【29】積み重ねていく時間
夜になって馬車がたどり着いたのは、変わった屋敷の前だった。
見た目は洋館っぽいのだけれど、屋敷の門の前に二対の狛犬の像があったり、屋根にシャチホコっぽいものがあったり。
ニホン好きな外国人が建てた屋敷と言った雰囲気だ。
案内された部屋には、フスマらしきもの。
一瞬絵画にも見えてまるで隠し扉だ。
それを開けて中に入れば、クリーム色の可愛らしい壁紙をした、普通の女性向けの洋室でほっとする。
「じゃあ、おやすみ」
そう言って、ここまで案内してきたグエンが帰ろうとする。
とっさに私はその服の裾を掴んでいた。
「なんだ」
「いや、その……」
なんで服を掴んでしまったのか自分でもよくわからなかった。
ただ、なんだか落ち着かなくて、独りでいるのが怖かった。
「眠れるまでついていてやろうか?」
からかいではなく、優しい声色。
少し驚きながらも小さく頷けば、グエンは上着を脱ごうとした。
「別に狼の姿じゃなくていい」
「そうか?」
私がそういうと、グエンは服を脱ぐのをやめて、私と一緒に部屋に入ってきた。
「ほら横になれ」
私が寝たベットのふちに座り、グエンが前髪にふれてくる。
少しざらついた指の感触。
そうやって触れられていると、妙に落ち着いた。
「グエンって、結構優しいわよね」
「……言われたことがねぇな」
私の言葉に、気味悪い言葉を聞いたかのようにグエンは顔をしかめた。
「そうなの? 結構私のこと気遣ってくれるじゃない。ちょっと強引だし、セクハラはしてくるけど」
「触れたいと思うのも気遣うのも、お前だからだ。オレは他の奴にこんな事しないし、優しくなんてしたりしない。誰にでも優しいリサと違ってな」
素直な感想を口にすれば、グエンは後半少し拗ねたように呟いた。
自分だけが特別なのか。
そう思うと、優越感のような何かが込み上げてきて嬉しいと思う自分に戸惑う。
「……どうして不機嫌になるの?」
こんな気持ちになってしまった自分を誤魔化しながら、グエンに尋ねてみる。
「それを聞くか。そんなのお前が色んな奴と仲良くするからに決まってるだろ。ヤイチにカナタに、ヴィルトやクライスだけでも嫌なのに。記憶をなくしてからもセイジュウロウなんていう男と、仲良く二人暮らししているときた」
尋ねればイライラとした調子で、グエンはそう口にした。
「いやさすがに歳が違いすぎるでしょ」
セイジュウロウさんは私がお世話になっていた、お茶屋兼カフェのオーナーで四十代後半のナイスミドル。
十七歳の私と彼では不釣合いだ。
まぁそれを言えば、三十代前半のグエンだって、その人相の悪さも手伝って大分犯罪の香りがするのだけれど。
「トキビトは見た目で歳がわからないからな。それにお前からすれば、誰だって年下だろうが」
グエンは、私が千年近く生きてるんじゃないかと言い出す。
さすがにそれはないと笑い飛ばしたが、グエンの目はわりと真剣だった。
「あんた嫉妬深いんだ?」
言えば、グエンはぐっと声を詰まらせる。
「……悪い。これで失敗したのに、どうにもオレはリサのこととなると、熱くなりすぎる」
グエンは声のトーンを落とした。
まるで、反省するかのように。
失敗ってどういう事と問いただせば、グエンが私が記憶喪失になる直前の事を話してくれた。
恋人である私が自分以外の男と関係を持っているんじゃないかと、グエンは疑ってしまって。
一方的に言葉をぶつけて、どこにでも行けと言ってしまったらしく、それを相当後悔しているみたいだった。
「夜になってもお前は帰ってこなかった。オレは意地を張って、すぐには探しに行く事もできなくて。そしたらヤイチが、お前は自分から死を選んだかもなんて言い出しはじめて。お前を失ってしまったかと思うと、物凄く怖くなった」
苦しそうに、ぽつぽつとグエンは話しだした。
「あれが最後の別れかと思うと、生きた心地がしなかった。誤解だってわかって、死ぬほど後悔した。何か言おうとしてたのに、どうしてオレは聞こうとしなかったのかってな」
私がいなくなって後、グエンは必死に探し回っていたらしい。
そのうち私が隣の国に逃げていたことが判明し、部下たちも一緒に私を追い掛け回していたのだという。
「……もしかしてあの山賊みたいな奴らって、あんたの部下?」
「あぁきっとそれがそうだな」
ずっと私を追ってきていた奴ら。
そういえば、ヴィルトと同じく姐さんだのなんだのと私の事を呼んできて、必死に追いかけてくるわりに攻撃は仕掛けてこなかった。
グエンの部下は正直言って、私の敵ではなかったのだけれど。
彼らの中にローブを被った少年の魔術師が一人だけいて、その子が物凄く手ごわかった。
派手に魔術合戦を繰り広げ、レティシアの山が一つ消し飛んだ。
あんな風にやりあえる相手に会ったことはなくて、不謹慎だけど少し楽しかった。
ただちょっと押されて、ウェザリオとの国境に追い込まれて。
追いつかれてたまるかと、ありったけの魔力を移動の魔術に注ぎ込んで、私は一日でかなり離れたバティスト領まで移動してきていた。
「あの魔術師の子も部下なの? 一人だけ、雰囲気が違ってたけど」
「……あれはお前の兄妹だ。今はオレの代わりに、ラザフォード領で臨時の隊長代理を勤めてる」
私の質問に、グエンが答える。
てっきり兄妹で異世界トリップをしてしまったのかと思えば違うようで、この世界で出来た義理の兄妹との事だった。
「オレは、あいつがお前の兄妹だと知らずに仲がいいのに嫉妬して、酷い事を言ったんだ」
グエンが私の様子を窺うように、ゆっくりと頬に手を伸ばしてくる。
私が嫌がらないのを確認すると、そっと壊れ物を扱うかのように触れてきた。
真っ直ぐに熱のこもる瞳で、私を見つめてくる。
「リサがオレの事を思い出したくなければそれでいい。例えリサがオレの事好きじゃなくても、オレはお前が好きだ。これから好かれるように努力するから、オレの家族になってくれないか」
切ない声色で、グエンはそんな事を言ってきた。
どうか断らないで欲しいと、願うような口ぶりで。
いきなりのプロポーズに、頭が追いつかなくて思わず口をぱくぱくとさせる。
顔が赤くなったのが、自分でもわかった。
毛布を被って顔を隠してしまいたかったのに、私の手にグエンの大きな手のひらが重なって、それを許してはくれなかった。
「でっ、でも、私あなたのこと覚えてないし。記憶だって思い出さないかもしれないのに」
「記憶があったってなくたって、オレはリサが好きだ。これからのリサも愛していけるし、その気になればいくらでも新しい思い出が作れるだろ」
戸惑う私を見て、グエンは何故か満足そうに笑う。
ぎしっとベットが軋む音がして、グエンが私に覆いかぶさるように身をのりだしてきた。
「それに、リサが覚えてなくても、オレと積み重ねた時間は無くなったわけじゃない。たしかにここにある」
グエンは自分の胸の上を指先でトントンと叩く。
それから、同じように私の胸の上を。
時計の埋まったあたりを、トントンと叩く。
「お前のここにも、ちゃんとある。じゃないと、お前がオレと同じような目で、こっちを見つめてくる理由がないからな」
にっと悪戯っぽい顔をして、グエンが私にキスをしてくる。
一体私がどんな目でグエンを見ていたというんだろう。
深くなっていくキスの合間、息継ぎをする私をグエンが見つめてくる。
そこには私を愛おしく思うような色があって。
こんな風に私もグエンを見つめていたのかと思うと、たまらなく恥ずかしくなった。
記憶はないのに、グエンが好きだと心が叫んでいて。
でもそれじゃいけないと、止める自分が頭の中にいた。
――どんなに好きになったって、同じ時を生きられないじゃないですか。
ふいに頭に浮かんだのは、同じトキビトのミサキの言葉で。
そっとグエンの胸を押し返した。
「私は、あなたと一緒の時を生きられない。あなたも私を置いていなくなる。その度に苦しむのは嫌。何も持たなければ何も感じなくてすむ」
搾り出すような私の言葉に、グエンは大きく溜息をついて。
それから私の手を引いて、上半身を起こすと抱きしめてきた。
「……そんなくだらない事で、お前はオレから逃げたのか」
「くだらないって、あんたね! 大切な人がたくさん自分を置いて死んでいくのを、見てないから言えるのよ!」
呆れたようなグエンの言葉に、反論する。
記憶は無いけれど、そういう事が私の身にあったということは実感を持って心に残っていた。
それが嫌で、自分が記憶を捨てたんだということに、今の私は気づいていた。
「そういう経験、オレにもある。父さんも母さんも、弟も生まれたばかりの妹も……身内は全員オレの目の前で殺された」
グエンの静かな言葉に、私は言葉を失う。
まるで、自分だけがそういう経験があるかのように思い込んでいた事に気づかされた。
「オレもお前みたいに、一度はその記憶に耐えられなくて捨てた。けどそれは、やっちゃいけない事だった」
だってそうだろ、とグエンは続ける。
「皆がいなくなって、覚えてるのはオレだけだ。オレが忘れたら、それは一番大切な人たちがいなかったことになる。自分で大切な人たちを消したようなもんだ。そんなのおかしいだろ。皆は確かにここにいて、オレは出会ったことに感謝はしても、後悔なんてしてないのに」
グエンは優しく私の頭を撫でてくる。
「嫌なことたった一つで、それまでの楽しかったことを全てなかったことにするのは勿体無いと思わないか?」
そんな風に、考えたことはなかった。
先にいなくなった人たちの事を想っては、置いていかれたと私は嘆いてばかりいた。
寂しくて、苦しくて。
自分がしたことも、彼らと出会ったことも。
全て後悔して私は生きてきたんじゃないだろうか。
「まぁ、これをオレに教えてくれたのがヤイチだっていうところだけは、ちょっと気に食わないんだけどな。別にオレと同じ考え方をリサに強要するつもりもない」
そう言って、グエンは体を離す。
「ただオレとしては、そんなくだらない後悔に今から囚われるよりも、オレといる今を選んでほしい」
真っ直ぐにグエンが、目を見つめてくる。
濃い紺の瞳はとても綺麗で、強い光を帯びていて。
見つめられると体が熱くなるのがわかった。
「オレの家族になってくれ、リサ」
その言葉に、トクンと胸が鳴る。
胸が熱くなって、秒針をなくした時計が、時を刻みだしたのを感じた。
チクタクというその音が、すぐ近くにあるグエンの鼓動にあわせるように、力強く脈打って。
そのまま私の心臓と溶け合うように消えていく。
自分の心臓の上に触れる。
指に、時計の感触はもうない。
早い鼓動を刻む心臓が、振動を伝えてくる。
その瞬間、自分がもう永遠を生きる『トキビト』でなくなったのだと、なんとなくわかった。
――グエンとずっと一緒にいたい。
後悔したって、すぐ側で生きていきたい。
ずっと押さえつけていた想いは、溢れて止まらなくて。
このぬくもりを手放すなんて、最初から無理だったんだと気づく。
苦しくたって辛くたって、そこにあるなら手を伸ばしたくなる。
たとえ何がこれから先あったって、グエンといられるなら。
私はその手をとりたいと思った。
目の前にはグエンの顔。
ちょっと乱暴ですけべで、不器用で。
それでいて可愛いとこもある私の恋人。
一緒に積み重ねた日々が、私の中には最初からあった。
蓋をして見ないふりしていただけで、忘れることなんてきっと、最初から無理だった。
側にいればこんなにも、愛おしくてしかたない。
「それで、答えは?」
グエンが焦れたのか、尋ねてくる。
少し怖がるような声で。
そうやって、私のために不安になったりしてくれることが嬉しくて、可愛いと思う。
目線より上にあるグエンの頬に手を添えて、少し体を浮かしてキスをする。
グエンは戸惑っていたけれど、構わず舌を差し込んでグエンを味わう。
「グエン、大好き」
唇を離して、今まで伝えていなかった、一番伝えたかったことを口にすれば。
グエンが目を見開いた。
その顔を自分の胸に抱き寄せる。
「私もグエンと家族になりたい。ごめんね臆病者で。色々遠回りさせて、グエンをいっぱい傷つけた」
「リサ、お前……」
心からの言葉を紡げば、グエンが私を見上げてくる。
「これじゃ前とは逆だよね。もう全部思い出したから」
安心させるように笑いかければ、グエンは私を押し倒してきた。
ぼふっとベットのスプリングに体が跳ねる。
「リサ」
「グエン、痛いって」
名前を呼ばれて、ぎゅっと抱きしめられる。
固めの髪に指を差し込んでよしよしと頭を撫でれば、朝の森のようなグエンの匂いに心が満たされた。
3/28 「一世紀」を「千年」に修正しました。報告ありがとうございます。




