04-09
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笑いながら理事長は空覇に近付く。絶対的優位を疑いもしない顔で、空覇の眼を覗き込む。空覇は眉根を寄せながらも、三つ叉の槍で肩を叩きながら理事長を見返した。
「ときに眞柴空覇君。君に二つ、選択肢を与えよう」
「……この期に及んで何を」
「一つは、イザナミ様の最後の糧となる事」
「ンなもん却下だ。死ぬ気は無ェよ」
「だろうね。では二つ目の選択肢だ。──我々の仲間になる気は無いかね?」
「ンあ?」
怪訝そうに半眼で睨む空覇を見上げ、理事長はさも可笑しそうに口端を歪めた。
「君の知識は中々の物だ、神話や術に造詣が深いのだろう? そういう人材は是非欲しいのだよ。それに、教師としてもかなり評判が良いそうじゃないか。偏差値の低い三流大学を出ているからと大して期待してはいなかったが、思わぬ拾い物だと思ったよ」
「ンだと……?」
ギリ、と奥歯を噛んだ空覇が理事長へと一歩近付く。
「君の教育ノウハウは中々の物だ。君ならばきっと、我が学園の数少ない弱点である文系の点数を底上げしてくれるに違いな……んぐ、な、何をする!?」
空覇は舌打ちを零すと、腕を伸ばしおもむろに理事長の胸倉を掴んだ。吊り上げると顔を寄せ、片眼を見開いて口を開く。
「糞が、生徒を点数や偏差値でしか見てねェのかよ……!? 三流大学たァ言ってくれるじゃねェか。あァ? 俺の知識はな、その三流大学で培ったモンだ。偏差値は低いかも知れねェが倍率は死ぬ程高ェし、何より専門分野じゃ何処にも負けねェ所なんだよ!」
「っ、そ、それは悪かっ、ぐぐ……」
「それにな、人生ってのは数値じゃねェだろ。俺はあの大学で掛け替えのない友を得たし、何物にも代え難い経験をした。それはきっと何処にだって、誰にだってある事だろうがよ。大事なのは何点取って何処へ行けるかじゃなくて、何を成すかじゃねェのか!?」
「──あ、ああ……」
「この学園のウリでもある少数精鋭ってのは体裁だけなのか!? 進路ってのは点数で切って決めるんじゃなくて、何をしたいか何になりたいか、そういうのを生徒一人一人と向き合って選んでくモンだろうが。人数が少ないからこそそれが行き届くって話じゃねェのかよ! 違うのか!? ──全く、教育者が聞いて呆れらァ!」
吐き捨てると空覇は無造作に理事長を放り投げた。嫌悪感を露わにして見下ろし、さも不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「はン、教師ってのも意外と嫌いじゃねェけどよ、お前等の仲間なんて願い下げだな。テメエの選択肢はどっちも不採用だ」
一瞬呆気に取られた理事長だったが、直ぐにふふ、くくく、と笑い始めた。背後の泥人形達の動向を気にしつつ空覇が眉を顰める。
「……何笑ってんだ」
「ふふ、ははは……はは。もっと若い頃に、君のような人間に出遭いたかったよ。そうすれば私も、何か変われたかも知れなかったな」
呟き、ふっと満足げな微笑を浮かべた。そうして地べたに座ったままスーツの内ポケットをまさぐると、理事長は小振りな短刀を取り出す。
「何、を──」
「さらばだ諸君。──イザナミ様、受け取って下さい! 最後の一人分として、私の命を貴女様に捧げましょうぞ!」
叫び、──刃を喉に突き立てた。止める間も無かった。心臓の鼓動に合わせ、血が勢い良く噴き出す。周囲から悲鳴と叫びが上がる。空覇の頬に血飛沫が飛んだ。空覇は、苛立ちに奥歯を噛み締める。
背後からは黄泉の軍勢の呻きや唸りが聞こえる。相変わらず地鳴りは続いている。血の霧めいた瘴気が一層濃さを増す。空覇はただオロオロと右往左往するばかりの『蛇』達に背を向けると、三つ叉の槍を構えた。うんざりしたような声で『蛇』達に警句を発する。
「あんたらはもう逃げろ。理事長がいない今、これ以上義理立てする必要も無ェだろ。それに俺と言えど、流石に全員庇い切れねェ」
「ま、眞柴先生! 先生も逃げて! 一人じゃそんな、敵いっこない……!」
火ノ宮の悲痛な声が耳を打つ。空覇は振り向かないままに応えた。
「大丈夫さ、俺も普通の人間って訳じゃ無ェんでな。それに一人じゃねェよ」
「え……?」
「二人と──一匹だ」
ニヤリ牙を見せて笑うと、空覇は声を張り上げた。それは何処かに潜んでいるであろう、『相棒』に向かっての言葉。
「待たせたな! 出番だぜ、クリス! 『<黒き厄災>眞柴空覇が命ずる、キノト・クリスの甲種封印、解除』! 存分に暴れろッ!」
瞬間、風が駆け抜けた。疾風の如きそれは──瞳を深紅に輝かせたクリスだ。跳躍し、黄泉の軍勢の真っ只中に飛び込んで行く。一拍の後、まるで爆発でも起こったかのように泥人形達が吹き飛んだ。その中心ではクリスが両手に持った泥人形を振り回して周囲を薙ぎ倒している。
──『甲種封印解除』。それはクリスのハーフヴァンパイアとしての能力を解放するワードだった。その能力とは、即ち──人間を遥かに超える物理的『剛力』、そして頑強な肉体だ。純粋なパワーは最も強力な武器となる。
それを見た絹田さんがきゅう! と鳴いて空覇の顔を振り返った。空覇が頷くと、絹田さんは素早い動作で駆けてゆく。それを見送った空覇は、今度は自分の番とばかりに、全身から鈍銀の燐光を噴き出させた。
「こっちも全力で行くぜ! ヒャッハ、数が多い分、爽快感パネェな!?」
乱れた前髪の隙間から覗くのは、額に開く第三の眼。空覇が槍を振るう度、嵐の如く神気が巻き起こり、黄泉の軍勢である冥府の汚濁人形が千切れ、砕け、刻まれ、灰へと還ってゆく。
──広間の隅、壁際で震えながら様子を見守っていた志恵と雷火は、その光景に魅入られていた。しかしじわじわと地面の罅も広がり、志恵達の辺りまでも泥濘が迫って来る。不意に泥人形の一つが志恵達に気付き、じりじりとにじり寄って来た。二人は為す術も無く、固まって震えるばかりだ。
助けて……! そう願った瞬間、志恵の前に何かが現れた。それは鋭く鳴くと、泥人形に向かって突進し、汚濁の肉体を粉々に破壊する。ちりん、と涼やかな音が耳に届く。
「絹田さん!」
それは子狸の絹田さんだった。薄らと白銀の気を纏い、志恵の胸に飛び込んでくる。志恵が抱き締めると、絹田さんからは清浄な森の匂いがした。
「ありがとう、絹田さん」
そして二人と一匹は広間を眺め遣る。みるみる内に数を減らしてゆく黄泉の軍勢に、雷火は感嘆の息を漏らした。
「これが、本当の術士の力……。何て強力な」
「ねえ、教えて八色先輩。眞柴先生は、クリスちゃんは何者なの」
「それは──」
志恵が雷火にぽつり問い掛けた。理事長との遣り取りなどから薄らは分かってはいたが、それでも誰かの口からはっきりとした答えが欲しかった。しかし雷火はしばらく口籠もった後、ゆっくりと首を振る。
「僕が語るより、事が終わった後に二人に直接訊けばいい。きっと彼らは誤魔化さず真摯に答えてくれる筈だ。きっと、その方がいいと思う」
「そう……ですか。うん、そうします」
そして志恵は頷き、また空覇とクリスを目で追った。
もう黄泉の軍勢達はほぼその姿を失っていた。広間に再び静寂が戻りつつある。
しかし──突如、激しい地響きが広間を襲った。瘴気が、死穢が、陣のあった一点に集中し始める。
「そろそろ、か」
最後の泥人形を灰に還した空覇が陣を見詰める。クリスも隣に並び立った。
それまでとは比べ物にならない程の濃い、重い闇が、瘴気が、穢れが集まってゆく。腐った汚濁を凝り固めたが如き泥が、盛り上がる。
オオ、オ、オオオオオオオオオオオオオ──!
腹の底に響く、いや魂そのものを揺さぶる地の底からの叫びが地下広間に反響する。ぬめり赤黒い血を纏わせた蛇がバチバチと火花を散らしながら這い出し、不意に閃光が、降り注ぐ。
全てを引き裂く程の雷鳴が轟き、その中にそれは現れた。
どす黒い血にまみれ、腐った肉を、爛れた皮膚を、膿を滴らせる髪を、ぼろぼろの衣を焼け焦げさせながら、それは咆える。黄色く濁った目からは黒い汚汁を流し、耳からは蛆を零し、股からは血と肉片を溢れさせている。纏う瘴気は渦を巻き、黄色い骨を露出させた足を踏み出す。存在そのものが重圧となって呼吸すらままならない。
「こりゃ……おぞましいことこの上無いな。これが八色村の者達が望んだイザナミの姿ってか」
呟いた空覇がバタリ、と聞こえた物音にちらり目を遣ると、隅で固まって震えていた『蛇』達が次々と膝を突くところだった。動けず倒れ込む者もいる。どうやらイザナミの復活の為に力を吸い取られたのだろう。
理事長の遺体はミイラの如く干涸らびてしまっている。早々にカタを付けないと、その内『蛇』達も生命力を吸い尽くされる怖れがある。或いは志恵と雷火まで被害が及びかねない。彼らは既に『やくさいさま』と因縁を結び付けられている筈だ。
「クリス、やれるか? 俺でもやれない事は無さそうだが、加減を誤るとこの地下ごと破壊しかねねェ。そうなると全員行き埋めだ」
「うん、任せて。自分はいつでも大丈夫」
「なら──いくぞ」
地響きとイザナミの咆哮が轟く中、クリスが地を蹴った。第三の目を燐光に輝かせながら、空覇が声を響かせる。
「『<黒き厄災>シヴァ・マハカーラたる眞柴空覇が命ずる、キノト・クリスの乙種封印、解除』!」
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