04-05
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──時間は少しばかり遡る。
夜の十時を過ぎた頃、男子寮寮監室の窓がノックされた。コンコン、と響く音に眞柴空覇が訝しみつつ窓を開く。するとそこには見覚えのある人物が立っていた。
「──山路先生……!? どうしたんです、こんな時間に」
「ああ眞柴先生、急ぎお伝えしたい事がありまして。電話ですと他の者に怪しまれる可能性がありますので、直接参りました」
そこに居たのは世界史教員の山路であった。山路は今夜、『蛇』の予備として『やくさいさま』の復活を目論む理事長に同行する筈だ。計画は消灯後の十一時を過ぎてからの予定だが、何かトラブルでもあったのだろうか。
ソファーに座っていた八色雷火も窓へと歩み寄る。走って来たらしい山路は少し息を整えてから話し始めた。
「計画が予定よりも早まりました。『やくさいさまの集い』の儀式開始が早まったのに合わせ、一時間計画を前倒しするとか」
「じゃあこっちも動き出さないとですね。わざわざ報せて頂いてありがとうございます」
空覇が謝意を述べると、山路はいえいえと首を振った。更に真剣な面持ちで、それからですね、と付け加える。
「眞柴先生が計画を阻止するつもりだというのは理事長も知っています。それと、雷火君が眞柴先生側に付いているという事もです。何らかの方法で寮監室を盗聴していたのでしょう」
「ああ……そうだろうと思ってはいましたが、やっぱりですか」
「やはり僕の事もバレているんですね……」
山路の言葉に、空覇は納得の頷きを返し、雷火は少し項垂れる。山路は気の毒そうな顔を雷火へと向け、そしてまた言葉を続けた。
「もしかしたら雷火君は来ない方が良いかも知れません。職員だけで会合を行った時があったのですが、理事長は依り代に羽々木さんが使えなかった際のスペアとして、雷火君を依り代にと考えているようです。そもそもの計画では、雷火君を使う事を想定していたとも」
「……お、御祖父様が、僕を……?」
「それでか。……雷火の部屋を『呪術研究会』の隣にしたのもわざとだったんだろうな。たっぷり呪詛を吸わせて魂を穢して、『やくさいさま』の好むような器にしたかったんだろうよ」
愕然とする雷火の横で、空覇は得心の表情を浮かべた。実の息子ですら平気で始末する男だ、孫を依り代にするぐらい『悲願』の為なら平然と行うに違い無い。本人に知らせなかったのも慈悲ではなく、恐らく逃亡を防止する為なのだろう。
「それと、地下通路などに『蛇』を配置し、眞柴先生を妨害するつもりです。僕などは無力な数合わせに過ぎませんしそもそも眞柴先生を足留めするつもりもありませんが、中には体術に優れた者もいます。充分ご注意を」
「ご忠告、痛み入ります」
「ではそろそろ僕は行きますね。──ご武運を」
そして山路は身を翻し、足早に去って行った。恐らくは理事長達と合流して作業棟の地下から向かうのだろう。地下へ通じる道は三つ、男子女子それぞれの生徒寮と、北西に位置する作業棟からだ。
ふむ、と空覇は思案しながらどかりとソファーに腰を下ろし煙草に火を点ける。そして立ち尽くしたままの雷火に目を向け、顎をしゃくった。
「どうするよ、雷火」
「……どう、とはどういう意味ですか」
「万全を期すならお前は此処に残った方がいい。何なら結界でも張って安全にしといてやる。でももし着いて来たいってんのなら、俺は止めねェし、普通の人間相手ならお前を守りながら戦うなんて余裕だ」
雷火の瞳が揺れる。空覇は紫煙を吐きながら、挑発的な笑みをその口許に浮かべる。挑むような視線が雷火を刺した。
「どっちがいい? お前が好きな方を選べ」
投げ掛けられた二択に、雷火はきつく唇を噛み締めた。握り込んだ拳が震える。空覇は急かす事はせず、静かに紫煙を吐く。ただその鋭い視線を刃の如く突き付ける。沈黙が部屋を満たす。
そして大きく深呼吸をした後、雷火は声を発した。
「行きます。行かせて下さい。僕には、全てを見届ける義務があります」
「了解だ。──じゃあ、行くぞ。付いてこい」
「はい!」
答えた雷火の顔は引き締まっていた。覚悟を決めた者の、運命に抗い殻を破ろうと決めた者の顔だ。
空覇は満足げに笑み灰皿で煙草を潰すと、立ち上がり雷火の肩を叩いた。二人は用意しておいた懐中電灯を手に、揃って部屋を出てゆく。ちらりと通りすがりに覗いた寮母室には、もう灯りは点いていなかった。
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二人がひとけの無い地下へ降りると、倉庫の前には二年生の大乃国広の姿があった。その笑顔はいつもと変わらずひょうきんで、ふくよかな体型も相まっておどけた雰囲気を醸し出している。
「おやぁ眞柴センセ、それから八色センパイ。どうしたんっすか?こんな時間に」
あくまでもシラを切る大乃の言動に、空覇は肩を竦めた。
「いやあすっかり騙されたぜ。大乃、お前が『蛇』の一人だったなんてな」
「そんなの騙される方が悪いんすよ。見た目や言葉遣いで『こいつはこんなキャラだ』ってレッテル貼って相手を見くびるなんて、一番やっちゃいけない事じゃないんすかね」
「全くお前の言う通りだよ、耳が痛いぜ」
はははと笑う大乃に相対し、空覇も皮肉げに口端を歪める。大乃は笑みのまま腰を落とし低く構えると、挑戦的な目で空覇を睨み付けた。
「──ここは通さないっすよ。通りたいってんなら、ワイを倒してからにして下さいっす。まあ負ける気は無いっすけどね」
「……気を付けて下さい。大乃は中学時代に相撲で全国大会まで行った猛者と聞いています」
大乃の言葉を受けて雷火が補足を入れた。成る程、ずっしりとした構えは堂に入っている。しかし空覇はフンと鼻を鳴らすと、腰を落とし大きく片脚を引いて斜めに構えを取った。
「俺に勝てる気でいるたァ大した自信だな。──おい雷火、これ持って下がってろ。直ぐにカタを着けてやる」
空覇は持っていた懐中電灯を雷火に投げて寄越すと、牙を見せて笑う。すぅと細めた目は鋭さを増し、全身からゆらり鈍銀の燐光が立ち昇る。
対する大乃も口角を吊り上げ、空覇と視線を合わせた。目の中に昏い炎が燃え上がる。
「調子に乗るのも大概にして下さいっす。ワイは後が無いんっすよ。病気の父ちゃんの為にワイが頑張らないと、一家で首括る羽目になるんすから」
「そいつは大変だな。でも、だからって俺が負けてやる義理は無ェしな」
「ハナからそんなの期待してないっすよ。ワイは──実力でセンセに勝つんすよっ、お、おおおおぉおおおおぉおっっ!!」
刹那、地響きが辺りを揺るがす。大乃の咆哮が轟く。突進した大乃の身体が空覇にぶつかった瞬間、ドォンという音が空気を震わせた。
ズザザザザ、と空覇の足が床を擦り、次いで──勢いのまま壁にぶち当たった。背中をしたたかに打ち付けられ、ぐ、と呻きが漏れる。大乃は空覇の腹に頭と肩を埋めたまま空覇の腰に腕を回した。
「ちっとは効いたでしょう? でも、まだまだこれからっすよ」
そして大乃は更に腰を落とし、空覇の身体をそのまま持ち上げようとする。踏ん張って耐えようとするも、空覇の足が宙に浮く。
「眞柴先生っ!」
投げ飛ばされる──!? 思わず雷火が悲鳴めいた声を上げた、その時──。
「っ、調子、乗ってんじゃねェぞこの野郎おぉおおぉおッッ!!」
空覇が咆えた。担ぎ上げられた姿勢のまま、大乃の背中に覆い被さりがっつりと胴を掴む。そして思い切り、壁を蹴り付けた。
「っ、あ、あああああっ!?」
まるで宙返りをするかのように空覇の身体が回転した。大乃の悲鳴が上がる。壁を蹴った勢いそのままに、大乃の巨体を持ち上げ回転させて──空覇が大乃を後頭部から床に叩き付けた。
ズズン、と地響きが上がる。くたりと大乃の身体から力が抜け、ふう、と空覇が大きく息をついた。ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返した後、雷火が二人へと歩み寄った。
「……凄いですね。大乃、生きてます?」
「これぐらいで死なれちゃア困るぜ。最後の最後でギリギリ手加減して、頭じゃなくて背中から打ち付けるようにしたんだ。気絶してるだけだろうよ」
そしてよいしょ、と空覇は立ち上がりパンパンと服の埃を払う。見下ろすと、大乃は白眼を剥いて完全に気を失っていた。
「投げられそうになった時、肝が冷えましたよ。眞柴先生はプロレスの経験でもおありで?」
「いんや、観るのが好きってだけでプロレス自体はやった事無ェな。ありゃ旋回式カナディアン・デストロイヤーって奴だ。パイルドライバーの派生だな……やったのは初めてだったけど成功して良かったぜ」
「……はあ、そうなんですね」
そして空覇は雷火から懐中電灯を受け取り、倉庫に向かって顎をしゃくった。
「行くか。急がねぇとな」
そして二人は、暗闇へと足を踏み入れるのだった。
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