七話
西島への復讐を果たした翌朝、携帯のアラームで目覚めた坂口は、冷たい水で顔を洗うと、冷蔵庫にあったありあわせの食材で、軽めの朝食をとった。
その後ソファーに座って一服しながら、テーブルの上に置いてあったジュラルミンケースを開ける。そしてケースの中から百万円の札束を取り出した坂口は、残りの一千七百万円を、棚にあった大きめのボストンバッグに移しかえた。
――とりあえず百万あれば、色々な支払いをしても、当分の間は余裕で生活出来る。残りの金は、念のため駅のコインロッカーにでも隠しておこう。
そう考えていた坂口は続けて、空になったケースを半透明のゴミ袋に入れた――このケースはまだじゅうぶん使えるが、証拠隠滅のためには、これを何処かで処分しなければならない。
昨夜の一件は、西島には一切見られずにやったつもりだが、万が一奴に気付かれていて、この部屋に踏み込まれでもしたら困る。不安な材料は、少しでも取り除いておいたほうがいいだろう――。
一通りの準備を終えた坂口は、スエットからラフな普段着に着替えると、愛用のフルフェイスを頭に被り、金が入ったバッグとゴミ袋を手にして部屋を出た。
バイクで最寄りの駅へと向かい、構内のコインロッカーにバッグを入れる。大事な鍵を、ジーパンのポケットにしまった坂口は、混雑している駅から出たあと、近くに停めてあったバイクに跨がり、再び走り出した。
次の目的地は、町外れにあるスクラップ置き場だった。そこならばケースを捨てても、バレないという自信が坂口にはあった。無造作に積まれているガラクタの山の中に、ケースが入ったゴミ袋を紛れさせる。
その後月末の支払いをするために、銀行口座への入金等の、必要な作業を済ませた坂口は、近所のスーパーに立ち寄った。日持ちがする当分の食料を買い込んで、アパートへと帰宅する。
――西島が昨夜のことを、警察に通報する可能性もなくはない。とりあえずほとぼりが覚めるまでは、派手な動きはしないでおこう。部屋のソファーで一服しながら、そう考えた坂口は、壁際のベッドに移動し眠りについた。
それから数日間、坂口は様々なメディアをチェックした。しかし西島との一件が、報道されることはなかった。
――おそらくあの金は西島にとって、警察には通報出来ない類いのものなのだろう。だとすれば、他の悪どい奴等も、同じなのかも知れない。そう判断した坂口は、次の行動を起こすことにした。
西島のような悪党が、世の中にはきっと沢山はびこっているはずだ。俺はそいつらを見つけ出して、片っ端から正義の鉄槌を喰らわせてやる――。
改めてそう決意を固めた坂口は、テーブルの上に置いてあった、ノートパソコンをたちあげた。
――まずは情報収集だ。何処かのサイトに悪どい奴等の情報はないだろうか。坂口はパソコンを駆使してひたすらネットを巡りながら、悪党たちの噂をかき集めていく。
そして某巨大掲示板や闇サイト等の、様々な書き込みの中から、信憑性がありそうなものを、幾つもピックアップしていった。
それらの情報の中から、近隣によく出没するという、金原という高利貸しに目を付けた坂口は、新たな襲撃の計画を練り始めた――よし、次のターゲットは、こいつだ。
坂口が目を付けた金原という名の悪党は、スキンへッドで頬の痩けた、鋭い目付きの男らしい。こいつは近隣の競馬場によく現れるという。
個人で高利貸しをやっている金原は、巧妙に作った偽の競馬情報を使って、誘った一般客を釣っているらしい。
そしてまんまと罠に嵌まって大負けをした客に、今度こそは間違いないから、次のレースで挽回しろと甘い言葉をかけて、金を貸し付けるというのが奴の手口だ。
だが金原の情報は全部でたらめなため、当然客は再び金を失う。そこで奴は、有無を言わさずとんでもない暴利をふっかけるのだ。
ネットの書き込みによると、多額の借金を背負わされて返済に困った客の中には、金原の執拗な追い込みにより、車や家を手放してしまった者もいるという。
――こんな悪どい野郎は、絶対に許せない。必ず俺が、天罰を喰らわせてやる。新たな悪党の存在を知った坂口は、拳を固く握り締めながらそう心に決めると、金原を倒すための準備を開始した。
金原が現れるという競馬場は、週末土日にレースを開催している――まずは土曜が来るのを待とう。
坂口は待ち望んだ土曜日がやってくると、襲撃に必要な道具をリュックに詰め込み、普段着のままでバイクに跨がった。
――まずは実際に、現場で奴の姿を確認しよう。単なる噂という可能性もある。そう考えていた坂口はバイクを飛ばして、金原がいるであろう競馬場を目指していく。
やがて目的地である競馬場の前まで辿り着いた坂口は、近くにあった駐車場にバイクを停めると、よく晴れた青空の下を歩いて、競馬場の入口に向かった。
入口で入場料を支払って、競馬場の中へと進む。坂口は様々な年齢層の人々がごった返す、広い競馬場内をくまなく歩きながら、金原の姿を探した。
――スキンヘッドで、頬の痩けた鋭い目付きの男か。ネットで得た金原の特徴を元にして、坂口はすれ違う無数の人間たちに視線を送る。
広い場内をしばらく歩き回り、払い戻しカウンターに近づいたところで、気になる二人組の姿が目に入ってきた。二人のうちの一人の頭がかなり禿げていて、どうやらスキンヘッドのようだったのだ。
坂口は少し歩みを速めて、その二人組に近づいていく。
――居た。たぶんあいつだ。ネットの特徴とも、ぴったりハマる。視線の先のほうに立っていた、おそらく金原だと思われる、スキンヘッドの男を見つけた坂口は、そのままじわじわと近寄っていった。
白いジャケットを着ているその禿頭は、紺のスーツを着た会社員風の中年男と、何やら話し込んでいる。坂口はそばにあった柱の陰から、二人の様子を窺うことにした。
おそらく金原だと思われる禿頭に、肩を抱かれた中年男が、ペコペコしながら金を受け取っている――どうやらあの男が、今日の金原の獲物らしい。そう判断した坂口は、二人のマークを続けた。
それから数時間後、場内に低い怒声や歓声が沸き上がり、この日のメインレースが終わった。金原に狙われた中年男は、がっくりと肩を落としていた。
おそらく彼は金原に陥れられて、絶望しているのであろう――俺が必ず、あんたのカタキを討ってやる。そう心に誓った坂口は、競馬場を出て男と別れた金原の後を追った。
金原は競馬場の付近にあったタクシー乗り場に立ち止まり、車が来るのを待っていた。それを見た坂口は、ダッシュでバイクまで戻ると、やがて金原が乗り込んだタクシーを尾行した。
金原を乗せたタクシーは、さびれた商店街の近くで停まった。坂口はバイクを道端に置き、車から降りた金原の後を徒歩で追っていく。
人がまばらな商店街をしばらく歩いたところで、金原は通り沿いにあった魚屋に入っていった。坂口は魚屋の前を一旦通り過ぎたあと、物陰に上手く身を隠しながら、入口のドアが無く、開けた店の様子を窺った。
「早く金返さねえと、この店潰しちまうぞ! わかってんのかこの野郎!」
「か、金原さん、頼むから店に来るのだけは、やめてくれないか。金なら、ちゃんと返すから……」
金原に恫喝された魚屋の店主が、悲痛な声をあげていた。店先であんな取り立てをされたら、きっと商売あがったりなのだろう。こいつは噂通りの酷い奴だと、坂口は思った。
その後金原は、茶色い紙袋を持って店から出てきた。おそらくあれは、店主から受け取った金だろう。坂口はそう考えながら、再びタクシーに乗り込んだ金原の後を、バイクで追跡した。
辺りは陽が落ち始め、夜になりつつあった。金原が乗ったタクシーは、風俗街がある辺りで停まった。右腕に茶色い紙袋を抱えた禿頭が、呼び込みたちの割拠するネオン街を歩いていく。
先ほど付近にバイクを停めて、金原の尾行を続けていた坂口は、道沿いのピンクサロンに入る禿頭の姿を確認すると、店から少し離れた道端に立ち、煙草に火をつけた。
それから三十分が過ぎた頃、スッキリしたような顔をした金原が、店から出てきた。またお願いしますと声を掛ける呼び込みに、偉そうな態度で返事をした禿頭が、再びネオン街を歩き出す。
メインの通りを抜けて、小さな公園がある、暗めの裏路地を歩いていく金原の足取りに、迷いはなかった。
――どうやらこいつは、かなりの風俗好きらしい。おそらく行きつけの店に向かっているのだろう。坂口はそう思いながら、禿頭の隙を窺っていた。
明るい通りに出てすぐのところにあったピンサロに、金原が意気揚々と入っていく。その姿を確認した坂口は、先ほどあった裏路地の公園に向かった。奴が店の中で楽しんでいる間に、襲撃の準備を整えようと思ったからだった。
薄暗い公園の奥のほうにある、明かりがついた男子トイレに入った坂口は、リュックから取り出した三本ラインの黒いジャージに着替えたあとで、両手に革手袋を装着した。
――あとはマスクを被るだけで、準備完了だ。とりあえずはこのままさっきの場所まで戻って、奴が隙を見せるのを待とう。
そう考えながら公園から出た坂口は、裏路地の出口辺りの物陰まで行き、金原が入った店を監視した。
そして数十分が経過した頃、店から出てきた禿頭は、坂口がいる路地のほうへと戻ってきた。
坂口は物陰の暗がりに上手く身を隠すと、公園があるほうに歩いていく金原の後を追った。
人気が無く狭い裏路地を、少し歩いたところで金原は、何やらもよおしたような素振りを見せた。早足になった禿頭が、先ほどの薄暗い公園内に入っていく。
真っ直ぐトイレへと向かう金原を見た坂口は、リュックから取り出したマスクを被った。そのまま無人の公園内を歩いて、禿頭が入った男子トイレを目指す。
トイレの入口まで進み、両腕をがっちりと組みながら仁王立ちした坂口は、身体を振って小便を終える金原の姿を、じっと見届けた。
「……ん? なんだお前、わけわかんねえマスクしやがって。早くそこどけ! バカ野郎!」
用を足し終え、トイレの入口を塞ぐ坂口の姿に気付いた金原は、その場で眉間にシワを刻み凄んだ。
「どかねえよ。バカ野郎」
「ああん? 何もんだテメエ! 殺すぞ!」
激昂して近づいてきた禿頭の胸に、素早くローリングソバットをぶちこんだ坂口は、後ろに吹っ飛び尻餅をついた金原を睨み付けて叫んだ。
「正義の味方だよ、バカ野郎!」
金原はふざけんなと叫びながらすぐに立ち上がると、坂口に向かってきた。それに合わせるように走り出した坂口は、全体重を載せたフライングクロスチョップを繰り出した。
首元に強烈なチョップを受けた金原が、呻き声をあげながら後ろに倒れる。床に激しくぶつけた禿頭を、両手で押さえて身悶える金原の背後に、流れるような動きで回った坂口は、間髪入れずにチョークスリーパーを極めた。
「おごっ……! があっ……」
両足をバタつかせながら、必死でもがく金原の首を、容赦なく締めあげた坂口は、やがて動かなくなった禿頭を解放した。
続けて坂口は、気絶した金原の身体を抱え上げると、トイレの個室に放り込んだ。中から扉の鍵を掛けて、身軽な動きで上の隙間から外に出る。
その後トイレの床に落ちていた、札束入りの紙袋を回収した坂口は、手早くマスクを脱いだあと、リュックにしまってあった普段着に着替えて、その場から逃走した。
――ざまあみろ、バカ野郎。きらびやかなネオン街を早足で通り抜け、バイクまで戻った坂口は、心の中でそう呟きながらキックスタートを決めると、闇夜を走り去っていった。