【17】狼と彼
クライスと一緒にヤイチ様の部屋に向かう途中、ヴィルトに出くわした。
「カナタは?」
「今ヤイチさんと二人っきりで話中で、まだ終わらないみたいです。隊長の方はどうでしたか?」
尋ねればヴィルトはそう言って、グエンの事を聞いてくる。
魔術医から聞いたことを伝えれば、よかったとほっとしたようだった。
「あのままだったらどうしようかと思ってましたよ。さすがにあれはきついものがあるというか。気弱な隊長なんて、調子が狂います」
「そうよね。グエンには悪いけどちょっと不気味だもんね」
ヴィルトの言葉に、私だけではなくクライスも頷いていた。
「何か向こう側が騒がしくないですか?」
ふいにクライスがそんな事を行って、私達が歩いてきた側の廊下の奥に目をやる。
確かに物が壊れる音や、複数の足音がした。
「何かあったのかな?」
不思議に思って首を傾げれば、何かがこちらに向かって突進してきていた。
あれは……カイル?
狼のカイルが、使用人に追いかけられていた。
私に真っ直ぐかけよると、勢いよく飛びついてくる。
「わふぅ!」
「ぎゃっ!」
押し倒されて、顔を舐め尽される。
カイルのしっぽは千切れんばかりに揺れていた。
「何でカイルがここにいるんだ?」
「隊長を追ってきたのかな……ラザフォード領から結構あるのに」
ヴィルトとクライスが、それぞれ呟く。
騒がしさに気づいたのか、ヤイチ様がドアを開けて外に出てきた。
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カナタが私の姿を見つけ、隣にきてというように手招きする。
嫌がらせのように、そこにヴィルトが座った。
カナタを挟んでヴィルトの反対側にクライス。
そのソファーは狭そうだったので、私はヤイチ様の隣に座らせてもらったけれど、カナタはかなり不満そうな顔をしていた。
「記憶が過去に戻っているのですか」
グエンに関する報告を聞いたヤイチ様は、神妙な顔になった。
「今の隊長はカイル・エトナ・ラザフォードと名乗っています。九歳でラザフォード領の領主の息子だということですが、ラザフォード家は一族全員殺されたと僕たちは聞いていました」
クライスの言葉に、ヤイチ様は内密にお願いしますと前置きする。
「……彼のいう事に間違いはありません。グエンの本名はカイル・エトナ・ラザフォード。ラザフォード家唯一の生き残りです。彼が十歳の時に一族はレティシア軍によって殺されましたが、彼だけは連れ攫われました」
ヤイチ様によると、グエンは一族の中でも珍しい能力の持ち主で、それにレティシアの魔術師が目をつけたとの事だった。
「その珍しい能力って何ですか」
膝の上に手を置いてきて、触れとカイルが催促してきたので、その頭を撫でてやりながら尋ねる。
「狼化です。元々ラザフォード家は、人狼の一族と言われていました。けどその血は薄れ、当時狼に変身できるのはグエン一人だったようです」
ヤイチ様によれば、グエンは狼に変身できるらしい。
にわかには信じがたい話だった。
「連れ攫われたグエンは研究所で実験動物として扱われ、自分が人間だということを忘れていたようです。私は手に負えない犬を譲り受けただけのつもりだったのですが、まさかそれがラザフォード家の生き残りなんて思いもしませんでしたよ」
どうやらヤイチ様がグエンを育てることになったのは、偶然のようだった。
そもそも、犬を譲り受けたつもりだったらしい。
それが人間に変身したときは、かなり驚いたのだと口にしていた。
前にヤイチ様に再会した時。
保護したグエンが野生化していたなんて口にしていたけれど、この事なのかと思う。
それからヤイチ様は、グエンをラザフォード家の当主として育てようと決めたらしい。
けどなかなか上手くいかなくて、何度も脱走されたのだと、当時を思い出したのか苦労の滲む顔で呟く。
あの牢屋のような部屋は、脱走対策だったようだ。
それでもどうにかグエンが、人としてまともに生活できるようになった頃。
十五歳の成人になってすぐにグエンは、家出をしたらしい。
ヤイチ様が育てていたのは、十三歳からの二年間だけだということだった。
その後のグエンは単身レティシアに渡り、研究施設を破壊してまわっていたらしい。
私と同じことをしてるなぁと思いながら、ヤイチ様の話を聞く。
その後グエンは二十五歳でウェザリオに帰ってきて、ラザフォード騎士団に入ったようだ。
二年後には隊長を任せられ、今に至るとの事だった。
「……少し信じがたい話ですね。人が狼になるなんて非現実的だ」
「魔術があるんだから、それくらい有りだろ。クライスは本当頭が固いよな」
嘘臭いというようなクライスに対して、ヴィルトはあっさりとヤイチ様の話を受け入れてしまったようだった。
「というかさ。隊長の本名がカイルだとすると、それ隊長ってことにならないか?」
ヴィルトが指差したのは、私の膝に頭を乗せてくつろぐ狼のカイル。
「……いやまさかそんな。こんな男前でいい子のカイルが、乱暴ものでガサツなグエンなわけないじゃない!」
ヴィルトの呟きに、少しはっとさせられたけれど、笑って否定する。
確かにグエンとカイルは見た目がちょっと似てる。
グエンの銀灰色の髪と、カイルの鬣の色は同じだし、深い紺色の瞳も一緒。顔に傷があるのもそっくりだ。
でもグエンとカイルでは、似ても似つかない。
カイルは本当によくできた狼なのだ。
私の好物であるひつじ豚をまめにプレゼントしてくれたり、お花畑に連れて行ってくれたり。
神殿を捜したいといえば、背中に乗せて歩いてくれる。
ブラッシングも撫で撫でも好きなだけやらせてくれるし、尻尾もお腹も触らせてくれるサービスの良さだ。
「……そういえば、隊長とカイルが一緒にいるところ見たことないな」
「見た目も隊長に似てる気がしないか? それに姐さんといるところに近づこうとすると、こっちくんなって感じで殺気出すんだよな。隊長と同じだ」
クライスが呟き、ヴィルトがうんうんと頷く。
確かにクライスの言う通りだ。
言われて初めて、グエンとカイルが一緒にいるところを見たことがないと気づく。
グエンが忙しいときは、カイルもなかなか遊びにきてくれなかった。
でも、ラザフォード領が平和なときは、カイルはグエンを通じて私を遠出によく誘ってくれて。
一緒に魔物を狩って、色んなところを歩き回って。
夜になれば抱き合うようにして眠った。
城に帰ったら汚れを取るために、仲良くお風呂に入って……。
いや、まさか。
このカイルが、グエンなわけないはずだ。
そうだとしたら大変なことになる。
男だらけのラザフォード領、会話をするならヴィルトやクライスがいたけれど、心を思いっきり許せるのはカイルだけだった。
カイルは狼だし、誰にも言えないことが言いやすくて。
私はカイルに色々語りかけていた。
グエンがセクハラしてくるくせに、一緒のベッドで寝ていても手を出してこないのは私に胸がないからなのかな?とか。
王都でエスコートしてくれたグエンがちょっと格好よかったこととか。
グエンに頭を撫でられるのが、意外と嫌いじゃない事とか。
一緒に買い物に行こうってグエンに誘われたけど、何着ていこうとか。
グエンとカイルが一緒なら。
私は、全部本人に直接言ってしまったってことになる。
「そ、そんなことありえるわけないでしょう。グエンは部屋で寝てるはずよ!」
「いえ、ヴィルトの言う通りそこにいるのがグエ」
ヤイチ様が何か言う前に、立ち上がって部屋を出る。
絶対にカイルがグエンだったなんて認めたくなかった。
皆でぞろぞろとグエンの部屋へ向かいドアを開ける。
祈るような気持ちでベッドの毛布を捲ったけれど、そこにグエンの姿はなかった。
「ち、違うわよね? カイルはグエンじゃないわよね?」
視線をあわせ、縋りつくように横に立っていたカイルに尋ねれば、首を傾げてくる。
「さっきまでグエンは九歳だったんですよね。たぶん歳が進んだとするなら、今は研究所で狼として扱われていた時なんじゃないかと。たぶん理解もしてませんし、しばらく狼のままだと思いますよ」
ヤイチ様がそんなことを言う。
「……ありえない」
顔が急激に赤くなっていくのがわかって、顔を両手で押さえる。
カイルが大丈夫?というように、私の手ごと頬を舐めてくる。
「あーリサ、そう落ち込まないでください」
大体の事情を悟ったのか、ヤイチ様が慰めるように声をかけてきた。
「ふ、ふろに一緒にはいったり、顔をすりすりしたり、抱きついたりしてたわ。しかも私、言わなくていいことをベラベラと本人にっ!」
何てことをしてしまったんだろう。
というか、今カイルに舐められてるけど。
これをグエンに変換すると、わりととんでもないことをしてるんじゃないだろうか。混乱してきた。
「まぁまぁ落ち着いてください姐さん。やってることは隊長に対するモノと、そう変わらないんですし」
ヴィルトがフォローっぽくそんな事を言う。
「変わるわよ! 何言ってんの!? 私からグエンに抱きついたことも無ければ、一緒に風呂に入ったこともないわよ!」
思わずつっこめば、ヴィルトは不思議そうな顔をした。
どうしてそんなにムキになるのかわからないと言った様子だ。
「でもリサさん、隊長と部屋もベットも一緒ですよね」
私が恥らう意味がよくわからないのか、何を今更というような調子でクライスまでそんな事を言ってくる。
「一緒なだけで、そういう事はないって何度言ったらわかるの!」
ラザフォード騎士団の一員になってから、毎回のように言ってるのに、誰も信じてはくれない。
それは家事当番で私といることが多く、仲のよいヴィルトとクライスも例外じゃなかった。
「リサ、恥ずかしいのはわかりますが、誰もその嘘は信じないと思いますよ。あのグエンが大人しく待てできるような子だと思えませんし」
まさかヤイチ様までそんな事を言うとは思わなくて、ショックで驚きの眼差しを向ければ、今度はヤイチ様が目を見開いた。
「……まさか、本当に? あのグエンが?」
「だからそうだって言ってるじゃないですか!」
ありえないと言うようにヤイチ様が口にする。
どれだけグエンは女の人がいたら手を出すと思われているのか。呆れると同時に、何故だかちょっぴり腹立たしかった。
「……」
そんな私の様子を、カナタが黙って見ているのが妙に気になった。
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