04-10
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「『<黒き厄災>シヴァ・マハカーラたる眞柴空覇が命ずる、キノト・クリスの乙種封印、解除』!」
空覇の声が轟くと同時、跳躍したクリスの身体が紅い燐光に包まれる。詠唱は続き、そして──。
「『顕現せよッ、<神の葬儀者>、女神キノトグリス』……ッッ!!」
燐光が弾ける。そこに現れたのは、瞳を紅に染め、闇色のオーラを翼の如く纏った少女。
頭には闇色のヴェールを垂らしたトーク帽、その身には同じく闇色のチュールを重ねたロングドレス。それはまさに、数多の哀しみを装う為の喪服。おごそかな静寂を司り、死者を弔う、あまねく死の象徴。
──女神、キノトグリス。
その神格はクリスの中に封印された強大な能力の具現化。シノーソグリスとも呼ばれ、人に、魔に、そして神にすら平等に死を与える女神。故に、付けられたコードネームは『神の葬儀者』。
強大過ぎるが為に厳重に封じられた死の女神が今、眞柴空覇の持つ神格、シヴァ・マハカーラの命により解き放たれたのだ。
「……ずっと悪夢を見続けてきたんだね、イザナミ。穢れを喰らい続け、憎しみを汚濁を流し込まれ続けた。復讐の為だけに生殺しのように、この地に縛られ続けた──」
クリスが囁く声は決して大きくはなく、だが染めるが如く空間に沁み渡る。その闇は濃く、しかし驚く程に清廉で。イザナミが咆える、混乱し、そして自らよりも純粋な『死』の化身たるキノトグリスに畏怖を抱いて。
「悪夢を終わらせよう。神にも安寧が必要だ。至福の死へと、今、その身を委ねるといい……!」
闇の羽根が舞い落ちる。クリスが黒いレースの手袋に包まれた手をそっと差し伸べる。爛れ皮膚の腐り落ちたイザナミの額に、その指が触れる──。
瞬間、爆発するが如くイザナミの身体が光の粒子と化し、弾け飛ぶ。
いやイザナミだけでは無い。雷を纏った八匹の蛇が、周囲に漂う泥濘が、散った黄泉の軍勢の灰が、凝った闇が、瘴気が、死穢が、それらイザナミに関する全てが光の粒子と化した。地下広間が光に満たされ、床の亀裂の隙間からも光の粒が立ち昇る。
光の粒子は天に召されるかの如く天井を抜け、或いは溶けるように消えてゆく。
「イザナミと共に、捧げられた千人の命が……還ってゆく……?」
呆然と志恵が呟く。皆はただ、その幻想的で荘厳な光景を眺めていた。
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そして最後の粒が消える頃、ふわり、とクリスが床へと降り立った。翼めいた闇のオーラはすっかりとなりを潜めている。
「……終わったか」
空覇が呟くと同時、クリスが駆け、そして志恵へと抱き付いた。
「志恵センパイっ! 良かった、無事だ……!」
「……それはこっちの台詞だよ、クリスちゃん」
志恵は一瞬戸惑ってからクリスの顔に掛かったヴェールを払い、ゆっくりと、そしてぎゅっとクリスを抱き締めた。その目は涙で潤んでいる。絹の喪服に包まれた身体はちゃんと温かくて、ああクリスちゃんだ、と志恵は溜息のように囁いた。
「もう大丈夫みてェだな。──『眞柴空覇が命ずる。キノト・クリス、乙種封印、再設定』。これで良し、と」
空覇が呟くと、クリスの姿が黒の喪服からいつもの学内着へと瞬時に変わる。雷火がその変化に驚き空覇を見遣ると、空覇の額に開いていた三つ目の瞳も既に閉じた後だった。
「眞柴先生、イザナミはもう消滅したのですか。復活は阻止出来たのですか?」
おもむろに立ち上がり雷火が問う。皮肉げな笑みを返しながら、空覇は持っていた槍を空に投げた。槍は空気に溶けるようにその姿を掻き消す。
「ああ、全部、ぜーんぶクリスが消滅させた。あいつの能力は強大でな、神にも魔にも人にも怪異にも、等しく死を与えるんだ。イザナミは今迄捧げられた千人の魂と注ぎ込まれ続けた死穢ごと、綺麗さっぱり消滅したんだよ」
「では終わったのですね、全て」
「ああ。──と言いてェところだが……ここでゆっくりしてる訳にはいかなそうだ」
「え?」
雷火が疑問を口にしようとしたその時、ゴゴゴゴゴ、という地響きが耳に届いた。空覇は隅で固まっていた筈の『蛇』達を見遣る。
土岐が山路に肩を貸し、立ち上がろうとしていた。析口と火ノ宮は互いに身体を支え合って無事を確かめている。若城は壁に凭れ辛うじて立っている有様だ。伏見と鳴門の寮母二人は理事長の遺体に取り縋り、公ちゃん、雷公さん、と涙を零し泣きじゃくっていた。そして大乃と黒塚、野槌の生徒三人はうずくまったまま立ち上がれずにいるようだ。
「だから先に逃げろっつったのによ……おいお前ら、此処から脱出するぞ。結界や術式で構成していた空間だったからな、それが無くなった此処はもうすぐ崩れちまう。自力で動けるモンは早く此処から出るんだ」
皆が一斉に顔を蒼褪めさせる。案内します、と土岐が山路を支えながら歩き出す。析口と火ノ宮もそれに続き、若城もふらつきながらも何とか皆に着いていく。
「寮母さんらは歩けるか? 大丈夫なら、二人で理事長を一緒に連れてってくれると有り難ェんだけど」
「私は大丈夫です。公ちゃんを連れて行くわ。ね、鳴さん」
「ええ、私も大丈夫よ、伏見さん」
どうやら二人は昔からの理事長の知り合いらしい。涙を流しながら、それでも二人で協力して理事長の遺体を運んでゆく。
さて、と空覇は志恵達に振り返った。既に三人は立ち上がり、空覇の近くに佇んでいる。
「羽々木、絹田さんを頼む。雷火は俺と一緒に大乃を連れてくぞ。クリス、一人で黒塚と野槌を運べるな?」
「まだ甲種封印は解いたままだから問題無い」
「よし、じゃあうごくぞ」
地鳴りはいよいよ強まり、天井からはパラパラと破片が落ち始めている。そこかしこに細かいひび割れが走る。
クリスは女子生徒二人を左右一人ずつ抱え、そして空覇と雷火は協力してせーの、と大乃を立ち上がらせた。
「……何でワイらを助けるんすか。ワイらは敵みたいなモンだったんっすよ、見捨てりゃいいのに」
いつになく暗い表情で吐き捨てる大乃に、ばーか、と空覇は笑う。
「ンな事出来る訳無いだろうがよ。俺らは命を助ける為に此処に来たんだ。敵だろうが何だろうが命は命だ、見捨てるなんて選択肢は何処にも無ェんだよ」
「ははっ、ホント眞柴センセには敵わないっすね、……完敗っす」
そして全員が安全圏に脱出を果たしたのを見計らったかのように、地下広間は崩落した。
──長い長い復讐劇に、今ようやく、幕が下ろされたのだった。
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<四章:開く死花と、断ち切る刃──了>




