05-02
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そしてとある早朝、学園の清めと鎮魂の儀が執り行われた。
これは新理事長からわざわざ『組織』へと依頼されたものだ。とは言え一般人がおいそれと組織にコンタクトを取れる筈は無く、相談を受けた空覇が取り持ったものだった。
何人かは『組織』の者が手伝いに来たものの、儀式は空覇が主体となっておこなった。空覇は教員免許以外にも神職の資格を取得しており、そもそもこちらの方が本業に近いのである。ちなみに今回着用した装束は浄衣と呼ばれる白地に紋様が施された狩衣で、これは組織にいる親友に借り受けたものだ。
参列した職員達は厳粛な雰囲気の中、空覇の装束姿と流麗な所作、そして祝詞を朗々と奏上する声の響きにただただ見惚れたという。
また、時間が早い事もあり生徒達は参列してはいなかったが、皆、この日ばかりは早起きして寮の窓から顔を覗かせていた。儀はグラウンドの中央、つまり学園の中心で行われたのだが、清浄なる祝詞の響きとこだまする柏手、そして空覇の一挙手一投足に全員が息をするのも忘れて見入っていたのだった。
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空覇は四月末付でこの学園を退職する事が決まったが、逆にクリスには学園に通い続けても良いという許可が『組織』から下りていた。それどころか、組織の指定する先であれば大学進学も許可する、との添え書きまでもが為されていたのだ。
「良かったねクリスちゃん! 学園生活が一ヶ月だけだなんて悲しいもんね。わたしもクリスちゃんがいなくなったら寂しいもん。きっとみんなもそうだと思うよ」
「うん、自分も嬉しい。それにこれで一年間、志恵センパイと一緒に居られる。みんなとももっともっと一緒に楽しい事したいし」
「そんだけ喜んでくれりゃア、俺が色んなトコに頭下げた甲斐もあったってモンだ。──さ、それはそれとしてまだ課題が残ってンぞ。ホラ集中しろ、下手でもいいから丁寧さを一番に心懸けろ。あと三枚合格するまでメシは喰わせねェからな」
「ふええ、空覇……じゃなかった、眞柴センセ、スパルタすぎる」
そして二人が空覇に何を教わっているかと言えば、──符の作り方であった。
霊媒体質で自衛の出来ない志恵と、強力な能力は封印されているクリス。もう八色に纏わる事象は解決したとは言え、二人を学園に残していく事に空覇は不安を感じたのである。よって、志恵達でも簡単に扱える防御や邪気祓い系統の符の書き方を教える事にしたのだ。
空覇本人はあまり符の製作は得意ではない。普段使うのは人払いの結界符程度だ。それでも一応、組織に属した際に一通りの基本は叩き込まれている。ところがクリスは符の製作が大の苦手だったらしく、教わった筈の事が全く頭に入っていなかった。呆れた空覇は仕事が終わった後、夕食までの時間を志恵達の指導に充てる事にしたのだ。
「俺ァなクリス、お前はてっきり符とか作れるモンだと思ってたんだよ。それが俺より下手糞とか……ンな調子じゃ安心して俺が教師辞められねェだろうが」
ぼやきながらクリスを睨む空覇の横顔に、志恵はそっと溜息をつく。空覇が手本にと書いた墨字はとても躍動感があり、自信を持って引かれた筆の跡はずっと見ていても飽きない美しさがあった。
「どうした羽々木、溜息なんてついて。お前のはちゃんと丁寧に書けてるぞ。これなら文句無く合格だな」
「あ、……はい、ありがとうございます。でも、その……ずっと眞柴先生が居てくれたら、嬉しいのになって」
頬を染めながら視線を逸らす志恵の様子に、少し唸りながら空覇は腕を組んだ。火を点けていない煙草を咥える口から鋭い牙が覗く。
「いや、……俺もな、嫌いじゃねェんだ、この仕事。でもな、教師は俺じゃなくたって出来るだろ。でもよ、俺じゃなきゃ出来ねェ仕事ってのがあるからさ、……仕方無ェんだ、悪りィな」
「ん、分かってます。ただの我が儘みたいなやつです。駄々こねてみただけですから、気にしないで下さい」
照れ笑いをしながら志恵が応えると、空覇も溜息混じりの苦笑を漏らす。傍ではクリスが手本と睨めっこをしながら和紙に向かって唸っている。志恵は少し眼を伏せると、また静かに空覇へと問い掛けた。
「そういえば……聞きたかったんですけど、いいですか。眞柴先生」
「何だ。俺に答えられる事なら何でもいいぞ」
「その、神職の人って、女性でもなれるんですか? どうやったらなれるんです?」
随分と予想とは違った質問だったらしく、空覇は少し視線を彷徨わせてから口を開く。
「興味あンのか」
「先日の眞柴先生の儀を見て、ですけど」
「そうか。──ま、何が切っ掛けでもいい。興味を持ったなら、どんな事でもどんどん調べてみるといい。選択肢は多いに越したことは無ェしな」
そして空覇は、神職が女性でもなれる事や、特定の大学や養成所で神職資格の階位が取得出来る事などを志恵に語った。また、組織に指定されたクリスの進学先がその中の一つである事も。
「でもお前の成績なら、或る程度は何処にでも行ける筈だ。最初から可能性を狭めるなよ? 色んな事柄を考えた上で決めるといい」
自分を見る空覇の視線は真剣な色を宿していて、志恵は空覇の言葉に深く頷いた。
志恵は『組織』での働きに興味がある事を空覇には黙っていた。また空覇も、志恵が組織に興味を持っている事に勘付いていた。それでも互いにそれを口にする事は無かった。自身で悩み、自身で選ぶ事に意味があるのだと、空覇は知っていたし、志恵は気付かされたからだ。
「ま、後悔のないように……じゃねェな、後悔しながらでもいい、自分で前に進めりゃアな」
「──はい」
頷く志恵の髪が揺れ、ちり、と鈴が涼やかな音を立てた。
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風呂から上がり自室へと帰ろうとした際、呼び出しがあった。電話だ、恐らく母からだろう。──志恵はロビーへと急いだ。地下の気配も廊下の隅の闇もそしてシャワー室の幽霊も、もうすっかり綺麗に消えていた。
「もしもし──ああ、お母さん。うん、うん。元気だよ」
やはり電話は母からだった。少し疲れた母の様子に、志恵は努めて明るい声を出す。
「え、そうなんだ。うん。そうだ、あのねわたし、ゴールデンウイークに家に帰ろうと思ってて。大丈夫? うん、そう。じゃあ帰省するね」
志恵はここ数日ずっと考えていたのだ。逃げていてはもう駄目なのだ、と。大丈夫、自分には一歩を踏み出せる力がある。──そう信じて、志恵は母に切り出した。
「それで、あの……やっぱり顔を合わせて、じっくりちゃんと話し合いたいなって。進路の事とか、あと……九頭さんの事とか」
母が息を飲む音が聞こえた。それでも志恵は、踏み出すべきだと思った。どんな小さくても、どんなに遅くとも。そう、転んでも不器用でも、前を向くのだ。
「わたし、逃げてちゃ駄目なんだって気付いたの。……それでね、九頭さんの事、こっちでも分かったことがあって。やっぱり今のままじゃ駄目だと思ったんだ。ううん、お母さんは悪くなんかないよ。そうじゃない、違うの。わたしが全部お母さんに押し付けて逃げてたばっかりだったから」
そして志恵は微笑むと、静かに息を吐いた。戸惑う母の声に、出来るだけ穏やかな口調で答える。
「わたしね、お母さんに話さなきゃいけない事があるの。長い長い、本当に長い話なんだ。今度ね、帰省した時に聞いてくれる? ……うん。約束だよ」
母との約束を取り付けただけで、志恵はすっと胸のつかえが軽くなった気がした。母の不安もこんな風に取り除いてあげられたら、と志恵は願う。
取り留めも無い会話の隙間で、ゆっくりと夜は流れてゆく。以前よりも少し穏やかな空気の中、志恵は久々に清々しい気持ちで通話を終えたのだった。
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