二話
「ふざけんじゃねえよ! 五万も突っ込んだのに、一度も大当たり無しなんてありえねえだろ!」
坂口は叫びながら、目の前にあるパチンコ台の受け皿を叩いた。両隣に座る中年の女性客が、びくりと肩を震わせて、疎ましそうな視線を向けてくる。
坂口はその視線を牽制するように睨み付けると、自分の台の受け皿に、数本残ったセブンスターのソフトパックを放り込んで席を立った。
ホール内に大音量で鳴り響く音楽や、絶え間なく台から発せられるけたたましい電子音。それらの耳障りな音に嫌悪感を抱きながら、坂口は狭い通路を歩いていく。
この日は新台入れ替えイベントのためか、横並びで無数に配置されたパチンコ台は、ほぼ満席の状態だった。客席の後ろには、所々に幾つものドル箱が積まれていて、ただでさえ狭い通路を、さらに歩き辛くしている。
忙しそうに動き回る、若い店員を避けながら通路を抜けると、台が置かれていない、広めの通路に突き当たった。坂口はそれを左に進み、ホール内にある休憩所へと向かっていった。
休憩所は通路の先にある、透明の自動ドアを抜けた所にあった。透けて見える内部の空間には、大型のテレビやソファーに加えて、本棚や自動販売機が置かれている。だが、人の姿は見当たらない。
おそらくはこの店の中に居る、多くの客たち全員が、今この時もパチンコに熱中し続けているせいだろうと、坂口は思った――ここに誰もいないってことは、たぶんそういうことだ。
休憩所の自動ドアを通り抜けて、奥にある飲料水の自販機へと向かう。ドアが閉まると、先ほどまでの騒音が幾らか和らいだ。その代わりに耳に響いてきたのは、テレビの音声だった。
自販機の前まで行った坂口は、ジーパンの尻ポケットから二つ折りの革財布を取り出すと、小銭入れをあさった。財布の中にはすでに一枚も紙幣が無く、五百円玉一つと、数枚の硬貨が残っているだけだった。
坂口はなけなしの五百円玉を手に取って、それを自販機に投入した。目当てのボタンを押したあと、取り出し口に吐き出されてきた缶コーヒーを右手で掴む。続けて返却口からの釣り銭を手にした坂口は、再び苛立ちを覚えた。
――外で買えば百二十円の物が、ここじゃ百五十円かよ。まったく、ふざけてやがる。
坂口は溜め息混じりで、少し離れた所にあった、黄色いソファーにどっしりと腰をおろした。右手に持った缶のプルタブを開けて、冷えたコーヒーを口に含む。普段よりも苛ついているせいか、坂口は飲み慣れているはずの銘柄に対して、少し苦みを感じた。
――とうとう種銭が尽きちまった。どうすりゃいいんだ。台の回りは悪くないから、資金さえあれば挽回出来そうなんだが。まったく、ツイてないぜ。
わりと座り心地の良いソファーにもたれかかりながら、坂口はこの日の勝負を振り返っていた。
普段パチンコで生計を立てている坂口にとって、今日の勝負には勝算があった。先ほどまで打っていたパチンコ台も、朝一の入店時からじっくりと各部の釘を見て、これだ! と自信を持って選んだ物だった。
そしていざ打ち始めると、飛び出した銀玉は、坂口の想像通りに次々とスタートチャッカーに入っていった。自分の台選びに間違いはない。そう確信して、坂口はパチンコ台のハンドルを握り続けていた。
しかし、良く回ることにより抽選は多く受けられるものの、肝心な大当たりが来なかったのだ。
この日打っていたパチンコ台のスペック通りに当たりが来れば、これだけ回れば、理論上は勝てるはずだった。だが、運の悪いことに坂口の思惑は外れるどころか、一度も大当たりが引けないまま、全ての所持金が尽きてしまった。
――当たらなければ、回っても何の意味もない。ふとそう思った坂口は、自身がこれまで愚直に続けてきた、せめてものパチンコ攻略法を、全て否定された気分になった。
しかし坂口は、どうしても諦めきれなかった――なんとかしないと、このままじゃ無一文だ。チクショウ、資金さえあれば。
ここのところ連日の不運続きで、これまでに蓄えてきた大切な有り金を、立て続けに減らしていた坂口にとって、この日の勝負はとても重要なものであった。だからこそ、いつも以上に入念に台を吟味したつもりだった。
だが無情にもギャンブルの神は、今日も坂口には微笑んでくれなかった。まだ昼前であるというのに、早くも無一文になってしまったのだ。
起死回生を狙っていた、大事な勝負に負けてしまった坂口は、休憩所の壁にある時計をぼんやりと眺めながら、今まで真面目にやって来なかったツケが、ついに回って来たのかも知れないと思い、途方に暮れていた。
「よう、調子はどうだ? 儲かってっか?」
背後で自動ドアが開く音がして、直後にしゃがれた声が耳に響いてきた。
坂口がソファーに座ったまま振り返ると、そこには知った顔の男が立っていた。その人物はパチンコ店でよく顔を合わせる、常連客の西島だった。
ポマードで固めたオールバックに、黒の上等なスーツ。ノーネクタイで襟の開いた柄シャツが、どう見ても堅気じゃない雰囲気を醸し出している。
首に付けた金のネックレスや、左腕の高級時計からして、こいつは自分とは違い、金には困って無さそうだなと、坂口は思った。
「いや、今日もダメっすね。全然当たんなくて……」
真っ直ぐ自販機のほうへと向かう西島の背中を見つめながら、坂口は返事をした。
「今日もダメか。最近ツイてねえみたいだな。でも、まだ昼前だからイケんだろ」
西島は自販機の前に立ち、背中を向けたままそう言った。もう賭ける金が無いんだと口から出かけたが、坂口はその言葉を飲み込んだ。
坂口と西島との付き合いは、ほぼパチンコ店だけのものだった。友達というわけではない。開店待ちの時、何度も顔を合わせているうちに、西島のほうから声を掛けてきたのが知り合うきっかけだった。
最初は見た目のガラの悪さから、坂口は西島とはあまり関わらないようにしていた。だが西島は意外と人当たりが良く、パチンコで勝っている時には気前も良かった。
顔見知り程度の自分に、何度となく飲み物を差し入れしてくれたのだ。そのため坂口も西島の顔を見たら、状況に応じて飲み物のお返しをした。
そうしているうちに、近隣のパチンコ店に関する情報交換や、新台入れ替え等のイベントの話をするような仲になったのだ。
景気よく儲かった時には、食事を一緒にしたことも何度かあった。しかし名前や年齢以外の、身の上話はしていなかった。あくまでもパチンコ仲間としてだけの付き合いだった。
西島が何をやっている人間なのか、坂口は全く知らない。坂口にとっての西島は、よく喋る年上のチンピラといった印象だ。ガラの悪い見た目から察すると、おそらく堅気じゃない生活をしているのであろうという想像は出来た。
だがそれは単なる坂口の勝手な想像に過ぎず、本当のところは何もわからない。
そして西島も、自分のことはよく知らないはずだ。おおかたパチンコ屋によく居る、若いプータローとでも思われているのだろう。そんな相手に自分が一文無しだということを告げても、恥をかくだけだと、坂口は思っていた。
「なんだお前、元気ねえな。もしかして、全部スッちまったのか?」
缶コーヒーを手に持った西島がそう言いながら、坂口の対面にあるソファーに座った。
西島は続けてソファーの脇に備わっているドリンクホルダーに缶を置くと、黒いスーツのジャケットから、煙草と銀色のオイルライターを取り出した。
口の端にくわえた煙草に火をつけた西島が、吸い込んだ煙を大きく吐き出す。
先ほど突きつけられたきつい質問に、坂口が答えあぐねていると、西島は再び口を開いた。
「なんだったら、金貸してやってもいいぞ。あの台ずっと打ってたってことは、勝ち目あるんだろ?」
「ええ、まあ……もうちょい打てば当たると思うんすけど……」
西島が缶コーヒーを飲みながら出してきた思わぬ提案に、一瞬心が揺れた坂口は、重い口調で答える。
金を貸してくれるのならばありがたいが、借りたものは、あとで必ず返さなければならないのだ。それにギャンブルというものには、必ず勝てるという保証がない。それゆえ簡単に金を借りるわけにもいかないと思い、坂口は迷っていた。
「だったら、諦めんなよ。幾らありゃいいんだ? あの機種だったら、五万くらいか?」
「そうっすね、そんだけあれば、たぶんいけるはずですけど……でも、ホントにいいんすか? もし負けたら……」
まだ話の途中であるにもかかわらず、スーツのジャケットから、札が詰まった革財布を取り出した西島を見て、坂口は考えていた――もし負けたら、無職の自分には返すあてがない。そうなったらこの人は、一体どうするつもりなんだろう。
「もし負けたらか。そうだな……そん時はお前の乗ってるあの黒いバイクくれよ。あれ売りゃ五万くらいにはなんだろ」
西島はにやつきながらそう言った。坂口は愛車である黒のSR400に乗って、この店に来ていた。
――あれを担保に金を貸すってわけか。だったら最悪負けても、なんとかなるか。幾ら中古とはいえ、あのバイクの価値としては五万じゃ安いが、他に金策がない現状ではしょうがない。
時間的にもこのまま帰るよりかは、今すぐ西島から金を借りて、勝負を続けたほうがいいだろう。賭ける金さえあれば、まだ勝ち目は残っている――そう判断した坂口は、西島の提案に乗ることに決めた。
「……俺のSRっすか。まあそれでいいなら、こっちとしても助かります」
「じゃあ決まりだな。一応金と交換に、バイクのキーを預かっとくぜ。もし逃げられでもしたら、こっちも困るからな」
「わかりました。じゃあこれで、お願いします」
坂口は西島から差し出された五万円と交換に、SRのキーを渡した。新たな種金を手に入れた坂口は、今度こそは絶対勝って、愛車も無事に取り戻してやると、心に誓った。
「じゃあな、頑張れよ」
「はい、ありがとうございました。助かりました」
一服を終えて、休憩所から出ていく西島に頭を下げた坂口は、後に続いてホールに戻ると、早足で自分の台へと向かっていった。
受け皿に置いていたセブンスターを手に取って、くわえ煙草で席につく――これがラストチャンスだ。頼むぜ、当たってくれよ。
そう願いながら煙草に火をつけた坂口は、再び万札を投入し、台のハンドルを握り締めた。