四話
バイクのマフラーを唸らせながら、風を切って闇夜を走り抜ける。アクセルを開ける毎に、全身に浴びる風圧が、強さを増していった。
猛スピードで国道を抜けた坂口は、自宅アパートの近くにあるコンビニに寄った。駐車場で頭に被っていたフルフェイスを脱ぎ、店内でビールをワンケース購入する――酒でも飲まなきゃ、やってらんねえ。
ハンドルにビニール袋を引っ掛けて、再びバイクに跨がった坂口は、慣れた手順でキックスタートを決めると、アパートに向かって走り出した。
もう何年も住んでいる二階建ての安アパートに帰宅した坂口は、自分用の駐車スペースにバイクを停めた。被っていたフルフェイスと買い物袋を手に持って、鉄製の錆びた階段を上がっていく。
二階にある一番奥の部屋が、坂口の住み家だった。ジーパンのポケットから取り出したキーで鍵を開け、暗い部屋の中へと入る。
すぐに明かりをつけた坂口は、持っていたフルフェイスを棚に戻すと、居間に置かれた二人掛けの黒いソファーにどかりと座った。コンビニで買ってきた缶ビールを一本手に取って、疲れた身体に流し込む。
ごくごくと喉を鳴らしながら、冷えたビールを一気に飲み干した坂口は、口の端からこぼれた水滴を手の甲で拭ったあとで、はあっと大きな溜め息をついた。
――まったく、なんて日だよ。こんなはずじゃなかったのに。あんな奴を信用して、何やってんだ俺は。あんなに頑張ったのに、結局手にしたものは煙草と三万だけだ。今朝持ってた金より少ねえじゃねえか。ホントにバカバカしい。
景品で手に入れたセブンスターの包装紙を破きながら、坂口はうなだれていた。新品のソフトパックから煙草を一本つまみ出し、口の端にくわえる。
使い捨てのライターで火をつけようとするが、何度やっても上手くつかなかった――ちっ、なんだよクソがっ! 舌打ち混じりでライターを壁に投げつけた坂口は、テーブルに置かれていた別のライターで火をつけた。
大きく煙を吸い込んで、溜め息と共に紫煙を吐き出す。続けて坂口は、二本目のビールを開けた。それをチビチビと空きっ腹に流し込みながら、今までの生活を思い起こしていた。
――俺だって昔は、こんなんじゃなかったんだ。真面目にやってさえいれば、今頃は。
今の県より遥かに田舎町で生まれた坂口には、地元の優良企業に勤める頑固な父親と、口うるさい母親がいた。どちらかといえば裕福な家庭で、住まいも二階建ての持ち家だった。
幼い頃はその家で家族仲良く暮らしていたのだが、坂口が成長していくにつれて、両親と意見がぶつかることが多くなっていった。
それというのも、沢山勉強して、いい大学に入って、いい企業に就職することを良しとする両親に対して、坂口は自分の幼い頃からの夢に向かって、生きていきたいと主張し続けたからである。
昔から勉強よりも運動のほうが得意であった坂口は、ずっとテレビで見ていたプロレスラーに憧れていた。そのため小さな頃から身体を鍛えたり、見よう見まねで覆面レスラーの真似事をしていた。
――大人になったら、あんな風に凄い空中殺法が出来る、カッコいいマスクマンになりたい。それが坂口の夢だったからだ。
しかし両親はその夢に、断固として反対していた。それゆえ坂口は、親の強い意向で渋々勉強もして、なんとか今の県にあるそこそこの大学に入学した。
だが、親元を離れて独り暮らしを始めた途端に、結局勉強を放り出した。大学にあったプロレス同好会の勧誘に、心を惹かれてしまったからだった。
親に内緒でその同好会に即入部した坂口は、毎日プロレス三昧の生活を送りながら、格闘技に適した理想的な肉体を作り上げるために、ひたすら身体を鍛え続けた。
それはかなりの厳しいトレーニングだったが、自分の夢を叶えるためだと思えば、それほど苦にはならなかった。
幼い頃から続けていた自主練習のおかげもあってか、一通りのプロレス技もすぐに覚えた坂口は、大学対抗の大会にも積極的に出場して、ずっと憧れていたレスラーである、エル・パラダイスのマスクを被って活躍した。
その後も幾多の試合を繰り返しながら、めきめきと実力をつけていった坂口は、いつしか人気を集めるトップクラスのレスラーになっていた。そうしているうちに、女性ファンの一人とも付き合った。
しかしそんな坂口にも、ずっと勝てないライバルが一人だけいた。どっぷりとプロレスの世界にのめり込み、自分の夢に向かって毎日がむしゃらに走り続けていた坂口は、どうにかしてそいつを超えたいと考えていた。
――あいつに勝つためには、本場の空中殺法を学ぶしかない。ある時そう思った坂口は、いてもたってもいられなくなり、今すぐにでもメキシコに留学したいと、親に相談してしまったのだ。
それを聞いた両親は激怒して、ついには仕送りさえも打ち切られてしまった。困った坂口は、大学の仲間にそのことを話した。
「だったら、パチスロで稼げばいいじゃん。すげえ儲かるぜ」
大学でいつもつるんでいた悪友が、金に困った坂口にそう提案してきた。詳しい話を聞くと、近所に毎日高設定の台を配置しているパチンコ店があるらしい。それを狙えば、かなり稼げるということだった。
最初は半信半疑であったが、悪友に連れられてパチンコ店に通ううちに、坂口はそれが真実だと確信した。パチスロに慣れた悪友の手解きで、坂口はみるみるうちに所持金を増やしたのだ。
こんな世界があるのかと、味をしめた坂口は、あれだけのめり込んでいたプロレスへの情熱さえも次第に薄れて、大学に通うことも疎かになり、ついには中退してしまう。それを知った父親は、坂口に勘当だと告げた。
そこそこ生活が出来るだけの金を手にしていた坂口は、結局親と喧嘩別れをした。
そのストレスを紛らわせるために煙草を吸い始め、益々ギャンブルにのめり込むようになった坂口は、大学の友人たちとも段々疎遠になっていき、付き合っていた彼女にも別れを告げられた。
そんな坂口に残ったのは数百万円の資金と、儲けた金で買った愛車のSR400と、悪友だけだった。それでも坂口は、金とパチスロがあれば、なんとでもなるだろ。そう自分に言い聞かせて、怠惰な生活を続けた。
だがそんな夢のような生活も、長くは続かなかった。政府の規制によって、パチンコ店のイベントが制限され始めたからだった。
それまで来ていた激熱の携帯メールや、チラシが日に日に減っていく。店内に配置されているはずの高設定台も、目に見えて少なくなっていった。
それに加えて次々と新しく登場する新機種は、徐々に出玉性能が悪くなり、設定判別の難度も上がっていく。当然坂口も、次第にパチスロで勝てなくなってしまった。
パチンコ店のイベントも、いつしか新台入れ替えぐらいしかなくなり、ついには坂口にパチスロを教えた悪友でさえも、ギャンブルに見切りをつけて田舎へと帰っていった。
それでも後がない坂口は、ギャンブルを続けるしかなかった。様々なパチンコ雑誌を漁って、なんとか勝つ方法を模索する。そうして坂口はパチスロを捨てて、設定の関係ないパチンコ台を打つことに決めた。
坂口は現行機種の大当たり確率や、台の回転数を左右する釘の読み方を頭に叩き込み、勝算の高い台を探して毎日打ち続けた。
やがてパチンコの打ち方に慣れた坂口は、出玉増やしの止め打ちテクニック等も身に付けた。そうやって坂口は、なんとか生活費を稼ぎ、今まで生きてきた。
しかしギャンブルというものは、一旦負けが続くと、あっという間に転落してしまう。運悪く所持金が尽きれば、それで終わりなのだ。
その時が、この日ついに来てしまった。坂口はなけなしの二万と九千円を眺めながら、がっくりと肩を落とした――これっぽっちじゃ、もう勝てる気がしねえ。月末には色々な支払いもあるし、もう終わりだ。
何とも言い様のない情けなさを感じていた坂口は、ソファーにぐっともたれかかって、くすんだ天井を見上げた――チクショウ、西島さえもっとまともな奴だったら、こんなことにはなってねえのに。
先ほど西島にされた酷い仕打ちを思い出した坂口は、激しい怒りを覚えながら、拳を固く握り締めた。
――いっそのことあいつを殴り倒して、金を取り返してやろうか。いや、でも、あいつはおそらくヤクザの類いだ。バレたら只じゃ済まないだろう。じゃあ、どうすれば……。
坂口が何かいい方法はないかと部屋を見渡した時、棚の上に置いてある首だけのマネキンに被せてあった、エル・パラダイスのマスクが目にとまった――そうだ。この方法なら。
黒が基調で銀色の装飾が施されている、宝物のマスクをじっと見つめていた坂口の頭の中に、一つの計画が浮かんでくる――こいつであの悪どい野郎に、一泡吹かせてやる。