九話
高速道路をひたすら飛ばし、帰路についていた坂口は、道中にあったサービスエリアで夕食をとった。ライダースから取り出した煙草で食後の一服をしたあと、再びバイクに跨がって、ノンストップで帰宅する。
部屋に戻った坂口は、明かりをつけてヘルメットとリュックを棚に置くと、着ていたライダースを脱いだ。それを壁掛けのハンガーに戻して、すぐさまベッドに移動する。
仰向けでドサリと寝転んだ坂口は、隣県での情報収集により、疲れた身体を癒しながら、兵藤襲撃の計画を練った。
――兵藤を襲うとしたら、奴が一人になる地下駐車場が一番良さそうだ。ざっと見た感じでは、あそこに防犯カメラ等は無さそうだった。
他の住人に見られる可能性もなくはないが、素早く済ませて逃走すれば、なんとかなるだろう。
明日の夕方頃に兵藤のマンションに先回りして張り込み、帰宅した所を狙うんだ――計画を固めた坂口は、携帯のアラームを八時にセットすると、明かりを消して、普段よりも早めの眠りについた。
翌朝アラームで目覚めた坂口は、洗濯かごに衣服を脱ぎ捨てて、バスルームに向かった。手早くシャワーを浴び終えて、程よく引き締まった肉体を、白いバスタオルで拭いていく。
全裸のままでリビングへと移動した坂口は、棚にあった黒いボクサーパンツを穿いたあと、股割り等の様々なストレッチをおこなった。
冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクで水分を補給して、金属製の洋服棚に畳んであった、グレーのスエットを身に付ける。
着替えを終えた坂口は、キッチンへと向かった。買い置きの食材を使ってベーコンエッグを手早く作り、リビングのソファーで軽めの朝食をとる。
食後の煙草をくわえつつ、テーブルの上にあったリモコンを手に取った坂口は、視線の先の壁際に置いてある、テレビを見ながら時間を潰した。
朝のワイドショーでは、坂口が扮するマスクマンに関するニュースはやっていなかった。
――幸いにも世間には、俺が起こした事件のことを、まだ知られてはいないらしい。だが、安心するにはまだ早い。これからの計画も、上手くやらなければ。坂口は束の間安堵したあと、再び気を引き締めた。
それからずっと部屋でくつろいでいた坂口は、待ち望んだ夕方が近づいてくると、襲撃に必要なマスクを普段より大きめのリュックに詰める。
兵藤のセダンのトランクに保管されているはずの大金を、全て持ち去れるようにするためだった。
その後三本ラインの黒いジャージに着替えた坂口は、用意したリュックを背負い、棚にあった黒の革手袋とフルフェイスを手にして部屋を出た。
アパートの階段を降りてバイクに跨がり、フルフェイスを被る。続けて両手に革手袋を装着した坂口は、キックスタートを決めると、勢いよく走り出した。
――もうすぐ俺がぶっ倒してやるから、待っていろ、兵藤。
風を切ってバイクを飛ばし、ノンストップで隣県に入った坂口は、高速道路を降りたあと、そのまま最短ルートで兵藤のマンションを目指していった。
そして辺りの陽が暮れてきた頃、先日通った堤防道路に差し掛かる。この道をずっと進めば、兵藤のマンションが見えてくるはずだった。
所々で曲がりくねった長い一本道を、坂口は走り続ける。その道をしばらく進んだところで、視線の先のほうに、黒いワンボックスカーが見えてきた。
その黒いワンボックスは何故か速度がかなり遅く、対向車線にはみ出すほどの蛇行運転を繰り返していた。車に近づいていくにつれて、危険を感じた坂口は、徐々にギアを落として減速する。
――なんだこいつは。飲酒運転でもしてんのかよ……ったく邪魔過ぎるぜ。坂口は苛立ちながら、のろのろと蛇行を続けるワンボックスの後方につけた。その車は、一目で改造車だとわかるぐらいに車高が低い。
もしかしたらバカなヤンキーが、他人の迷惑も考えずに、ふざけているのかも知れないと思った坂口は、なんとかこいつを追い越そうと、少しずつバイクを左右に振りながら、タイミングを計った。
その時坂口の目に、ワンボックスの前方を、ふらつきながら走っている人の姿が写った。その人物は、肩まで垂れた長い髪と服装からして、どうやら女のようだった。
――なんだあれ。ひょっとしてあの女、この車に追われてんのか。坂口がそう思った直後、女は右手にある川原のほうへと走っていった。
「うおっ!?」
女が堤防道路を降りた途端に、前方のワンボックスが急ブレーキを掛けた。それをなんとか避けて追い越した坂口は、危ねえじゃねえかバカ野郎と、思いながらも走り続けた。
坂口はゆっくり走行しながら後ろに数回振り返る。ワンボックスは荒々しくUターンをしたあと、対向車線の端に寄せて停車した。
どんな奴が運転しているのかと気になった坂口は、道路の左端に寄り、バイクを停めて様子を見た。
するとワンボックスから、それぞれ色違いのセットアップジャージを着た、ヤンキー風の男が四人降りてきた。彼等は怒声をあげながら、川原があるほうに走っていく。
どう見ても犯罪の匂いがする、不審な出来事に遭遇した坂口は、その場で迷っていた。
――どうする。さっきの女を助けてやるか……だが、俺にはやらなきゃならない計画がある。今は奴等に構っている時間はない。そう判断した坂口は、再びバイクを走らせる。
しかし、少し進んだところで考え直してバイクを停めた――やっぱり、か弱い女を見捨てるわけにはいかない。そんな男じゃ、正義の味方は名乗れない。俺が奴等を、ぶっ倒してやる。
そう決意した坂口は、アクセルを開けてバイクをUターンさせると、ワンボックスが停まっているほうへと向かっていった。
ワンボックスの後ろにバイクを停めた坂口は、手早くフルフェイスを脱ぐと、リュックから取り出したマスクを被った。空になったリュックをバイクのハンドルに引っ掛けて、川原のほうへと降りていく。
視線の先に見える女は、所々に雑草が繁る広い河川敷の、奥のほうへと逃げていた。少し離れたところに見えるセットアップの四人組が、怒鳴り声をあげながら、女の後を追っている。
坂口は急いで、彼等の後を追っていった。デコボコした土の河川敷を全力で走りながら、四人組との距離を、徐々につめていく。
長い茶髪で、ピンクのジップアップパーカーを着た若い女は、やがてセットアップの四人組により、川の方へと追い詰められた。
女はデニムのホットパンツの下から覗く、細長い足を使い、じりじりと後退りをしている。手に持った茶色のショルダーバッグを、四人組に向かってぶんぶんと振り回しながら、女は叫んだ。
「いやっ、来ないで! ねえアキラくん、お願いだから、あたしのことはもうほっといて!」
「俺から逃げられるとでも思ってんのかよ、ハルカ! もう諦めて早くこっち来いや!」
四人組のリーダー格らしい茶髪の男が、必死で叫ぶ女に怒声を浴びせる。派手なデザインの白いセットアップを着たその男は、そばにいる三人の仲間に指図しながら、女に近づいていく。
そしてリーダー格の白い男は、ついに女が振り回すバッグを掴むと、乱暴に引っ張った。バランスを崩した女が、そばにいた赤いセットアップの男に手首を掴まれる。その後四人組に捕まった女は、悲鳴をあげて、激しく抵抗していた。
その様子を見ていた坂口は、拳を固く握り締めながら叫んだ。
「その娘を離せ、バカ野郎!」
「ああん? なんだてめえ。だっせえマスク被りやがって。テレビのヒーローにでもなったつもりかよ、バカ野郎が。カッコつけてっと、殺しちまうぞコラ!」
リーダー格の白い男は、坂口の声に振り返ると、睨みを効かせながら凄んだ。わりと美形で細身の白い男は、周りにいた三人の仲間たちを、顎で使って集める。
「おいお前ら、こいつ殺っちまえ!」
リーダー格の指示を受けた三人組は、声を揃えてわかりましたと返事をすると、すぐに動き出した。
それぞれ色違いのセットアップを着た三人の男たちは、坂口を大きな三角形で囲むように散開した。そしてじわじわと距離をつめてくる三色の男たちを見た坂口は、その場を動かず警戒を強める。
――どうやらこいつらは、意外と統制が取れているようだ。ただのバカなヤンキーではないらしい。そう感じた坂口は、頭を左右に動かして、そこそこ体格がいい三人に目を配った。
坂口の前方には、バリアートが入った坊主頭の赤色がいた。左斜め後方にミディアムヘアーの黄色、右斜め後方にパーマをかけた青色がいる。
まるで信号機のような三人組との位置関係を把握した坂口は、なかなか仕掛けて来ない男たちを見て、なんとか奴等の統制を乱す方法は無いかと考えていた。三人同時に襲いかかって来たら、流石にまずいと思ったからだった。
前方にいるイカツイ坊主頭の赤色が、三人の中で一番気が短そうだと判断した坂口は、その場でプロレス仕込みの軽快なステップを踏みながら、赤色に向けて挑発的な手招きをする。
「ほらどうした。かかってこいよ、イガグリ野郎」
「てめえ……舐めやがって、殺したらあっ!」
イカツイ顔を真っ赤に染めた坊主頭の赤色が、坂口に向かい、猛然と襲いかかってくる。
坂口はまんまと挑発に乗ってきた赤色が、顔を目掛けて振るってきた右の拳を左に避けると、そのまま素早く男の背後に回った。
赤色のバックを取った坂口は、男の腰の辺りに両腕を回して、がっちりと両手を結び、身体を後ろに反りながらぶん投げる。
坂口が仕掛けたジャーマンスープレックスにより、土の地面に首から叩き付けられた赤色は、ぐったりとのびた。
「て、てめえ。よくもアツシをやりやがったな、ぶっ殺す!」
技を解いて体勢を整えた坂口に、パーマの青色が叫びながら向かってくる。それを見たミディアムヘアーの黄色も動き出した。
坂口は左側からくる青色に向かって走り出す。
続けて跳び箱を飛ぶように高くジャンプすると、近づいてきた青色の両肩に足を載せた。そのまま両足で青色の首をがっちりと挟んだ坂口は、高速で身体を後ろに反りながら、捻りを加えて投げ飛ばした。
坂口の得意技である、ハリケーンラナを喰らった青色は、地面にキスをしたまま動かなかった。
「こ、この野郎、ぶっ殺してやる!」
体勢を整えていた坂口に、黄色が襲いかかってくる。黄色のミドルキックを腹で受け止めた坂口は、男の右足を両腕で抱え込んだ。そのまま身体を大きく回して、黄色を巻き投げる。
坂口のドラゴンスクリューにより、右足を痛めた様子の黄色は、呻き声をあげながら、地面でのたうち回っていた。
立ちあがれない黄色に近づき、サッカーボールキックでとどめをさした坂口は、女のそばに立っている白い男を睨み付けた。
「そ、そいつらはここらじゃ名の通った三羽烏だぞ。それをこんな簡単に……」
白い男は動揺を見せながら口を開いた。坂口は男にゆっくりと近づいていく。
「三羽烏? いやいやあいつらは、どう見ても信号機だろ」
「て、てめえ、何もんだ!」
「正義の味方だよ、バカ野郎!」
「ふ、ふさげやがって、ぶっ殺してやらあっ!」
白い男は叫ぶと共に、ポケットからバタフライナイフを取り出した。それを慣れた手つきでカチャカチャと振り回す。
坂口は軽快なステップを踏みながら、向かってくる男との間合いを計った。男は奇声をあげて、がむしゃらに斬りかかってくる。坂口はそれを左右に避けながら、男の隙を窺った。
「クソがっ! ちょこまかしやがって、死ねえ!」
怒り狂った男が、右手に持ったナイフを、坂口に向かって突き出してきた。坂口は男の右腕を左手で捌きながら避けると、すぐさま右エルボーを繰り出した。
坂口の肘を顔面に喰らった男がよろめく。続けて男の右腕を取った坂口は、思いっきり捻りあげた。
男は苦悶の声をあげながら、ナイフを落とした。それを見た坂口は技を解いた。男は右腕を痛そうに数回振ったあと、再び坂口に殴りかかってくる。
坂口は顔面に飛んできた男の拳を左に避けると、素早く背後に回った。そして男を羽交い締めにする。
「ぐっ、て、てめえ、何する気だ? は、離せやあっ!」
男は狼狽えながら、バタバタと暴れた。坂口はそのまま気合いを込めると、身体を後ろに反ってぶん投げた。
必殺の大技である、ドラゴンスープレックスを喰らった男は、腕と首を極められたまま、地面に叩き付けられたダメージにより失神した。
その姿を見た坂口は、素人相手にドラゴンは、ちょっとやり過ぎたかと思った。でもここは土の上だから、たぶん死ぬことはないだろう。ナイフを抜いたお前が悪いんだ。ざまあみろ、バカ野郎、と心の中で呟いた。
四人組を倒した坂口は一息つくと、早くバイクのほうに戻ろうと思い、踵を返した。
「あ、あのっ! あたしも、連れてってください!」
背後から声を掛けられ、坂口は再び振り返る。すると、さっきの女が駆け寄ってきた。
「あたし、逃げたいんです。あいつらがいない遠い所に。だから、お願いします!」
「ちょっ、そんなこと急に言われたって困るよ。俺には今から、大事な用があるんだ」
坂口は一刻も早く、兵藤のマンションに向かおうと考えていた――今ならまだ、間に合うかもしれない。
「あたしには、あなたしか頼める人がいないんです。だから、お願いします!」
「……ちっ、わかったよ。しょうがねえな。とりあえず、上まで行くか」
「はい、ありがとうございます!」
女から必死な顔で懇願された坂口は、断り切れずにこの日の兵藤襲撃を諦めた。彼女を連れて、とりあえず堤防道路まで戻ることにする。
女と共にバイクの前まで来た坂口は、このままマスクを脱ごうかどうかとその場で迷っていた。
――この女はあいつらから逃げていたわけだし、少なくとも敵ではないはずだ。それにさっきのはいちおう正当防衛だ。ここで彼女に俺の正体がバレたとしても、おそらく大した問題にはならないだろう。
そう判断した坂口は、思いきってマスクを脱ぐと、それをリュックにしまった。
「……あんた、名前は?」
「春香です。永瀬春香」
「春香ちゃんか。俺は拓。坂口拓だ」
「拓さんですか。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。じゃあとりあえず、ここを離れるか」
彼女の前で素顔を晒したことにより、少々ふっきれた坂口は、挨拶程度の軽い自己紹介を済ませてバイクに跨がると、まずいことに気付いた。
「そういや、ヘルメット一つしかねえわ。どうすっかな……」
「あっ、ヘルメットなら、たぶんあいつらの車の中に、あると思います」
春香はそう言うと、ワンボックスのほうへと走っていった。彼女は車の中から、ヤンキーが好みそうなツバ付きの半ヘルメットを持ってくる。
それを頭に被って、バイクの後ろに乗ろうとした春香を見た坂口は、自分のフルフェイスを彼女に渡した。
「こっちのほうが安全だから、これ被れよ」
「拓さんって優しいんですね、ありがとうございます」
そう言って笑った春香の、魅力的で輝くような笑顔に、坂口は一瞬目を奪われる。
「べ、別に、そんなことねえよ。じゃあ出発するから、しっかり掴まってろよ」
「はい、わかりました!」
よく見ると可愛い顔をしている春香の言葉に照れながら、坂口はヤンキー好みの半ヘルを渋々被った。
その後キックスタートを決めた坂口は、偶然出逢った謎の女、春香と共に夜の町を走り抜けていった。