01-03
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「しっつれいしまあす!」
一方、同時刻の男子寮大浴場に、とある生徒の元気な挨拶が響いた。がらり磨り硝子の引き戸を開け浴場に足を踏み入れた小太りの少年──大乃国広は、しかし中の様子にあれっと驚愕の表情を浮かべる。
「って、あれ、新しい寮監のセンセじゃないっすか!? 何でこんなトコにいるんすか!」
思わず口を突いて出た大乃の言葉に、よ、とその人物──眞柴空覇は片手を挙げて応えた。どうやら空覇は丁度身体を洗い終わった所らしく、洗い場から湯船へと向かう最中のようである。大乃は洗い場によっこらせと座りながら空覇へと続けて声を掛けた。
「寮監室にも風呂あるんでしょ? どうして生徒用の風呂に来てんすか。今まで寮監がこっち来た事なんて無いっすよ」
「いやァ、やっぱ部屋の風呂って狭いモンでな。でけェ風呂好きだからさあ」
そう言いながら空覇はざぶりと湯船に身を沈めた。はあーっ、と感嘆の息がその口から自然と漏れる。大乃はざぶざぶと手早く身を清め、仕上げにざばぁと湯を被ってから浴槽へと向かった。だぱん、と勢い良く湯へと入ると、両手で湯を掻きながら空覇へと近付く。
「眞柴センセ、っすよね。ワイ、一年……じゃなかった、二年の大乃っす。大乃国広。みんなには大乃国って呼ばれてて」
「おお、宜しくな大乃! 大乃国ってあの横綱からか? にしても国広って名前もイケてるじゃねえか、刀みたいでよ」
「いやあ、褒めすぎっすよ! それに眞柴センセも空覇って名前、めちゃかっけーじゃないっすか。それに名前だけじゃなくて外見も超かっけーし。何すかその筋肉! よく見るとなんか傷痕とかあるし、マジ強者感パネェっす」
言いながら、空覇の傍へと寄って来た大乃は褐色の肌を指で突っついた。はははと笑いながら空覇もお返しとばかりに、大乃のふくよかな腹を突つき返す。
「まあ昔、武道とか色々やってたモンでな。大乃、お前もちったあ運動した方がいいんじゃねェか?」
「ははは、実は前に一度ダイエットしようとしたら全然頭回らなくなったから、大学合格するまでは痩せないって心に誓ったんっすよ! 無事受かったら春休み中に激痩せして大学デビューするって決め手るんっす!」
「そうかそうか、頑張れよ!」
他愛ない会話を交わしながら二人が風呂を堪能していると、不意にガラリと浴室の扉が開いた。空覇と大乃の視線が同時に扉へと向かった先、失礼します、という静かな声と共に神経質そうな生徒が入って来る。
その生徒は空覇と大乃の方にちらりと視線を投げると、洗い場へと向かいながら溜息と共に口を開いた。
「大乃、声が大きすぎだ、脱衣所まで響いていた。──ああ、眞柴先生でしたか。生徒と同じ風呂に入るのは構いませんが、あまりはしゃぐのもどうかと。それにその荒い言葉遣い、宜しく無いと思いますよ」
注意された大乃は途端に眉を下げて肩を竦める。逆に面白そうに片眉を上げて生徒を見遣る空覇に、大乃は顔を寄せそっと耳打ちした。
「八色先輩っす。規律に厳しくて、いつも他の生徒を注意して回ってる……実質、この寮の寮長みたいな存在っすよ」
「……成る程な」
二人の会話が聞こえたのかどうか定かでは無いが、生徒は空覇に向き直る事無く口を開いた。繊細で整った顔立ちだが、少し寄った眉根が気難しい印象を醸し出している。
「そう言えば名乗ってませんでしたね。……八色です、八色雷火。三年です」
生徒──八色雷火は洗い場の椅子に座ると、身体にシャワーを掛け始める。空覇は身を起こしてざばざばと浴槽の中を移動し、雷火の背を眺める位置で湯船の縁に腕を組み、顎を乗せた。
「八色って事は、……理事長の孫か何かか。俺が新しく寮監になった眞柴空覇だ、改めて宜しくな」
空覇が雷火を見遣ると、雷火もまた洗い場の前に設置されている鏡の中の空覇を見る。二人の視線が、鏡越しに絡み合う。
「こちらこそ。しかし、あまり寮内の空気を乱さないで頂きたいです。僕達の方が寮生活は長い、──妙な口出しなどはしないよう、心懸けて頂けるとありがたいです」
「はん、……心に留めておくよ、センパイ」
空覇が皮肉げな笑みを浮かべ挑発的な台詞を吐くと、対照的に雷火は鏡に映る空覇を睨み付けた。
「それと、確かに僕は現理事長の孫に当たりますが、僕は僕です。理事長の孫だからと忖度したり差別したりはやめて頂きたい。……まあ、眞柴先生は良くも悪くも、そんな事をする風には見えませんがね」
「それは褒められてんのかけなされてんのか、どっちだ?」
「良くも悪くも、と言ったでしょう?」
雷火が吐き捨て、空覇が鼻で笑った。張り詰めた空気に大乃がおろおろと二人を見遣る。空覇はもう一度声を立ててククッと笑むと、ざばりと飛沫を上げながら身を起こした。
「出るか、大乃。そろそろ上がらねェとのぼせちまう」
「あ、は、ハイっす!」
空覇が浴槽を出て風呂セットを持つと、慌てて大乃も後に続く。そして空覇は切れ長の瞳をちらりと流し、雷火に向けて片頬だけで笑った。
「またな、お先ィ」
雷火も無言で空覇を見上げ、軽い会釈を返した。そしていつの間に空覇を追い越したのか、お先に失礼します、と大乃が引き戸に手を掛けていた。
……なかなかどうして、退屈しなさそうだ。まあ、任務の面からすれば面倒極まり無いが──空覇はそんな事を考えつつ歩みを進める。
浴室を出る間際、微かに漂う呪詛の匂いに、空覇が鼻をクンと鳴らした。雷火は唇を引き結び、そんな空覇の褐色の背中をただ、見詰めているのだった。
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