【25】私と人さらい
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。
青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
●●●●●●●●●●●●●
「とまぁ、そんな感じで姐さんは隊長に拾われたわけです。これは俺が姐さんから直接聞いた話なんですけどね」
「そうなんですか」
目の前の騎士が色々語ってくれたけれど、私からするとへぇ~、ふーんなもんで完全に他人事にしか思えなかった。
というか、これ本当に私の事なんだろうか。
そもそも何でこの子は私を姐さんなんて呼ぶんだろう。
ウェザリオという国の、割と田舎の方であるバティスト領にある小さな街。
そこの繁華街にあるお茶屋さんで、私は働かせてもらっていた。
横にはカフェスペースもあり、お茶と一緒にランチやお菓子も楽しめるようになっていて。
このお店は結構女の子たちから人気がある。
そんな店に、騎士様が二人もくるのはとっても目立つ。
しかもこの騎士様たち、この街の騎士じゃない。
腕章からすると、王都近くのルカナン領の騎士だ。
どちらも十代後半から二十代前半くらいで、ルカナン領の騎士は顔で選んでるの?と問いただしたくなるようなイケメンときた。
周りの女の子たちの視線が半端ない。
私に話しかけてきた方は、この国では一般的な金髪に青の瞳。
意志の強そうな目と、しっかりした体つき。
人懐っこく、やんちゃそうな感じがする。
もう一人は私と同じニホン人に見えた。
さらさらとした真っ黒な髪と、黒の瞳で、きりりとした端正な顔立ちは少し真面目そうだ。
なぜ私が今、お昼の稼ぎ時にこうやって騎士様の相手をしているのか。
それはよく私にもわからない。
ただ金髪の彼が言うには、私は記憶喪失であり、一ヶ月半くらい前までグエンという人のお世話になっていたらしい。
しかし、私は突然姿を消した。
それ以来ずっとグエンという人は、私を探していたのだという。
そして、つい最近私が見つかったという情報が入り、代理でこの二人がやってきたのだという事だった。
●●●●●●●●●●●●●
もともと私はニホンという国に住む、リサという名の普通の高校生だった。
現実世界のことはモヤがかかったようによく覚えてないけど、誰も私を知らない場所へ行きたいと思っていたら、不思議なお兄さんに出会った。
「君が望む世界へ連れていってあげよう」
お兄さんは私を異世界へ連れて行ってくれると言う。
それならよろしくお願いしますと言って、気づいたらこの異世界にいた。
元の世界でいうと、中世のヨーロッパに似た雰囲気の世界。
私はここで一ヶ月半くらい前から、第二の人生をはじめた。
便利な事に、ここでの私は歳をとらないらしい。
ニホンと違って、物騒な事も多い。
盗賊だっているし、場所によっては魔物も出る。
女の一人旅なんて危険でしかないのだけれど、何故か私は最初から強力な魔術が使えたし、この世界の知識があった。
不思議には思ったけど、ネット小説とかでよくある転生チートみたいなやつなんだろう。
一人で旅をするのに困らなければ、理由なんてどうでもよかった。
襲撃してきた追いはぎから、さらに追いはぎをするという、ニホンだったら倫理的にどうなんだろねというような事をしたり。
立ち寄った村で魔物をやっつけたり。
魔術を織り込んだ道具を売り歩いたりして、どうにかたくましく私はここまでやってきた。
ただ、私の旅には何故か山賊のような追っ手がいた。
そいつらからどうにかこうにか逃げていたのだけれど、この間とうとう追い詰められた。
土壇場でありったけの魔術を発動させ、お隣の魔術大国レティシアからこのウェザリオという国にたどり着いたのだ。
お陰で魔力は残り少なくて。荷物もお金も全て失った。
お腹が空いてもう駄目だと行き倒れたところを、このお茶屋兼カフェの店主であるセイジュウロウさんが拾ってくれて。
セイジュウロウさんへの恩返しと、旅の資金を溜めるため、私はここでアルバイトをしている真っ最中だった。
この世界に来て一ヶ月半くらいだとばかり思っていたのだけれど。
彼らの話を信じるなら、実はもっと前からこの世界で過ごしていて、その記憶も無くしてしまっている可能性が高い。
自分で普通の高校生とか言っておきながら何なんだけど、自分でもそれどうなのというぐらい荒事に慣れていたので、妙に説得力があった。
それを踏まえると、追っ手も記憶喪失前の私が何かをやらかしたから、しつこく追いかけてきていたのかもしれない。
ほとんどがいかつい山賊っぽい人達で、毎回魔術で撃退してはいたけれど。
……一体、私は何をしでかしたんだろう。
どう考えても厄介ごとの匂いしかしないから、あまり考えたくない。
「姐さんは本当に何にも覚えてないんですか? 一年以上一緒にいたんですよ? オレやクライスとレティシアの奴らをやっつけたことも忘れちゃったんですか」
金髪の彼が疑うように尋ねてくる。
どうやら以前の私は、彼と顔見知りだったらしい。
親しげな雰囲気からして、結構仲はよかったんだろうか。
というか、こんなイケメンの知り合いがいたのか私。
何をしてお近づきになったんだろう。
さっぱりわからなかった。
「……ヴィルト。リサさんをむやみに責めるな」
「うるせぇな。わかってんだよ。確認しただけだろうが」
金髪の彼はヴィルトという名前らしい。
最初に名乗ってはいたのだけれど、あまり聞いてなかった。
クライスというらしい黒髪の彼にたしなめられて、ヴィルトが苛立ったように眉をしかめる。
「とりあえず、隊長が姐さんの事を探してるんです。明日にはここに着くはずだし、会ってくれますよね」
「嫌です」
そんな答えが返ってくるとは思ってなかったんだろう、ヴィルトは目をむいた。
「どうしてです。記憶なくして不安じゃないんですか!」
「記憶なくしたことに気づいてなかったですし、困ってません。その記憶が本当なのかも、あなたたちが私の知り合いなのかも、正直疑ってます」
わけがわからないと言った様子のヴィルトに答える。
私は今に満足している。
そう思って呟けば、ヴィルトが傷ついたような顔をした。
こんな顔をするという事は、たぶんヴィルトは私と知り合いだったんだろう。
嘘をつけるタイプにも見えないし。
彼からは純真無垢な大型犬のような印象を受けた。
でも。忘れてしまったなら。
きっと、彼らとの記憶は、私にとって思い出さない方がいい記憶だ。
掘り起こせば、嫌な思いをする。
それがわかっているから、そのままでいい。
そう思うのに、しゅんとしたヴィルトの顔を見ていると、罪悪感がむくむくと大きくなっていく。
「リサさん。僕たちを疑う気持ちはわかります。ですが、どうか隊長に会って頂けませんか? そうじゃないと、ここに直接来ると思うんです。かなり面倒なことになりますよ?」
黒髪の彼が、お願いというよりは忠告めいた口調でそう言った。
横にいるヴィルトがそれを聞いて、あぁ確かにと呟く。
「こいつの言う通りですよ、姐さん。店に迷惑かけたくなかったら、素直に聞いといた方がいいと思います」
そうした方が姐さんのためだと、ヴィルトは頷く。
面倒な事って何だ。
気になりはしたけれど、このままだといつまで経っても仕事に戻れないと悟った私は、しかたなくグエンという人と会う約束をした。
●●●●●●●●●●●●●
まぁ会う約束はしたけれど、守るつもりはこれっぽっちもなかった。
私の勘が、会わないほうがよさそうだと告げている。
面倒事はごめんなのだ。
平穏に、ただのんびりと。
何も考えずに生きていければそれでいい。
セイジュウロウさんには悪いけれど、私はここを出て行くことにした。
恩を仇で返すわけにもいかないので、セイジュウロウさんのために便利な魔術道具を作り出すことにする。
この前まで私がいたお隣の魔術大国・レティシアと違って、この国で魔術は全く発達してない。
だから私はセイジュウロウさんにも、魔術を使える事は内緒にしていた。
作るのは、冷たい温度を保持しつづける箱――つまりは冷蔵庫。
本当はハンドミキサーみたいなものとか、圧力鍋とかも作りたかったけど、魔力の残量的に一つしか無理そうだった。
お隣の魔術大国では、魔術は戦いのためのモノだったり、貴族が使う特権として、権力の象徴でしかなく。
こんな風に魔術を使う人はほとんどいない。
使い方によっては、こんなにも便利なのに。
右手にしている手袋を外す。
道具に触れて魔術式を刻み、右手の甲にある紋章に左手を重ねることで魔力を込める。
大分くらくらときたけれど、これで一年くらいは使えるはず。
これで魔力の残量はほぼゼロになってしまった。
この国には、お隣の国と違って空気中に漂う魔力の元・魔素がほとんどない。
つまり魔力を生成できないので、私の魔術スキルはこの国で全く生かせそうになかった。
ただ、このウェザリオは治安がよく、過ごし易い国だ。
加えてこの国では、私のような異世界人をトキビトと呼び、支援する制度がかなり充実している。
国の上層部にトキビトが多くいるため、こんな感じになっているらしい。
とても暮らしやすい国だとは思うのだけど……何故だろう。
この国にあまりいてはいけない気が、最初からしていた。
とりあえず国を出るか。
こういう時は勘に従う事に決めていた。
魔術道具の使い方を紙に書いて部屋を後にしようとした時。
窓が開いた音がして、部屋の中に風が吹いた。
「よう、久しぶりだなリサ」
低く響くいい声がして、振り向けばそこに男がいた。
月の光に照らされて、窓枠を乗り越えてきた男は三十代前半といったところ。
灰銀色の髪に、濃紺の瞳。頬には傷があった。
背が高く、肩幅も広い。
筋骨隆々としたしなやかな体躯は、まるで野生の獣のようで。
その視線に囚われれば、小動物のように体が動けなくなった。
「……どちら様ですか?」
そもそもここは二階にある部屋なのに、どうやってここまで上がってきたんだ。
睨めば、くくっと楽しそうに男は笑う。
「つれねぇなぁ。オレの事忘れたってのは、本当なのか」
獲物を捕らえた肉食獣のような瞳が、私に向けられていて。
これは危険だと肌で感じる。
「逃げんな。答えろよ」
つかつかと歩み寄られ後ずされば、ドアに背がぶつかった。
あけようと思ってノブに手を伸ばしたけれど、しっかりと片手でドアを押さえられてしまう。
「リサ。オレのこと忘れたのか?」
「……忘れたというか、知らない。いきなりなんなの。人の部屋に窓から入ってくるなんて、非常識だと思うんですけど」
かがんで男は顔を近づけてくる。
しっかりとした形のいい眉に、精悍な顔立ち。
着崩した服の隙間から、厚い胸板が見えた。
「知らない……ね? あいつらから話は聞いてる。全部無かったことにしたんだってな」
肌がピリピリとする。
威圧するような空気が、男から放たれていた。
この男もヴィルトと同じで、記憶を無くす前の私の知り合いなんだろうか。
ごろつきや街の不良とは格が違う、荒事に慣れた雰囲気が男にはあった。
例え記憶がなくたって、私の性格なら絶対に自分から関わらないであろう人種だ。
後ろ手で魔術を発動させるために、術式を展開する。
残りの魔力はほぼないけど、背にあるドアを破壊するくらいはできそうだ。そうすれば、逃げ道が確保できる。
魔力を注ぐために、右手の甲に触れようとしたらその手を掴まれてしまった。
「そう警戒するなリサ。ずっと探してたんだぜ?」
「……いきなり女の子の家に押しかけてくる男を警戒するなって方が無理だと思うんですけど」
ぐっと両手をドアに押し付けられる。
「いい心がけだ。けど、それはオレ以外の男に対してだけにしろ」
にっと笑ってから、男が口付けてきた。
「んんっ!?」
唇を奪われてパニックになる。
わけがわからない。
抵抗しようにも、押さえつける力が強すぎてどうにもならなかった。
「っ、何するの!」
唇が離れたところで叫べば、男は真っ直ぐに私を見つめてきた。
「リサ、オレが悪かった。くだらない嫉妬でお前の気持ちを疑った。だから戻ってこい」
熱っぽい瞳で懇願される。
トクンと胸が騒いだ。
「な、何言ってるの? 私あなたなんて知らない」
「……これ、結構くるな。お前にもこんな想いさせてたんだとしたら、悪かった」
私の言葉に、男はよくわからない事を言って謝ってくる。
戸惑う私を男は軽々と持ち上げて、肩に担いだ。
「とりあえずは確保だな。しっかり捕まってろよ!」
「ちょっと待って! この人さらい! いやせめてドアからっ!」
ジタバタとする私にお構いなく、男は窓にかけられていた縄を掴んで飛び降りて。
私は名前も知らない男に、連れ去れてしまった。
2015/1/14 ヴィルトとリサが一緒にいた時間に関する台詞を、半年以上から一年以上に変更しました。
★2015/8/18 リサの失踪していた期間を、妊娠周期の関係から「3ヶ月弱→1ヶ月半」 に修正しました。報告ありがとうございます!