【16】九歳の彼
ようやく冒頭あたりに戻ってきました。
長くてすいません。
目覚めたグエンは、自分のことを何も覚えてなかった。
けれど一般的な知識はあるようで、物や道具の名前、使い方などはちゃんと覚えているみたいだった。
その口調さえ全く違っていて、まとう雰囲気も別人だ。
どことなく幼いし、気品がある。
荒々しく、どこか野性味のあったグエンはそこにはいなかった。
「はいこれ、食事。よく噛んで食べてね」
「ありがとうございます。リサさん」
さん付けで名前を呼ばれて、背筋がざわざわと泡立つ。
グエンの話し方は低く艶っぽかったのに、今の彼の声は柔らかく優しげで。
不気味でしかなかった。
目が合うと、にこっと彼が笑いかけてくる。
愛想のいいグエン。
いつもの人相の悪い笑顔の方が一般的には怖いのだろうけれど、いつものグエンを知っている私からすれば、こっちの方が断然怖い。
医者であるアーデルハイトさんに診察してもらえば、頭の傷は出血こそ多かったもののそんなにたいしたこともなかったので、これは魔術の影響じゃないかということだった。
魔術なら私の専門……といいたいところなのだけれど、実をいうと私の魔術知識は大いに偏っていた。
魔術兵器関連の知識に、攻撃系の魔術。
あとはちょっとした止血術と、移動の際に役立つ魔術。
私の魔術は正直戦闘に特化していて、それ以外は正直さっぱりだった。
アーデルハイトさんの知り合いで、王都に魔術医がいるらしく、その人を紹介してもらう事になった。
ちなみに、魔術医というのは、魔術による症状を治すための専門の医者だ。
「すいませんが、隊長をよろしくお願いします。レティシア軍が去ったといってもここを開けるわけには行きませんので」
副隊長に頼まれて、私はグエンに付き添って王都へ行くことになった。
ヴィルトやクライス、カナタも一緒だ。
レティシアの第八王子を討ち取ったことになっているヴィルトとクライスは、本来もっと早く王都へと報告へ向かうはずだった。
保護されたカナタも、その身柄を国に預けなくてはならなかったのだけど。
隊長であるグエンがこの状態だったので、ずっと延期していたのだ。
「ヴィルト、クライス。隊長がこの状態である以上、彼女が隊長代理です。言う事をよく聞き、サポートするように」
副隊長がそう言って、二人が「はい!」と敬礼のポーズを取る。
「いや私一応捕虜なんですけど。色々責任が重くありませんか」
全員を引率していくことに不満はなかったけれど、バイトなのに店長代理を頼まれたみたいな気分になる。
「夫が倒れた時に代理をするのは、妻であるあなたの役目かと思うのですが?」
副隊長は何が問題なのかと言うように首を傾げた。
「まだ夫婦じゃありません!」
ナチュラルに夫婦扱いされ、とっさに反応する。
「まだなだけで、いずれはなるのですから同じ事です……これくらいやっていただかないと、隊長の妻は務まりませんよ?」
しれっとそんなことをいう副隊長だったけれど。
くっと唇を噛む。
まだ、なんて言葉を使っていた自分に気づかされて、悔しい気持ちになる。
その言い方だと、いつかグエンと結婚する気があるようだ。
「とにかく今回は緊急事態ですから、グエンの事は任せてください。ちゃんと治してきますから!」
「お願いします……これでは、不気味で仕事も手につかない」
請け負った私に対し、グエンの今の状態を案じたのか副隊長が胃を抑える。
副隊長の言いたい事はよくわかる。
目覚めて後、グエンと城の中を歩いた時のことを思い出す。
今の状態が不安なのか、グエンは早く記憶を取り戻したいらしかった。
それは歓迎するところだったので、私はグエンを連れて城内を歩いた。
――正直、やめておけばよかったなぁと、今心から反省している。
「隊長元気になったんすね!」
そう言って部下が背中を強く叩けば。
「うっ……痛い」
グエンは泣き出しそうになる始末。
「隊長どうしたんすか、何か雰囲気違いますね。久々に元気になったからって、姐さんとやりすぎちゃいましたか?」
「やるって何をでしょうか?」
下品な意味合いをこめて聞いた騎士に対して、純粋な目を向けて問いかけて。
「……ははっ、隊長らしくないっすよ。やるっていったらアレしかないでしょうが」
他の騎士がそんな事を言って、聞くに堪えない下世話な言葉をからかうように耳打ちすれば。
「あっ、あなたたちは何てことを言うんですかっ! そ、そんなことリサさんに出来るわけないでしょう!」
顔を真っ赤にして乙女のように恥じらいながら、グエンは走り去った。
その場にいた騎士たちは、彫刻のように固まっていた。
不気味すぎるグエンの変わりように、皆が戸惑いを隠せず、ただ今城内は大混乱中だった。
●●●●●●●●●●●●●
――王都へと向かう馬車の中もそれにまけず、大混乱中だったりするんだけどね。
現在は、ラザフォード領を抜けて、王都へと向かう馬車の中。
どうしてこうなったんだと思わずにはいられない。
「あのさ、君なんなの。ボクのリサ姉にベタベタしないでくれる?」
「……リサさん、この子怖いです」
私の右にカナタ、左にグエン。
この二人、顔を合わせるのは今日が初めてだったりするのだけど、物凄く相性が悪いようだった。
というか、狭い。
でかいグエンが私に纏わりついてるのもなんだけど、カナタの距離も近くて正直圧迫感があった。
「おい、カナタ。姐さんにあまりくっつくな。姐さんは隊長の恋人なんだ」
「恋人ってまさか、そこの体大きいのに中身幼児っぽいのが?」
向かいの席に座るヴィルトの言葉を、はっとカナタが鼻で笑う。
「それは今記憶喪失だからだ。本来隊長は男らしくて頼りがいのある人なんだよ。二人はとてもいいカップルで、常に戦いの中に身を置いて、お互いを極めあってるんだ」
いやヴィルト、それ私とグエンただ喧嘩してるだけだから。
そうつっ込みたかったけれど、尊敬と憧れの混ざった口調で言われてしまえば、それもできなかった。
グエンとのやりあいが、ヴィルトの目には間違った風に映っていたようだ。
「ふーん? でもまぁ、リサ姉を忘れた時点で失格だよね。愛が足りなかったんじゃないの?」
ちらりとカナタが視線をグエンに向ける。
「っ! ちゃんとリサさんがぼくの大切な人だってことだけは、覚えてます!」
そうすれば、グエンがきっぱりとそう言って、カナタに渡さないというように私の体をぎゅうっと抱きしめてきた。
「ぐ、グエン苦しいから」
「わぁっ、ごめんなさい!」
子供っぽい今のグエンだけれど、その力は元のグエンと同じく強いから洒落にならない。
「ボクのリサ姉にくっつくな!」
対抗するように、今度はカナタが私に抱きついてくる。
「はぁ。シスコンは一人で十分だっていうのに」
「誰がシスコンだ……うっ」
その様子に、ヴィルトがやれやれと溜息を付けば、クライスが力なくヴィルトを睨む。
「反応してる時点で自覚あるだろクライス。というか、いやちょっと待て。吐くなよ? こっち向くな!」
慌てるヴィルトに対して、クライスは乗り物に弱いらしく、一人吐き気と戦っていて。
そんな感じでにぎやかな馬車は、王都へと進んで行った。
●●●●●●●●●●●●●
ラザフォード領から王都まではかなりの距離があり、途中の街で一休みする。
馬車にはラザフォード領の印がついているため、その街の貴族がそれを見て宿を提供してくれた。
色んな店がひしめき、交通の便もよさそうなこの領土は、とても栄えているようだった。
「リサさん、ぼく少し思い出したことがあります!」
煌びやかな屋敷に入って、嬉しそうにグエンがそんな事を言い出した。
「両親とここきたことがあります。毎年ハロウィンの日に、パーティを開くんですよね」
「おぉ、よくご存知で」
グエンの言葉に、屋敷の主人である貴族が嬉しそうに笑う。
「ハロウィン?」
現実世界で聞いたことがあるイベント名を、こちらの世界で聞くとは思わなかった。
きけば、あるトキビトがこの街に来て、広めたイベントのようだった。
「この街は交通の便がよく、いろんなものが入ってくるんですよ。珍しいもので着飾ってそれを自慢しつつ、この街で出来たお菓子や料理をプレゼンテーションするお祭りなんです」
貴族が語ったそれは、微妙に私の知っているハロウィンとは違うようだった。
商人の街のイベントと言った感じだ。
「グエン、他に思い出したことは?」
「はい。ぼくの名前を思い出しました。カイル・エトナ・ラザフォードです」
私の問いに、にっこりと嬉しそうにグエンが答える。
「グエンの本名って、狼のカイルと名前一緒なの?」
「狼? ぼくはまだ自分の群れを持ってませんよ?」
グエンは首を傾げた。
「いやでもカイルとは生まれたときから一緒だって、グエンが……」
「ちょっと待ってください。ラザフォード姓ということは、隊長ってラザフォード領の領主だったんですか!?」
私の言葉を遮ったのは、クライスだった。
基本的にこの世界では、納める領土の名前が貴族の姓になっている。
例えばクライスの名前は、クライス・ファン・ルカナンで、ルカナン領を納める貴族という意味だ。
ちなみに、名前と苗字の間につくミドルネームみたいなものは、昔の階級の名残で特に意味はないらしい。
補足すれば、ルカナン領は王都のすぐ近く。
前に行った服屋や騎士学校などがあり、かなり栄えている領土だ。
加えてルカナン家といえば、王の側近に何人も取り上げられている名家中の名家らしい。
そんな彼がラザフォード騎士団に入った理由は、謎に包まれていたりするのだけど、それは置いておいて。
「ラザフォード領の領主一族って、確か……二十年くらいまえに全員皆殺しにされたんじゃなかったっけ?」
ヴィルトが呟く。
私も騎士達からそう聞いていた。
元々先住民でもあったラザフォード領の領主一族は、レティシアからの使者によって殺されて。
それで今は無人になったあの城を、ラザフォード騎士団が拠点として使用していた。
「皆殺し? 何を言ってるんですが? 父上も母上も生きていますよ? 弟や妹たちだって……」
口にしてグエンが頭が痛いというようにうずくまる。
「グエン!」
急いでその体を支えれば、苦しそうにグエンは呻いていた。
しばらく屋敷で休ませれば、グエンはすぐに体調を取り戻した。
頭痛は一時的なものだったらしい。
カイルと名乗ったグエンは、現在九歳だと自分で言っていた。
通りでその雰囲気が幼いわけだ。
話を聞けば、グエンはラザフォード領の領主の息子のようだった。
両親と弟と妹がいて、城にはたくさんの親族と狼が一緒に住んでいるらしい。
一族は、魔物を狩ったり、レティシアと戦ったりしながら、日々を暮らしているとのことだった。
それにしてもと思う。
領主の息子であるらしいグエンは、大分礼儀正しく教育の行き届いた子のようだ。
物腰が柔らかいというか、まとう雰囲気がお坊ちゃまっぽい。
どうしてそれが、私達の知るようなグエンになったのかよくわからなかった。
●●●●●●●●●●●●●
王都に着いてから、二手に分かれる。
私とクライスは、グエンを魔術医の元へ連れて行き、ヴィルトはカナタをヤイチ様の元へ連れて行くことになった。
診察の結果、グエンには記憶が過去に戻る魔術がかけられているとの事だった。
「過去に記憶を戻して、固定するまでがこの魔術のようネ。でも、術中途半端だったか、固定されてない。しばらくすれば、ゆっくり元にもどるヨ」
アーデルハイトさんの知り合いだという魔術医の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
「早く元に戻るにはどうしたらいいですか?」
「その時の記憶の鍵になるものに触れていれば、早く治るかもネ」
グエンがした質問に、魔術医が答える。
わかりましたと言ったグエンは、少し顔が青白かった。
「あんまり無理しない方がいいと思いますよ、隊ち……カイルくん」
気遣うようにクライスがグエンに声をかける。
前回記憶を少し思い出してから、グエンはずっと体調が悪そうだった。
早めに休ませようと、宿であるヤイチ様の屋敷へと向かう。
クライスと共に、グエンを部屋に送り届ける。
使用人が案内してくれたのは、大分変わった部屋だった。
窓には鉄格子。
床には鉄板がはいっているのか、他の床と踏んだ感覚が違う。
ドアも頑丈で、内側から鍵がかからないのに、外側からかかるようになっていて、下にお盆がようやく通るくらいの窓があった。
「……これ、牢屋じゃないの?」
「リサさんもそう思いました?」
壁のいたるところにある引っかき傷や、破壊された跡を眺め、クライスと顔を見合わせる。
使用人によれば、この部屋が元々グエンが使用していた部屋で間違いないらしい。
前回ヤイチ様の屋敷に泊まった際は、グエンは元私の部屋に一緒に宿泊していて。
そのため私は、ヤイチ様の屋敷にあるグエンの部屋を見たことはなかった。
戸惑いを隠せない私たち二人に対し、当のグエンはこの部屋の様子が気にならないようだ。
何の躊躇もなく、部屋の端にあるベッドまで歩み寄る。
「すいません。少し寝かせてもらってもいいですか?」
「あっ、うん。ごゆっくり」
青白い顔のグエンを部屋において、クライスと一緒にそっとドアを閉じた。
「……リサさん、隊長って一体何者なんですか。あの部屋、元隊長の部屋だって使用人さんが言ってましたけど」
「それは私が聞きたい」
呟いたクライスの問いは、私の問いでもあった。
ちなみに、クライスやヴィルトには、すでにグエンの育ての親がヤイチ様であることを馬車の中で話していた。
記憶喪失のグエンに対して、ヤイチ様の協力が必要だと思ったからだ。
とりあえず、昔のグエンのことをヤイチ様に聞こうということで、クライスとの話はまとまった。




