十六話
前方を遮る、様々な車たちの間をすり抜けながら、坂口は加速していく。
ひたすらバイクを飛ばし、やがて辺りの陽が暮れ始めた頃、西島から指定された工場に辿り着いた。開いていた外周のゲートを通り抜けて、スクラップが山積みされている広い敷地を奥へと進む。
そして西島たちが居るはずの、大きな建物の前でバイクを停めた坂口は、ヘルメットを脱いで歩き出した。すぐそばに停まっている白いライトバンを横目にしながら、早足で工場のほうへと近づいていく。
入口の前で立ち止まり、気合いを入れ直した坂口は、鉄製の扉を開けた。
所々に鉄屑が散乱している広い工場内には、頼りない明かりが灯っていた。奥のほうに居る、数人の人影を見つけた坂口は、それに近寄っていった。
「よう、やっと来たか。遅かったじゃねえか」
以前と同じ黒いスーツの西島が、しゃがれた声を出した。その隣には、白いジャケットを着た金原が立っている。
彼等の後ろに居る春香は、ナイフを持ったヤンキー風の若者二人に、身体を掴まれていた。
「拓ちゃんお願い……助けて!」
「約束通り来たんだから、春香を離せ!」
春香の悲痛な声を聞いた坂口は、拳を固く握り締めながら叫んだ。
「ほう、随分と威勢がいいじゃねえか。まあそう意気がるなよ、ことが済んだら女は離してやる。だが、妙な真似をしたら容赦はしねえ。わかってるな?」
「くっ……! わかったから、春香には絶対に手を出すな!」
手下を従え余裕をかましている西島を睨み付けながら、坂口は激しい怒りをなんとかこらえていた。
「よう西島さん。俺を襲った野郎ってのは、このガキなのか?」
眉間に深くシワを刻んだ金原が、隣に立つ西島に訊ねる。
「ああ、おそらく間違いねえはずだ。おい坂口、持ってきたマスクを被ってみろ」
西島に指図された坂口は、背負っていたリュックからマスクを取り出すと、渋々それを被った。
「こ、こいつだ、間違いねえよ! この野郎が、俺を襲いやがったんだ!」
金原は目を見開きながら、マスク姿の坂口を指差して叫んだ。その様子を確認した西島が、不敵な笑みを浮かべる。
「フッ、やはりな。これでもう言い逃れは出来ねえぞ、坂口」
「くっ……!」
西島の言葉を聞いた坂口は、仕掛けられた策略に気付いた――やっぱりこいつには、俺に襲われたという確証などは無かったんだ。
春香を餌に俺を誘い出して、このマスクを見たことがある金原に、証言させるつもりだったのか――。
再び罠に嵌められた坂口は、ギリギリと歯を食いしばりながら、卑怯な西島を睨み続ける。
「ククク、お前は上手くやったつもりだったんだろうが、まさか俺と金原が知り合いだとは、思ってなかったみてえだな。金貸しには横の繋がりってもんがあるんだよ。残念だったな、小僧」
西島は勝ち誇ったように笑っていた。
「なあ西島さん、こいつボコってもいいか? 俺はもう我慢の限界なんだ」
「ああ、証言の礼だ。好きにしろ」
西島の了承を得た金原が、鬼のような形相をして坂口に近づいてくる。
「こないだはよくもやってくれたなあ、クソガキが! ぶっ殺してやる!」
坂口の目の前まで来た金原は、叫びながら何度も前蹴りを放ってきた。
「ぐあっ……!」
連続で腹の辺りを蹴られて、うずくまった坂口の頭を、金原が乱暴に掴む。
「ツラ見せろや、このクソ野郎!」
金原はそのまま坂口のマスクを剥ぎ取り投げ捨てると、顔面に力任せの拳を振るってきた。
「いやっ、やめて! 拓ちゃんに酷いことしないでっ!」
「おい、うるせえぞ! 女を黙らせろ!」
「は、はい! わかりました!」
春香の悲鳴を聞いた西島が、顔をしかめて手下に命令した。すぐにナイフを突き付けられた彼女は、怯えて押し黙る。
坂口は連続で振るわれる金原のパンチに耐えながら、彼等のほうを睨み付けていた。
「なんだその目は! 舐めてんじゃねえぞこの野郎!」
怒り狂った金原が、右の拳を大きく振りかぶり、坂口の顔面に叩き付けてきた。強烈な一撃を喰らわされた坂口は、地面に崩れ落ちた。
金原は倒れた坂口を、容赦なく蹴り続ける。坂口は顔の辺りを両腕で守り、身体を丸めながら、激しい痛みに必死で耐えていた。
――春香が捕らえられている以上、手は出せない。とにかく今は、こらえるしかない。チクショウ、なにかチャンスがあれば……!
坂口は絶望的な状況におかれながらも、決して諦めてはいなかった。春香を助けたいという強い想いが、坂口の心を支えていたからだった。
禿頭に何度も蹴り飛ばされた坂口の全身に、気が遠くなるような痛みが走る。
「おい金原、その辺にしとけ。そいつには、まだ用があるんだ」
西島がそう言うと共に、金原の嵐のような蹴りが止んだ。
「ああん? うるせえよ、俺はアンタの子分でもなんでもねえんだ! 好きにやらせてもらうぜ! 俺はこのガキ殺して、その姉ちゃんを貰っていく。わかったかバカ野郎!」
金原は西島のほうを向きながらそう凄んだ。
「てめえは誰に向かって口聞いてんだよ。調子に乗ってんじゃねえぞ、このハゲが!」
金原の返答を聞いた西島が、目付きを鋭く変化させて近づいてくる。
「ああん? やんのかこの野郎!」
金原がそう叫んだ直後、西島はスーツのジャケットから、オートマチックの拳銃を取り出した。
「お、おいおい、じょ、冗談だろ? チャカは勘弁してくれよ……」
身体に銃口を向けられた金原が、激しく狼狽えながら後退りする。
「お、俺が悪かった、だ、だから、撃たないでくれ。た、頼む!」
「てめえはもう用済みなんだよ。とっとと死ねや、このボンクラが!」
必死で命乞いを続けていた金原の身体を、西島は容赦なく撃ち抜いた。
立て続けに三発の銃弾を喰らった金原が、白いジャケットを真っ赤に染めて崩れ落ちる。
激しい銃声が止んだ直後に、春香が悲鳴をあげた。目の前で人が死に、手下の若者二人も明らかに狼狽えている。
「ちょ、に、西島さん、俺ら、人殺すなんて、聞いてないっすよ」
「か、勘弁してくださいよ西島さん」
手下たちは春香の身体を掴んだままでそう言った。
「このハゲは昔っからチョロチョロと目障りだったんだよ。いい機会だからついでに殺してやっただけだ。お前らびびってんなら、女をそこの柱に縛り付けたら、帰ってもいいぞ」
西島は金原の死体を冷たく見下ろしたあと、手下に指示をした。二人のうちの一人が、すぐにロープを用意する。
慌てた素振りで春香を近くの柱に縛り付けた二人は、西島のほうに駆け寄ると、失礼しますと頭を下げた。
そして走り去ろうとする手下たちに、拳銃を向けた西島が、再び何度も引き金をひく。
オートマチックの弾丸を撃ちきって、二人を殺した西島は、マガジンを交換しながら呟いた。
「この程度で怖じ気づくような奴等は、必要ねえんだよ」
再び響いた激しい銃声が耳に残っている中で、凄惨な光景を目の当たりにした坂口は、西島が持つ狂暴さに、愕然としていた。
視線の先に居る春香も、身体を震わせすすり泣いている。
「次はお前の番だ、坂口」
西島は倒れたままの坂口に拳銃を向けながら、歩み寄ってきた。
「よくも俺をやってくれたな。奪った金は何処だ」
「……アパートの近くにある駅のコインロッカーだ。俺のリュックの中に、鍵が入ってる」
命の危険を感じた坂口は、この状況で短気な西島を刺激するのはまずいと判断して、金の在処を正直に話した。
西島が坂口に拳銃を突き付けながら、リュックをまさぐってコインロッカーの鍵を取り出す。
「ククク、これがお前の宝の鍵か。こいつは俺が、ありがたく貰っといてやるぜ。あとは俺を襲ったことに対する、礼をするだけだ。てめえは楽には殺さねえぞ。たっぷりと痛めつけてから、なぶり殺してやる」
そう言って立ち上がった西島は、坂口を何度も蹴り飛ばした――クソッ、こいつはどうあっても俺を殺す気だ。だが俺は、まだ死ぬわけにはいかない。俺は春香を、守るんだ。
坂口は軋む身体をグッと丸め込んだまま、望みが薄いチャンスの到来を、願い続けていた。