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死穢を導くディザスター  作者: 神宅 真言
四章:開く死花と、断ち切る刃
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04-07


  *


 志恵が祭壇の前に押し出される。腕の拘束が解かれ、薄衣で出来た千早のような物を羽織らされた。長い黒髪やゆったりした緋色の学内着ズボンと相まって、それはまるで巫女装束めいていた。


 震えながら見上げると、大きな像が志恵を見下ろしている。この地下広間は随分と天井が高いが、像の高さはその天井に迫る程の大きさがあった。二メートル半、いや三メートル近くはあるだろうか。


「これが、『やくさいさま』……」


 呟き見詰めた像は随分と古びている。度々漆を塗り重ねたが如く赤黒くねっとりとした艶を帯び、その顔は美しくも恐ろしい表情をしていた。女神に似つかわしい豊満な肢体に何匹もの蛇を絡ませ、荒々しく乱れた髪が束となって渦を巻いている。


「羽々木さん、あなたはこの位置に。そう、その円の中から動かないで下さいませ。そして桜谷さんはこちらへ──」


 野槌が儀式の体裁を整えて行く。床には赤いチョークのようなもので複雑な文様を組み合わせた術式陣じみたものが描かれ、志恵はその中心へと座らされた。他の者は円の周囲を囲むように配され、そして桜谷は像の真正面を示される。


「……覚悟は出来てますわね? ──それでは、始めます」


 問われ桜谷が緊張した面持ちで頷くと、儀式は開始された。


 かがり火だけが照らすおどろおどろしい雰囲気の中、『やくさいさまの集い』の面々により祝詞が奏上され始める。妖しくも神秘的な光景に、相変わらず空気を穢す死穢と瘴気に、志恵の頭はくらくらと霞み掛かる。


 何度か地響きのような音が聞こえたが、気の所為だろうか。祝詞は日本語で紡がれている筈なのに、何重にも絡み合ったその響きは、志恵には聞き取れない。ぼわりぼわりとくぐもった音の塊が鼓膜を揺らす。奏上が進むにつれ、志恵は船酔いのような感覚に気持ちの悪さを覚えた。闇が凝り、空気が水の如く重く、炎がぶれて見える。


 ふらり、気が遠くなる。いつの間にか奏上は終わり、なのに闇の震えは止まらない。風とも呼べぬねっとりした空気の動きが志恵を包み込む。桜谷が何かを叫ぶ。後頭部の重みに自我が飛びそうで、志恵は無意識に揺れる身体を支えるべく手を床に突いた。突こうとした。


 ──ずぼり。


 手が、床に沈み込む。は、と驚愕に意識が覚醒する。見ると、志恵を囲う円形の陣、その内側の床がヘドロめいた泥──いや違う、闇と穢れの泥濘へと変化していた。


「嫌、何よ、これ……」


 これはあの時の『沼』と同じだ。そう認識した途端、ぐずぐずと湿度を含んだ瘴気が身体に纏わり付く、びちゃびちゃと粘度の高い穢れが跳ねる。見上げると、像からべとりべとりと赤黒い粘液が垂れ降り注いでいた。ぐじゃり、という音に視線を下ろすと、泥が波打ち、渦を巻いて何かが現れようとしている。


「──長船君!」


 桜谷が歓喜の悲鳴を上げる。──これが長船? 志恵は泥の中から這い出ようとしている物体に眉を顰めた。闇と穢れと腐れた血液で固められたそれは、まるでこの世の汚濁を凝縮したが如き泥人形だ。桜谷にはこれが長船に見えているのだろうか。──いや、そう思わされているのか。志恵は身震いをしながら這い出るものを凝視した。


 やがてぐずぐずと汚濁を撒き散らしながら陣を出て、泥人形は桜谷へと這い寄ってゆく。桜谷は満面の笑みでそれに抱き付いた。直ぐさま泥は形を失い、桜谷の身体を覆ってゆく。──しかし桜谷が浮かべ続けるのは歓喜の、いやもはや恍惚を加えた悦楽の表情だ。


「長船、君……やっと、一つ、に、ぐぼ、なれ……ごふっ、る……おぐ、え、あああおえぇえぇあぁあああああぁあ」


 泥は桜谷の口から、鼻から、耳から眼から毛穴から全てのありとあらゆる穴から入り込む。白眼を剥いた桜谷がビクビクと跳ねる。余りのおぞましさに志恵が目を逸らすと、視線の先、陣の横に居た黒塚が口角を吊り上げ笑っていた。


 赤黒い汚濁の粘液はまだ降り続いている。べっとりと志恵の髪が、肌が、千早が汚れてゆく。そして波打つ泥濘の中から、ぐぼり、とまた何かが現れた。


「──ひッ」


 それは手だ。華奢で小さな、女性の手。それが泥の中から突き出し、更にもう片方の手が増え、次いで頭が現れ──肩が、髪が、胸が、徐々に姿を見せてゆく。


 その姿に志恵は見覚えがあった。泥に足を取られながら、恐怖にじりじりと後ずさる。


 それは影だ。自室の窓をノックし志恵を手招く、不穏の影。そしてその影の正体を志恵は知っていた。知っていながらずっと、目を背けていた。


「……恵理先輩。やっぱりわたしを呼んでいたのは、恵理先輩だったんですね」


 それは昨年突然失踪した、志恵と同室だった先輩──桐野恵理キリノ・エリであった。汚濁の沼から這い出る桐野は、志恵に近付こうとその手をびちゃびちゃと伸ばしてくる。


『これで、一緒だねぇ……志恵ちゃあん……』


 おぞましいノイズ混じりの声が響く。その崩れた嫌らしい笑顔に志恵は直感した。桐野はやはり、『やくさいさま』の贄にされたのだと。今迄『失踪』した者達は皆、生きながらに『やくさいさま』に贄として捧げられたのだと──。


 じり、じりと桐野が近付く。志恵は陣の際まで後ずさる。遠くからは桜谷の狂ったような笑い声がごぼごぼと垂れ流されている。皆は遠巻きに志恵の一挙手一投足を見詰めている。


 指先が届く。千早の裾をべっとりと汚れた手が握り締める。もう駄目だ──志恵がそう諦め掛けた、その時。


 ちりりん。


 涼やかな音色が志恵の耳に届いた。何か小さなものがつむじ風の如く駆け、志恵の胸に飛び込んでくる。


「──絹田さん!? どうしてここに……!」


 それは子狸の絹田さんであった。絹田さんは鈴の付いた尻尾で桐野の手を打ち据える。途端、桐野はギャアと悲鳴を上げ全身をのたうたせながら後ずさった。


 絹田さんはもっふりとした尻尾を振り、何度も鈴の音を響かせる。突然の事に驚いていた志恵だが、ようやく気が付いた。──絹田さんの尻尾に付いているのは、志恵の持っていた銀の鈴だ。絹田さんは鈴の魔除けの音を使って、死穢に溺れ怪異と成り果てた桐野から間一髪、志恵を護ったのだ。


「ありがとう、絹田さん……!」


 志恵は絹田さんを抱き上げてからゆっくりと立ち上がった。銀の鈴の音は確かに効果があるようだが、だからと言ってずっとそれだけでどうにか出来るとは限らない。贄にされてしまう前に、早く此処から逃げなくては……。


 しかし陣からでようと泥から足を引き抜いた志恵に、低く響く声が投げ掛けられた。


「お嬢さん、まだ動かないで頂けるかな。君は大事な依り代なのだ。なに、大人しくしていてくれれば、贄なぞよりも余程良い待遇を約束しよう」


 影から現れたのは、高級そうなスーツを着こなした男。志恵はその顔に一応の見覚えがあった。この八色学園の理事長、八色雷公ヤイロ・ライコウだ。そして背後には二人の男と二人の女が付き従っている。


「理事長先生……。それに若城先生と、土岐さん。寮母さん達……皆さん、どうして此処に」


 理事長の後ろに控えている男は、志恵のクラス担任である数学教員若城ワカシロ、それに学園の整備全般の長である土岐トキである。また女性二人は男子寮女子寮それぞれの寮母、伏見フシミ鳴門ナルトであった。


 彼らの登場はイレギュラーだったのだろう、『やくさいさまの集い』の会員達もざわざわと不安げに何かを囁き合っている。そんな中で、野槌と黒塚だけが落ち着き払っている様子を見るに、恐らく二人だけはこうなる事を知っていたのだろう。


「もう願いを成就して貰う儀式は終わったのだろう? なら今度は、我々の行う儀式にも協力して欲しいのだよ」


 理事長が志恵に語り掛けながらゆっくりと歩みを進める。志恵はゴクリ喉を鳴らし、そして絹田さんをしっかりと抱え直した。


「わたしを依り代とやらに使って、何をするつもりですか」


 気丈な志恵の言葉に、理事長は眼孔鋭く、そして口端を歪めて言い放つ。


「知れた事。……『やくさいさま』の復活だよ」


  *


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