【15】記憶喪失の彼と、呼び出された英霊
敵の大将をヴィルトとクライスが討ち取ったことにして、駐屯所に戻れば他の騎士達がありえないというように目をむいた。
大将を失った敵の残党はあっけなく抑えられ、その日の内に騎士団は城を取り戻し、王都に報告のための使者が走った。
騎士達は戦争が終わったというのに、まだその実感が湧かないらしく、喜びよりも戸惑いの色が大きい。
そんな彼らを横目に、私はまだ目を覚まさないグエンに付き添っていた。
寝てるグエンの顔はいつもより幼い。
「グエン」
名前を呼ぶ。
早く目をあけて、いつものように軽口を叩いてほしいのに、起きる気配はなくて。
このまま目覚めなかったらと思うと、その想像だけで涙が出そうになる。
――いつの間に、こんなにもグエンが私の中にいたんだろう。
怖い、と思う。
大切な人ができることが、怖い。
この世界で恋をした彼や双子たち。
施設で育てた戦争の孤児たち。
皆、私の側からいなくなった。
喪失感に、心が軋んでいく。
もう嫌だ。
大切なものを失うのは嫌だ。
こんなのはもう、終わりにしたかった。
――グエンが目覚めて、無事を確認してからここを去ろう。
それから神殿を壊して、ヤイチ様に全てを終わらせてもらおう。
グエンがもっと大切になって、傷ついて苦しくなる前に。
そんな事を、私はそっと心の中で決めた。
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異世界から呼び出された少年の側には、クライスをつけていた。
起きたときに山賊のような騎士が横にいるより、ニホン人っぽいクライスがいたほうが安心するだろうという配慮だ。
それに、祖先にニホン人がいたクライスは、多少ニホン語がわかるらしかった。
レティシアを倒した次の日、少年は目覚めた。
「目覚めたのね。体はどこも痛くない? 平気?」
優しく声をかけながら部屋に入れば、私を見て目を見開く。
なんでそんな顔をされるのかわからなかった。
見た目に変なところがあったのだろうかと、自分を見たけれど、特に変わったようすはない。
少年はベッドからゆらりと立ち上がると、ゆっくりと私に近づいてきた。
その表情は、まるでありえないものでも見たかのようだった。
「お姉ちゃん……」
彼が私を見て呟く。
「えっ?」
「お姉ちゃん! 会いたかった! ちゃんと生きてたんだね!」
戸惑っていたら、ぎゅっと抱きつかれその場で泣かれてしまった。
わけがわからず、その場にいたクライスにどういうことなのと視線を向ければ、クライスもわかりませんというように、首を横に振った。
落ち着いた彼に話を聞けば、彼には生き別れの兄と姉がいたらしい。
その姉に私が瓜二つらしく、つい取り乱してしまったのだという事だった。
「本当ごめんね。またお姉ちゃんに会えるなんて思ってなかったから、つい嬉しくて」
「だから私はあなたのお姉さんじゃないんだけど」
私の否定の言葉が聞こえているのか、不安になるくらいに彼はにこにことしていた。
「お姉ちゃんだよ」
迷いのない瞳で、彼は事実を口にするようにそんな事を言う。
「運命ってヤツを呪って生きてきたけど、こんなに感謝したのは初めてかも。また巡りあえるなんて思わなかった」
きゅっと彼は両手で私の手を包み込む。
「これからはずっと一緒にいられるね。前は無理だったけど、今なら……その気になればお姉ちゃんと結婚だってできるし。この体に生まれたことを呪った日もあったけど、それも全部このためだったんだね!」
そして、愛おしさがこみあげてきてしかたないというような口調でそう告げた。
……結婚?
いやちょっと待って落ち着こう。
彼が何を言っているのか、よくわからない。
助けを求めるように再度クライスを見れば、どうしたらいいのかわからないらしく、オロオロとドアと私の間で視線を彷徨わせていた。
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異世界から来た少年の名前は、カナタというらしかった。
彼には、この世界が異世界だということと、無理やり召喚されてしまったということは軽くクライスが伝えていたようだった。
レティシアにより、強制的に異世界から呼び出されたカナタは、魔術が完成する前にグエンによって陣から連れ出されたらしい。
そのためか、彼の手には紋章がなかった。
基本的に『英霊』は最初から紋章を持っているものだ。
レティシアで何度か、呼び出されたばかりの英霊と出会った事があるため、それは確認済みだ。
元々魔術師の紋章は、後天的なもの。
私も最初から手に紋章があったわけじゃない。
見よう見まねで魔術の詠唱をしたときに、自然と右手の甲に浮き出てきたのだ。
まだカナタは目覚めてない魔術師なんだろう。
神殿にあった魔術陣は複雑で、色々な効果が付与されている。
その全てを私は知っているわけではなく、詳しいのは魔術兵器に関するところだけだった。
けれど、とりあえずということでカナタの知識を試した。
彼は魔術言語をちゃんと読めた上、その構造もきちんと理解していた。
知識は上級魔術師レベルと言ってよく、その体内にある魔力を蓄える器は規格外の大きさをしていた。
――私と同格、もしくはそれ以上だ。
レティシアの言葉も文字も完璧。
加えて、ウェザリオの言葉を話せて、読み書きもできた。
私が異世界に来たときより、能力的に恵まれてる。
本人はさらりとこなしているけれど、とんでもない事だ。
カナタがレティシアの手に渡っていたらと思うと、恐ろしかった。
ちなみに、カナタについて調べていくうちに、そもそもレティシアの『英霊』作りが未完成なものだったという事が判明した。
魔術兵器作成に欠かせない装置である『黒い時計』の再現すら、彼らは出来ていなかったのだ。
あれがなければ、『英霊』を魔術師の思い通りに動かす事なんてできない。
カナタが持っていたのは黒く塗られた、ただの懐中時計だった。
ただの、というのは少し誤った言い方かもしれないけれど。
カナタはトキビトと同じように、現実の世界の時を止め、この世界で永遠に生きることができる。
けれど彼の時計は、私達トキビトのように心と連動はしてない。
この時計を口にしたところで、トキビトのように現実の世界へ戻ることはできないのだ。
カナタにその事はそれとなく伝えた。
けれど、へぇくらいでどうでもよさそうだった。
「お姉ちゃんもお兄ちゃんもいない世界に、興味はないよ」
現実世界に全く未練がないらしく、悲観した様子はなかった。
むしろ異世界に来たことを喜んでいる……というよりは、私に出会えた事を心から感謝しているようだった。
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とりあえず、カナタについてわかったことは、重度のシスコンだという事。
私の事をリサ姉と呼んで、ベタベタしてくる。
甘え上手というか、末っ子気質というべきか。
気がつくと懐に入り込まれているというか、妙に振り払うのが難しかった。
「あのね、カナタ。私はあなたのお姉ちゃんじゃないの」
「まぁリサ姉がそういうのもしかたないね。会うのは随分久しぶりだし、ボクの見た目もだいぶ変わっちゃったから」
洗濯物を干して、魔術で熱風を吹かせている私に、ぎゅっと後ろからカナタが抱き着いてくる。
カナタの背は私より少しだけ高い。
外見年齢十七歳の私に対して、カナタは十八歳。
割と高身長で、女の子にもてそうな甘い顔立ちをした子だった。
正し髪は金に染めていて、耳にはピアス。どことなくチャラい。
同じ事をグエンがしてきたのなら、腹にまず肘うちを食らわせているところなのだけれど。
カナタが私に向ける気持ちは幼い子供のように、純粋そのものというか。全く男女のそれを感じなくて、家族に対する親愛のようなものがあって。
邪険にするのは躊躇われた。
ようやく会えたという喜びと、切実さをともなった想いがカナタから伝わってくるのだ。
まとわりつくカナタをそのままに仕事をしていたら、満足したのかカナタが部屋を出て行く。
入れ違いにヴィルトが入ってきた。
ヴィルトが犬なら、カナタは気まぐれな猫のような子だった。
「姐さん、またアイツと一緒にいたんですね」
ヴィルトの声は、どこか問い詰めるようだった。
「勝手にくっついてくるの」
「振り払えばいいじゃないですか。姐さんには隊長がいるんですから」
言い返せば、そんなことをヴィルトは言う。
「あのね、ヴィルト。そもそも私グエンとは何でもないの。何度言ったらわかってくれるの?」
「誰も信じませんよそんなこと。いいかげん姐さんも素直になったらいいのに。俺のミサキと同じくらい頑固だ」
私の言葉に、ヴィルトが深い溜息を付く。
グエンに同情するといったような雰囲気だ。
ちなみにミサキというのは、ヴィルトの彼女だ。
実はヴィルトの彼女であるミサキも、私と同じトキビト。
小さい頃からヴィルトは彼女に求婚していたのだけど、ミサキは首を縦に振らなくて。
王の騎士になったら結婚するという約束を取り付けることができたのも、彼にしてみればつい最近の事らしい。
「とにかく、隊長には姐さんしかいないんです。もう二週間ちかく寝てますけど、すぐに目を覚ますはずですから。浮気は駄目です」
強い口調でそういいながら、ヴィルトはグエンの着替えを手に取る。
今日はヴィルトがグエンの面倒を見る日らしい。
「だから、浮気じゃないって。そもそもつきあっ」
「とにかく。そういうの、隊長に対して不誠実だと思います。俺隊長のとこ行ってきますね」
言い訳なんて聞かないというように私の言葉を遮って、ヴィルトは部屋を出て行ってしまう。
バタンとドアが閉まって、静寂が訪れた。
「まったく、どうしろっていうのよ……」
カナタはくっついてくるし、グエンは起きないし。
しばらくやる気が起きなくて、椅子に座ってぼーっとしていたら。
騒がしい足音がして、ドアを蹴破る勢いで勢いでヴィルトが戻ってきた。
「姐さん大変です! 隊長が目覚めました! でも変なんです。急いで来てください!」
その知らせを聞いて、何も考えずグエンの部屋へ走る。
早くグエンの顔を見たかった。
グエンが目覚めた。
嬉しくて、ほっとして。
顔を見たらすぐに泣いてしまうと思った。
なのに。
「あの……すいません。あなたたちはぼくの知り合いなんでしょうか?」
目覚めたグエンは、まるで別人のようで。
気弱な表情で私を見つめてくる。
どうやらグエンは、記憶喪失になってしまったようだった。