【24】秒針のない時計
若干R15です。
グエンがずかずかと私の前を歩いていく。
普段ならなんだかんだで歩幅を合わせてくれるのに。
今日は朝食の席にグエンはいなくて、先に神殿へ行っていると騎士達から伝言を貰っていた。
だから顔を会わせるのは今日はこれが初めてだ。
何か怒っているとわかるのに、その原因が全く思い当たらない。
昨日は一日中ユーリといたから、会話もあまりなかったけど、おとといは物凄く上機嫌だったはずだ。
「ちょっと待って、グエン! 早いってば!」
そう言えば、グエンは立ち止まって振り返った。
凍てつくように冷たい目を私に向けて。
「グエン?」
やっぱりさっきのは勘違いじゃなかったらしい。
グエンはいつものような人を小馬鹿にしたような笑みは浮かべてなかった。
無表情で、冷たい。
全てを威圧するような空気をグエンは放っていた。
戸惑っていたら、グエンがこちらに近づいてきた。
本能的に怖い、と思う。
グエンに対してそんな感情を抱くのは初めてだった。
思わず後ずされば、追い詰められる。
背中には木。
目の前にはグエンの顔があって。
どうしてそんな目で私を見るのかわからなくて、混乱した。
「お前、ずいぶんとカナタやヤイチと仲がいいな。昨日はずっとカナタと部屋で楽しく何してたんだ? オレとベッドでしてたようなことか?」
ねっとりとなぶるような声でそう言われ、グエンが勘違いをしていることに気づく。
「あれは……んっ!」
グエンに事情を説明しようとすれば、唇を重ねられて言葉を奪われた。
こちらの事を考えない、乱暴で荒々しいキス。
同時に胸をまさぐられ、セーラー服のスカートの下に手を入れられる。
「やめてっ!」
ドンと、グエンの胸を突き放せば、グエンは私を解放した。
「……オレよりも同じ世界からきた、あいつの方がいいってことか」
「誰もそんな事言ってないでしょ!」
吐き捨てるように呟いたグエンに叫ぶ。
「だってそうだろ。オレには一度も好きって言わないのに、あいつにはあんな甘い顔して自分から抱きついて。大好きなんて言ってたよな」
一瞬いつのことかわからなくてぽかんとする。
それから、昨日の朝カナタがユーリだと判明して自分から抱きついたことを思い出した。
あの時、玄関のドアが開いた音がして、見たら誰もいなかったけれど。
グエンは私達が抱き合う姿を目撃していたらしい。
しかもこの様子だと、話は途中からしか聞いてなくて、カナタが私の妹だってことも知らないんだろう。
「しかも昨日はあいつと一緒に寝るから一人で寝てて、なんて嬉しそうにオレに言ってくるしな? 堂々と浮気宣言されて、さすがのオレも何も言い返せなかった」
グエンの言葉に、自分がとんでもない失態をやらかした事に気づく。
カナタがユーリだとわかって浮かれていた。
私にしてみれば、妹と久々に家族団らんのような気分だったのだけれど。
何も知らないグエンから見れば、私が男と浮気したようにしか思えないだろう。
しかもグエンにそれを、嬉々として報告してしまっている。
「違うの、グエン。あれは」
誤解を解かなきゃと思った私の頬の横に、グエンの手がドンと押し付けれる。
「好きなのはオレだけだったって事なんだろ。別にいい。今更だからな」
グエンは自嘲するように笑う。
嫉妬して、傷ついているのがわかった。
それからグエンは、ポケットから丸められた紙を取り出して紐を解くと、それを破り始める。
「ちょっとグエン!」
文字は読めないけれど、それが重要な契約書の類だということは紙の質でなんとなくわかった。
慌てて声をかけたけれど、グエンはそれを全て千切ってしまって。
私の頭の上からはらはらとかけてくる。
「これで自由だ。もうオレには関係ない。捕虜でも保護下のトキビトでも何でもないから、勝手にどこにでも行け」
突き放すようにそう言って、グエンは立ち去ってしまった。
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呆然と立ち尽くす。
関係ないとグエンに言われて、頭の中が真っ白になった。
私が悪い。
私がグエンを傷つけた。
ただの誤解だから今すぐに追いかけて、ちゃんと説明すればきっとグエンはわかってくれるはずだ。
でもまた「関係ない」と言って、拒まれて聞き入れてもらえなかったら。
そこまで考えて、怖くなる。
例え今誤解が解けたとしても、グエンがずっと私を好きでいる保障なんてどこにもないという事に気づいた。
この先このまま生きていれば、こんな風に憎むような視線を向けられて、嫌われてしまうこともあるかもしれない。
幸せはいつまでも続くわけじゃない。
心を占める割合が大きいほどに、失った時の穴は大きくなる。
すでにこんなにも苦しいのに、これ以上は嫌だった。
――これで、これでよかったんだ。
そう思うことにする。
どうせ私は今からいなくなるのだ。
恋仲になったグエンを置いていくことに罪悪感があったけれど。
どこにでも行けと言われたのだから、それを感じる必要がなくなったことをむしろ喜ぶべきだ。
そう思い込もうとするのに、グエンから向けられた視線を思い出せば、ずきずきと胸が痛んで。
苦しくて苦しくて、しかたなかった。
私は自然と胸元から懐中時計を取り出していた。
錆に覆われていたはずの時計は、錆がほとんど消えていて鈍色の本体が見える。
貰った時は銀色だったのに、錆のしたはこんなにもくすんだ鈍い色。
まるで今にも壊れそうな古いオモチャのようだと思った。
ゆっくりと蓋を開ける。
ユーリたちが魔術兵器になった時間で止まっていたはずの時計は。
いつの間にか動き出していた。
現実からこの世界にやってきた当初に、この時計を飲み込めば元の世界へと帰れたけれど。
――今のこの時計は、どこへ私を連れて行ってくれるんだろう。
できればもう何も考えたくはない。
傷つくこともないような、そんな世界へと連れて行ってくれたらいい。
全て忘れて楽になりたい。
そんなことを思えば手のひらの時計の秒針がぶれて消えた。
数字も掠れて消えて、時計とは言えないものになる。
それを私は。
まるで誘われるように、口にした。




