十八話
四人の無残な死体が転がっている、静かな廃工場の中でしばらく佇んでいた坂口は、春香の準備が終わる頃を見計らい、携帯で警察に電話を掛けた。
応対した警官に、人殺しの罪で自首する意思を伝えて、そのまま警察の到着を待つ。
やがて現れた刑事たちにより、身柄を拘束された坂口は、西島を殺した経緯を正直に話した。
だが坂口は、こうなってしまったのは、あくまでも個人的な借金のトラブルが原因だとした上で、西島から奪った金のことや、春香のことは一切口にしなかった。
それから数日間、様々な手続きや取り調べが行われた。そして現場の状況や、拳銃に残っていた西島の指紋等が証拠となって、坂口の供述には、信憑性があると判断された。
その後拘置所へと移送された坂口に、頼んでもいない優秀そうな男の弁護士が面会にやってきた。
三十代ぐらいで、眼鏡をかけた紳士という印象を持つその弁護士は、何故か依頼人を明かさなかった。
しかし坂口は、特に断る理由も無かったため、熱心な彼に自分の弁護を任せることにした。
再び長い期間を経て、事件の裁判が始まった。弁護士は坂口の正当防衛を主張した。
だが西島の顎の骨が折れていたことや、三発もの銃弾を放ったことが重く取られて、過剰防衛だと判断される。
それでも優秀な弁護士の働きにより、西島が起こした数々の悪事が暴かれたため、情状酌量が加味された。
そうして結局坂口には、殺人罪としては軽めである、懲役三年六ヶ月の実刑判決が下された。
裁判の結果がどうあれ、自分が犯した殺人という重い罪を、ちゃんと償うつもりであった坂口は、その判決を真摯に受け止める。
しかし坂口には、一つだけ気がかりなことがあった。それはずっと面会を断っている両親に、多大な迷惑が掛かってしまうということだった。
いくら過去に勘当をしているとはいえ、息子が殺人犯ともなれば、只で済むはずがないだろう――坂口は両親のことを思い浮かべる度に、心が痛んだ。
その後近県の刑務所へと移送された坂口は、六人部屋の雑居房に閉じ込められた。
――俺はこれからの長い刑期を、ここでこいつらと一緒に過ごすことになるのか。決してなれ合うつもりはないが、挨拶ぐらいは必要かもな。
そう思った坂口は、先に入っていた五人の犯罪者たちとの軽い挨拶を交わしたあとで、狭い部屋の隅に移動して、静かに時を過ごした。
坂口は厳しく不便な牢獄で、毎日規則正しい生活を送りながら、こうなってしまったのは、自業自得だと思っていた。復讐や正義にかこつけて、他人を襲った自分の責任だと。
結果的に金原や西島という極悪人は、この世から消え去ったが、自分が重い罪を犯してしまったということには、なんら変わりがない。
それが正義だっだと言えるのか。自分が選択してきた数々の行動は、本当に正しかったと言えるのか。
いくら考えても、坂口には答えがわからなかった。だが坂口は、あの日春香を救ったことだけは、自信を持って正義の行動だったと言えると思っていた。
――せめて春香だけでも、幸せになってくれればいい。そうすれば、俺のやってきたことは、無駄ではなくなる。だから、これでいいんだ。
坂口はそう自分に言い聞かせながら、長く辛い月日を重ねていった。
そうして半年が過ぎた頃、雑居房に居た坂口に、父親からの手紙が届いた。そこにはずっと会っていない両親の想いが、長々と綴られていた。
手紙を読んだ坂口は、裁判で少しでも罪が軽くなるようにと、優秀な弁護士を付けてくれたのは、父だったということを知った。
そして父は、こんな事態になってしまったのは、あの時メキシコ留学を認めてやらなかった、自分のせいかも知れないと、後悔もしているらしい。
罪を償って落ち着いたら、とにかく一度顔を出せ。母さんもお前に会いたがっている――全ての文面を読み終えた坂口の目から、熱いものが溢れ落ちた。
両親の自分に対する深い愛情や、思いやりを感じた坂口は、ここを出たら、今度こそは真面目に生きようと心に決めた。
――今のままではとてもじゃないが、両親に会わせる顔がない。刑期を終えたらとにかくやれる仕事に就いて、まともな生活をするんだ。
そして落ち着いたら、散々迷惑を掛けた両親への償いがしたい。全てを失った今の俺には、この身体だけが資本だ――。
涙を拭ってそう考えた坂口は、その日から、暇さえあれば身体を鍛えて過ごした。
毎日の規則正しい生活に加えて、禁煙にも成功していた坂口の肉体は、日を追う毎に素晴らしいものへと変化していった。
様々な作業も真面目にこなし、模範囚となった坂口は、三年ほどの長い刑期を終えてシャバに出る。
しかし獄中でアパートを引き払っていた坂口には、帰る場所などは無かった。
逮捕前に着ていた黒いジャージを身に付けて、僅かな所持品を手にしながら、刑務所の保管所に置いてあったバイクを引き取りに行く。
――とりあえずは何処かのバイク屋に、こいつの車検を頼もう。そのぐらいの金は、まだ残っている。そう考えた坂口は、車検が切れた相棒を押しながら、ゆっくりと歩き出した。
道路の脇には、桜の木が立ち並んでいる。それを見た坂口は、心地よい青空の下で、久々の春を感じていた。
――これからの俺の人生は、決して簡単にはいかないだろう。それでもなんとかして生きていくしかない。どんなに苦しくても、めげずにやれることをやるだけだ。
満開の桜たちを眺めながら、改めて決意を固めた坂口は、ひたすら真っ直ぐな道を歩き続ける。
直後に吹きつけてきた突風で、身体を煽られた坂口は、その場に立ち止まった。強風により傾いたバイクをなんとか支えたあと、再び歩き出そうとする。
その時坂口の背後から、聞き慣れた声が響いてきた。
バイクのスタンドを立てて振り返った坂口は、決して忘れることのない、愛しい存在の姿を目にした。
「お帰り、拓ちゃん。やっと逢えたね。ずっと、待ってたんだよ」
「は、春香……お前、何でここに居るんだよ。俺のことは忘れろって言っただろ?」
白いワンピース姿の春香は、激しく動揺する坂口をじっと見つめながら、口を開いた。
「あの後あたしは、拓ちゃんの言う通りにして町を出たんだよ。でもね、あたし拓ちゃんのことが、どうしても忘れられなかったの。だからあたしは、拓ちゃんが入れられた刑務所の場所を調べたんだ。それでね、拓ちゃんがくれた大切なお金を使って、この近くで可愛い雑貨屋さんを始めたんだよ。あたしはそのお店で一生懸命頑張りながら、毎日刑務所のそばに通ってね、拓ちゃんが出てくる日を待ってたんだ。お店もなかなか順調でね、常連のお客さんも増えてきたんだよ。だから、一緒に二人のお店に帰ろ」
彼女はそう言って微笑んだ。坂口はこみ上げてくる涙を拭いながら、返事をする。
「お、俺は……殺人犯だぞ。お前はそんなんでいいのかよ……俺なんかのことは、待ってる必要ねえんだよ。お前はちゃんと、普通に幸せになるべきなんだよ」
「前にも言ったけど、あたしは拓ちゃんがいいの。拓ちゃんじゃなきゃだめなの。拓ちゃんとずっと一緒に居ることが、あたしの幸せなんだよ。拓ちゃんはあの日あたしのことを救ってくれた。だから今度は、あたしが拓ちゃんのことを救う番だよ」
春香はそう言うと、手に持っていたバッグから、ピンク色のマスクを取り出した。
そのマスクは、坂口が愛用していたエル・パラダイスのマスクによく似ていた。それを被った彼女が続ける。
「これはあたしが作った、ハル・パラダイスのマスクだよ。どう、可愛いでしょ? これからはあたしが、拓ちゃんのことを、ずっと守ってあげるからね!」
そう言って胸を張った春香の姿を見た坂口の目から、大量の涙が溢れた。
「春香……春香!」
ずっと心の底に抑え込んでいた、春香への愛情が爆発した坂口は、彼女に駆け寄り強く抱き締める。
そして坂口は、彼女のマスクをゆっくりと剥がしたあとで、熱いキスをした。
長い時を経て、再びお互いの愛を確かめあった二人は、共に帰るべき場所を目指していった。
「ここがあたしたちのお店だよ。どう、いい感じでしょ? 二階にちゃんと住めるお部屋もあるからね!」
「ああ、いい物件を見つけたんだな。お前はやっぱりセンスいいよ」
道中にあったバイク屋に相棒を預けたあとで、二人は自分たちの雑貨店に辿り着いた。
広めの通り沿いにある二階建ての洒落た店舗には、英語でパラダイスと書かれた、可愛らしい看板が掲げられていた。デフォルメされたカラフルなエル・パラダイスのマスクが、所々に描かれている。
「今日はお休みにするから、明日から拓ちゃんも仕事手伝ってよね!」
「ああ、わかった。一生懸命頑張るよ」
そう返事をして店内に入ろうとした坂口は、春香からちょっと待ってと引き止められた。
「ねえ拓ちゃん、お家に帰ってきたら、まずは言うことがあるでしょ?」
「ん? ああ、そうだったな……」
彼女が望んでいるのであろう言葉を察した坂口は、春香をじっと見つめながら口を開く。
「――ただいま、春香」
「お帰り、拓ちゃん!」
様々な苦難を乗り越えて、お互いに救われた二人は、ようやく手に入れた楽園で、新たな生活を始めた。