【19】素直な彼
グエンが狼から元に戻る間、しばらく王都で過ごすことになった。
「カイル、散歩行こうか」
「ワゥ!」
私の言葉に、カイルが嬉しそうに近づいてくる。
やっぱりまだグエンと狼のカイルが頭の中で一致しなくて、私は狼姿のグエンのことをカイルと呼んでいた。
「ごめんねカイル。首輪なんかつけて」
「ワゥゥ!」
気にしないでみたいな感じで、カイルが答えてくれた。
人を乗せられるくらい大きな狼だから、これくらいしないと怖がられてしまうのだ。
――これ、グエンなんだよね。
手に鎖を持ったまま、首輪をつけてお座りをして。
散歩いくんだよね?とばかりに、私をキラキラとした瞳で見上げてくるカイル。
これを脳内でグエンに変換すると……。
やめよう。
これ以上は私の脳が拒否した。
身も蓋もない感じで、思考を断ち切る。
カイルが乗れというので、この日もカイルの背に乗る。
物凄く私の姿は目立っていた。
この見世物状態にも大分慣れた。
私が乗っていることで怖くないと思ったのか、恐る恐る子供たちが近づいてくる。
うーとカイルが唸る。
基本的にカイルは人間嫌いなのか、私以外に懐かなかった。
「だめ、カイル。なでさせてあげて」
でも私がそう言えば、ちゃんという事を聞いてくれた。
●●●●●●●●●●●●●
「お帰りなさい。どうでしたか散歩は」
屋敷に帰るとヤイチ様が声をかけてきた。
「グルルルゥ……!」
カイルが歯をむき出しにして、毛を逆立てて威嚇し始める。
今にも飛び掛りそうだったけれど、私が怒るからか唸るだけに留めていた。
皆で集まって話をした時は、ヤイチ様が隣でも大人しくしていたのに、最近のカイルはヤイチ様を見るたびにこんな感じだ。
「たぶん今は、私と過ごしてた時のグエンですね。そろそろ人化するかもしれません」
ヤイチ様は冷静にそんな事を言う。
「ヤイチ様、嫌われすぎてませんか?」
カイルはヴィルトやクライスにも唸りはするが、ここまでじゃない。
「私としては可愛がっていたつもりだったんですけどね」
ヤイチ様は少し不本意そうだった。
「噛み付こうとしてきたりするものだから、手荒く躾けたのがいけなかったのかもしれません」
そんなつもりじゃなかったというようにヤイチ様は口にしたけれど。
なるほどなぁと納得した。
カイルの唸りには、怯えや恐れが含まれている気がしていたのだ。
優しそうな顔をしているけれど、ヤイチ様はわりと容赦ないようだ。
「カナタはどうしてます?」
最初にここに来た日以来、私はカナタに会ってなかった。
召喚されたカナタには色々検査や手続きがあるらしく、今はお城にいた。
「元気ですよ。ただしばらく、あちらで預かることになりそうです。色々調べることも多いですし、グエンが元に戻るまではこちらに帰れないでしょう」
後半を強調してヤイチ様はそう告げた。
まるで、グエンが戻るまでこっちに連れてくる気がないように私には聞こえた。
●●●●●●●●●●●●●
ヤイチ様の言う通り、その日のうちにカイルは狼姿から、人型になった。
「え、ちょ……」
カイルがじゃれついてきて、押し倒されて。
その次の瞬間、カイルは私の見ている前でグエンの姿になったのだ。
グエンの姿を見るのは、一週間ぶりくらいだ。
目の前で変身するところを見せられてしまえば、本当に狼のカイルがグエンだったんだと信じるしかなかった。
紺色の瞳には劣情のような色があって。
筋肉質な胸がすぐそこにあった。
「リサ……」
久々に名前を呼ばれて、ぞくぞくとした。
低く響く声。
そんな風に切なげに呼ばれてしまうと、胸が高鳴る。
戸惑っていると、頬に手が添えられた。
私の反応を見るように。
抵抗しないのがわかると、グエンは私に軽く口付けた。
ふわりと、触れるだけの優しいキス。
「えっと、グエン?」
名前を呼ぶと幸せそうに微笑んで、グエンは私の上半身を起こすと抱きしめてくる。
壊れ物を扱うように、そっと。
「会いたかった。ずっと、ずっと」
私を抱きしめている腕は、微かに震えていた。
●●●●●●●●●●●●●
人型になったグエンは、私の知っているグエンに大分近かった。
前のようにリサさんなんて呼んでこないし、貴族然とした雰囲気もない。
「グエン……そろそろ離れてくれるかな」
現在私はグエンの部屋。
ベッドの上で膝の間に座らされて、頬ずりされている。
「なんでだよ。リサは大人になったオレの恋人なんだろ? ヤイチもヴィルトってヤツもそう言ってた」
「違うから!」
嬉しそうに口にしたグエンに、すぐさま否定を返す。
「違うのか。でも、オレの記憶を取り戻すためにこうやって、わざわざ側にいてくれてるんだよな? それってオレが好きだからじゃないのか?」
耳元で囁いてくる。
グエンはまだ記憶を全部取り戻したわけじゃなかった。
けど、狼から人型に戻ってから、急速に私達が知るグエンに近づきつつある。
しかし、今のグエンはちょっとスキンシップが激しい。
いや前のグエンだって尻触ってきたり、胸触ってきたりとやりたい放題だったけど。
触り方がこう、ちょっと優しいというか。
私の知ってるグエンのように、軽い態度で感情を隠したりしないというか。
ダイレクトに好きが伝わってきて戸惑う。
「あんた、調子乗ってると……」
ベッドから降りて魔術を放つポーズを取れば、グエンは手を上げて降参のポーズを取った。
「魔術なんて使ったら、オレまた記憶喪失になっちゃうかもな。衝撃で記憶が飛ぶってこともあるらしいし。それにリサはオレの記憶を早く取り戻したいんだろ? じゃあ協力してくれよ。リサに触れてると何か思い出せそうな気がするんだ」
にやにやとグエンは笑う。
そう言われてしまうと何もできなかった。
というか、長い間狼姿だったから。
私もグエンが恋しかったのかもしれない。
触れられるのが、本当は嬉しかった。
けどそれを口や態度に出せるわけもなく。
……グエンに入れ知恵したのは、ヤイチ様だろうか。
それともヴィルトだろうか。
というか、実はもう全部思い出してるんじゃないのか。
そんな事を思う。
「ほら、こっちこいリサ」
手を差し出される。
グエンが名前を呼んできて。
私に対して向けられる瞳が甘いせいで、まるで恋人のように扱われていると錯覚を起こしてしまいそうだ。
「……嫌」
「なんだよ。そんなにこっちの姿のオレは嫌いか?」
照れくさくてそういえば、グエンはちょっと傷ついたような顔になる。
しかたないなというように、グエンは狼姿に変身した。
「これなら文句はないだろ。オレはお前に触れたいし触れたいんだ」
私に歩み寄ってきて、体を擦り付けてくる。
「……グエン、その姿でも喋れるんだ?」
「あぁ。もしかして元のオレはこの姿の時は喋ってなかったのか。そういやリサに狼になれることを隠してたってヴィルトが言ってたな」
思い出したようにグエンは呟いた。
「でもまぁ、別にいいだろ。リサはオレが狼でも嫌いにならないみたいだし」
ふりふりとグエンの尻尾は揺れていた。
なんだか嬉しそうだ。
ヤイチ様が前に言っていたように、グエンは自分が狼に変身できることで私に嫌われるかもと心配していたようだった。
がさつでそんな事気にしそうにないのに、私に嫌われたくなくて必死に隠してたんだなと思うと。
たまらなく元のグエンが可愛く思えてきてしまうあたり、私はちょっと重傷なのかもしれなかった。
優しく頭を撫でやると、グエンが気持ちよさそうに目を細めた。
「リサは、やっぱり……狼のオレの方が好きなんだよな。こっちのオレには自分から触ってきてくれるのに、人型だと逃げる」
ふいにグエンが呟いた。
しゅんと尻尾が垂れ下がる。
自分で言っていて悲しくなったようだった。
その姿にきゅんとなる自分がいた。
どうしよう。グエンが素直だ。
「リサが望むならずっと狼でいてやる……だから、オレの側からいなくなるな」
思わず抱きしめたくなる衝動を必死で抑えていたら、おずおずとグエンが私を見上げてくる。
私の知っているグエンなら、絶対に出さない恐れの混じった懇願の言葉。
これは罠なんだろうか。計算なんだろうか。
そんなことを疑いたくなるけれど、健気なことを言って見つめてくる瞳は純粋そのもので。
「別に人型のあんたも……嫌いじゃない」
ぽつりと呟けば、グエンはピクリと耳を動かした。
「本当かリサ?」
グエンは一瞬にして人型になる。
しかし、服は先ほどで破れてしまったため、当然のように全裸だ。
「リサ。好きだ」
「ちょ、服! なんか当たってるからっ!」
裸で抱きついてくるグエンを押し返すけれど、力が強いのでびくともしない。
そんな風にたくましい肉体をさらされてしまうと、どこを見ていいのかわからなくて混乱する。
「姐さんヤイチさんが……」
タイミング悪くヴィルトがドアを開けた。
ノックしろと言ってるのに、ヴィルトはよく忘れる。
そして何も言わずに、そっとドアを閉めた。
●●●●●●●●●●●●●
あの後どうにか自力でグエンの腕から脱出し、ヴィルトは叱っておいた。
「すいません邪魔してしまって!」
全力でヴィルトは謝ってきたけれど、そこじゃない。
ノックしなかった事もだけれど、何より襲われかけてる私を助けなかったのが問題だと思う。
言い聞かせたけど、絶対ヴィルトはわかってない。
こんな風にしばらく過ごして、一週間。
朝食の席についたグエンが、物凄く機嫌が悪かった。
「どうしたのグエン、人相がいつもに増して悪いけど」
「あぁ?」
ぎろりと私を睨んでくる。
視線だけで人を殺しそうな勢いだ。
「ほらグエンの好きな苺があるよ。あげる」
「……」
皿に苺を乗っけてやる。
前にグエンがお坊ちゃまっぽいモードになった時にわかったことなのだけれど、グエンは意外と甘酸っぱいベリー系が好きらしい。
ラザフォード領で生活している時には、全く知ることができなかった一面だ。
好きだけど、柄じゃないので隠していたんだろう。
ちなみに甘いもの全般が結構好きらしく、ホットケーキがお気に入りだったりする。
はっきり言って似合わないことこの上ないけれど、食べるとき幸せそうな顔をしてくれるから、今日の朝食も私お手製のホットケーキだ。
なのに、全然手すらつけていない。
「食べないの?」
「……」
先ほどからグエンが無言だ。
眉間のシワが凄い。
もしかして食べさせて欲しいんだろうか。
最近のグエンは甘えてきて、食べさせろという事も多かった。
しかたなくフォークで苺を刺して口元まで持っていってやる。
「ほら、あーん」
「!?」
グエンは驚いた顔になって、少し身を引いた。
それを見てか、ヤイチ様が噴出した気配がした。
一緒に朝食の席にいたヤイチ様の方をみれば、視線をそらすようにして口元を覆いながら、肩を震わせて笑うのを耐えているみたいだった。
「失礼。グエンがあまりにも面白いものですから」
ぎろりとグエンに睨まれて、こほんとヤイチ様は咳払いした。
「グエン、あなた全て思い出したんですね」
「そうなのグエン?」
ヤイチ様と私の視線を受けて、グエンは大きく一つ溜息をついた。
「……あぁ。全部思い出した。ここ最近何をしてたのかまで、くっきりな」
最後は苛立たしげに吐き捨てたグエンは、私が知っているグエンの顔をしていた。
「本当に? ちゃんと私のことも覚えてるの?」
持っていたフォークを置いて、グエンの胸倉につかみかかるようにして問い詰める。
「……面倒かけて悪かったな」
そういってグエンは、私の頭をぽんと撫でてくれた。
グエンが外から帰ってくるときに、私にやる動作。
私の知っているグエンが、帰ってきたんだと思うと、気づけば目から涙が溢れていた。
「リサ? なんだどこか痛いのか!」
グエンがうろたえだす。
私が泣いたのを、グエンは初めてみたから驚いているようだった。
「馬鹿! グエンのアホ!」
ぽかぽかと力なくグエンの胸を叩く。
「な、なんだいきなり。落ち着け!」
「心配したんだから……」
戸惑っているグエンの胸に顔を押し付ければ、おずおずと大きな手で頭を撫でてくる。
「……ありがとな、リサ」
その優しい声に、私は。
わんわんと大声を上げて泣いてしまった。




