追ってきていた。
しかも身体強化が使えるから、普通の犬よりも早く走れた。
もう追ってきちゃ駄目だと言ったところで、言葉が通じないから意味はない。
それでもこれはポチのためにならないと、毎回巻いて、遠ざけて。
けど、何度もポチは私を追ってきていた。
私はこの国ではお尋ね者で、命を狙われてる。
時には刺客が襲ってくることもあって、その場にポチも居合わせることがあった。
ポチは私の役に立とうとしてくれていたけれど、そんなことより私はポチが怪我しないかが心配で、気が気じゃなかった。
それでも、ポチが一緒にいてくれることが嬉しくて。
追いかけてきてくれることに、幸せを感じて、愛しくてしかたなかった。
どこかで側に置いておきたいと……そう思ってる自分がいた。
そんな甘さのせいで、私はポチを危険にさらしてしまった。
私が遠ざけてる間に、魔術師連中がポチを攫ったのだ。
「よくもまぁ好き勝手してくれたな?」
薬のせいか意識が朦朧として動けないポチの顔に、そいつは剣で傷をつけた。
私に対して、怒りがあったんだろう。
だからそいつは、取引の材料に傷をつけた。
自分が優位に立っていると勘違いして。
一瞬で頭の中が真っ赤に染まったような感覚がした。
ポチの命が惜しければ、俺たちに従え。
悪党はお決まりの台詞を吐く前に、声を失った。
何をしたかは――あまり思い出したくはない。
とにかく私は、魔術師にポチを攫って傷をつけたことを、やつらに死んでしまうほど後悔させた。
奴らからポチを取り返して、手当てを施して。
いつも私が贔屓にしている情報屋に行けば、今犬を欲しがっている人がいるんだという話題をしてきた。
怪しい人にポチを手渡す気にはなれなかったけれど、この人はいつも私が情報を仕入れている人だったから、信頼はできた。
タイミングが良すぎるなとは思ったけれど、私はその人にポチを預けることにした。
まぁ、今思えばタイミングよく現れたのも当然で。
この情報屋は、ヤイチ様が私を監視するためにつけていた忍のようなものだったらしいと、後から聞いた。
――まさか、あの時はポチがグエンだとは思いもしなかったな。
顔を少し離して、グエンの胸にある傷をゆっくりと眺める。
「ん……」
そっと傷の一つに触れれば、グエンが身じろぎした。
私と引き離されて後、しばらくして。
グエンは私を探して、レティシアで神殿や研究所を潰してまわった。
私に会うために、無茶をしてきたことはこの傷の一つ一つからわかる。
こんな怪我をしてと見ていて辛い気持ちになるより、こんな怪我をしてまで私を探してくれてたんだという喜びの方が大きかった。
酷いやつだなと思う。
ポチを――グエンを大切だと思っているのに、傷が付いてるのを見て喜ぶなんて。
ちょっとだけ上の方にずれて、グエンの顔をまじまじと見る。
寝てるときにしか、こういうことはできない。
グエンの頬には、刀傷がある。
戦い慣れた雰囲気がグエンにはあったから、これは戦いでついた傷なんだろうと、当たり前に思い込んでいた。
思い返して、今気付く。
――これは、私がグエンを守りきれなかったから付いてしまった傷だ。
どうして今まで忘れていたんだろう。
グエンがポチだと知ってから月日は経っているのに、そこに思い至らなかった。
「守りきれなくて、ごめんね」
あの時だけじゃなくて、この前も。
レティシアがリザードで攻めてきて、戦争が長引いたあの時。
私がすぐに出ていれば、無駄に血を流さずにすんだ。
グエンがあそこまで傷つくことはなかった。
その力があるのに――私はしなかった。
力があるから、やらなくちゃいけない義務があるわけじゃない。
したくないことは、しなくていい。
戦うのは私の仕事じゃなくて、騎士の仕事だ。
そうヤイチ様に言われて、素直に引っ込んで甘えた自分が嫌になる。
大切なものはいつだって、自分の手で守らなきゃいけなかったのに、いつも私は肝心なことに気づくのが遅い。
そっと手を伸ばして頬の傷に触れようとしたら、手首をぐっと掴まれて。
紺色の夜空のような悪戯っぽい瞳と目があったと思った次の瞬間、深く口付けられた。
「ん! うぅ……んぅ!」
慌てる私を黙らせるように、舌が絡まる。
グエンのキスは巧みで、いつだって翻弄されてしまう。
「……おはよう、リサ。それで何で謝ってた?」
いきなり濃厚なキスをしてきておいて、何事もなかったかのようにグエンが尋ねてくる。
あのキスも挨拶の一つだというみたいに。
「この頬の傷……子犬だったときに私が守りきれなくて付けられた傷でしょ。さっきそれを思い出したの」
私だけがムキになるのも恥ずかしくて、キスの余韻でドキドキしているのを隠して答える。
「あぁ、そのことか」
何故かグエンはふわりと微笑む。
珍しい柔らかな笑み。
普段なら、犬じゃない狼だと言う癖にそれもない。
起き抜けで、頭が回ってないのかもしれなかった。
「リサ、あの時もオレのために怒ってくれたよな」
「……もしかして、意識あったの?」
嬉しそうに言うグエンに言えば、まぁなと答える。
体の自由が利かないだけで、思考ははっきりしていたらしい。
「残酷なくらい強くて、怖いとは思ったんだけどな。オレのために我を忘れて怒ってるリサが、たまらなく愛おしかったんだ。愛されてるって思った」
宝物だというように、グエンは私の手を使って自分の頬の傷を撫でた。
瞳を甘く見つめられながら、そんな事を言われると――胸がとたんに騒がしくなる。
グエンがそのまま私を腕の中に引き込む。
体格のいいグエンにそうされてしまうと、私の体はすっぽりそこに収まった。
「置いていかれて、捨てられたんじゃないかと気弱になる日もあった。でもその度にこの傷を触って思い出すんだ。リサがオレのためにしてくれたこと。怒ってくれたこと。愛されてるから、大丈夫だってな」
ぎゅっと音がしそうなほど、グエンがその腕に力を込める。
まるで私の存在が、ちゃんとそこにあるかを確かめるようだった。
いつも自信満々のくせに、そこに少しだけ陰りが声に混じる。
もしかしたら私を探している間、ずっとグエンは不安と戦っていたのかも知れないと思う。
言い聞かせるような響きが、その言葉にはあった。
「……再会して、オレが傷ついてまたリサが戦って。それを見れなかったのが少し残念だ。どんな戦の女神にも負けないくらい、魅力的だったはずなのにな」
ふっとグエンが笑う気配が耳元でする。
その声には、本気で残念がっているような響きがあった。
顔が少し離れて、蕩けそうなそれいて欲望を秘めた瞳と目が合う。
「ん……ふ、あ……」
口付けが降ってくる。
荒々しいのに、乱暴というわけではなくて。
私の余裕を奪っていくような、そんなキスにくらくらとする。
なのに、唇が離れていくと物寂しい。
もっと愛されたいなと願ってしまうのは……グエンが私を知らないうちにそうやって甘やかすからいけないのだと思う。
愛されてるなと感じて、ねだれば貰えるとわかるから、もっともっとと欲張りになる。
「グエン」
甘えるように名前を呼んで、その体に触れれば。
「愛されてるな、オレは」
潤む私の目を見つめて、くくくっと嬉しそうにグエンが笑う。
いつの間にかお腹の方に手が置かれていて、優しく下から上へと撫でられて。
「リサ、愛してる」
低く響く声は、体の隅々を浸すようで。
触れてくる骨ばった手の感触に、抱きしめてくる腕の温かさに。
――幸せだなぁと心の底から思った。
6/11 魔法の記述を追加しました。




