二十話
先ほど坂口と別れた春香は、二人の男たちに身体を掴まれながら、最前列の観客席へと連れていかれた。そしてパンチパーマの大男の隣に座らされる。
「ここはスペシャルリングサイドの特等席や、ごっつい高いんやで。姉ちゃんのために空けといたんやから、楽しんでや」
右隣に居るヤクザ風の大男から声を掛けられた春香は、少々怯えながら、目の前で繰り広げられている野蛮な試合を眺めていた。
「姉ちゃんの彼氏の出番は、この試合の次や。あんたらのこれからの人生が懸かっとるんやから、しっかり応援したりや」
そう言って不気味に笑う大男の顔を、キッと睨み付けた春香は、坂口の勝利を心の中で願い続ける。
拓ちゃんお願い、必ず勝ってね。あたし拓ちゃんのこと、信じてるから――。
控え室に現れた黄色いマスクマンは、ゆっくりとマスクを脱ぐと、不敵な笑顔を見せた。
「まさかこんな所で、お前と再会するとはな。正直驚いたぜ」
「やっぱり丈だったのか。なんでお前がここに……」
大学時代の宿敵である、真壁丈との思わぬ再会を果たした坂口は、目を見開きながら訊ねる。
「あのあと俺にも、色々あってな――」
坂口の眼前に立つ丈は、今のこの場に居る経緯を語り出した。
真壁丈という男は、坂口の最大のライバルであると同時に、気が合う悪友でもあった。そんな丈に誘われて、坂口はあの時パチスロを始めたのだ。
丈はいつもつるんでいた坂口と別れたあとの行動について、順を追って話し続ける。
あの時パチスロに見切りをつけた丈は、以前言っていた通りに両親が住む田舎へ帰ったらしい。だがどうしてもギャンブルへの未練が絶ち切れずに、親の金を持って再びパチプロとなった。
その後少しでも多く稼げそうな優良店を探しながら、様々な県を渡り歩いたという。
そうこうしているうちに、どんどん所持金を減らしていった丈は、やがて辿り着いたこの県にある闇スロ店で、一発逆転を狙おうとした。
しかしその勝負に負けてしまった丈は、全ての種銭を失った。その時、近くに居た兵藤が声を掛けてきたという。
仕方なしに兵藤から金を借りた丈は、その店で連日勝負をした。だが結果は散々なものだったらしい。
そうして多額の借金を抱えた丈は、兵藤に格闘の素質を見込まれて、闇の格闘場で働くことになったという。
持ち前の強さで一気にチャンピオンへと登り詰めた丈は、幾多の闘いを繰り返しながら、兵藤から支払われるファイトマネーを稼ぎ続けた。
丈は今もその金を使って、兵藤や両親への多大な借金の返済をしているというわけだった。
――どうやら丈も、あれから自分と同じような生活をしていたらしい。結局ギャンブルは、身を滅ぼすということなのかもしれない。
「――これが今の俺だ。だから手加減なんかはしねえぜ。俺は全力でお前を倒す」
長話を終えた丈はそう宣言すると、再びマスクを被った。その姿を見た坂口も、あとに続いてマスクを被る。
そして立ち上がった坂口は、拳を固く握り締めながら叫んだ。
「ああ、望むところだ! 俺は今日こそ、お前をぶっ倒してやる!」
坂口は己の自由を賭けて、目の前に立ちはだかる最強の敵と対峙した。
その後兵藤の手下が、控え室へと入ってきた。試合のルール等を説明された坂口は、手下に自らのリングネームを伝えたあとで、様々なウォーミングアップを始めた。
――今日の試合は特別にプロレスのルールで、時間無制限の一本勝負らしい。丈はかなり手強いが、春香のためにも絶対に負けられねえ。俺は今日こそ、あいつを超えてみせる。
改めてそう気合いを入れ直した坂口は、身体のキレを何度も確かめながら、決戦の刻が来るのを待ち続けた。
「只今より本日のスペシャルイベント、時間無制限一本勝負を行います! 青コーナーから、伝説のマスクマン。エル・パラダイスの子孫を名乗る、パラダイス・キッド選手の入場です!」
レフェリーと共にリングの中央に立っているアナウンサーが、高らかな声をあげた。それに合わせるように、大きな歓声が沸き起こる。
黒銀のマスクを被った坂口が扮するパラダイス・キッドは、アップテンポな曲が流れる中で花道を抜けると、身軽な動きでトップロープを飛び越えてリングに上がった。
「続きまして赤コーナーから、最強の稲妻。無敗のスーパーチャンピオン、サンダーロック・ジョー選手の入場です!」
場内に一際大きな歓声が沸き起こると共に、ハードなロックの曲が流れ出した。
直後に姿を現した筋骨隆々の黄色いマスクマンが、観客からの声援に応えながら、ゆっくりと花道を歩いてくる。
真壁丈が扮するサンダーロック・ジョーは、セカンドロープをまたいでリングに上がった。
チャンピオンであるジョーへのコールが鳴り響く中で、再び宿敵と睨み合ったキッドこと坂口は、拳を固く握り締めながら、決戦の合図を待つ。
そして間もなく打ち鳴らされたゴングと同時に、キッドは動き出した。