04-02
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「ねえ空覇……じゃなかった、眞柴先生。任務が終わったら、自分達はこの学校、辞めちゃわなきゃいけないんだよね?」
日曜の夕方、眞柴空覇と乙紅莉栖はいつもの喫煙所のベンチに並んで座っていた。クリスの膝の上には子狸の絹田さんが寛いでいる。ゆったりとした静けさの中で、空覇の煙草の煙が空を漂う。
「ああ、そうだな。その予定だ」
八色雷火から得た情報を共有する為に、空覇は女子寮からクリスを呼び出した。と言っても直接の連絡手段が無く、結局空覇は声色を変え父親の振りをして女子寮に電話を掛ける羽目になったのだが、それはまあ些細な話だ。
「……自分ね、今すっごく楽しい。初めて学校に通って、初めてたくさん友達が出来た。志恵センパイも大好き。勉強も面白くて、凄く……楽しくて……」
空覇の話を一通り聞き終わったクリスが、ぽつりそんな事を漏らしたのだ。クリスの横顔には寂しさと嬉しさの入り交じった複雑な表情が浮かんでいて、空覇はその感情の発露に驚きを隠せなかった。
「そうか、お前、学校楽しいのか。もっと皆と一緒に居たいんだな」
「うん」
──クリスが羽々木志恵に初めて会った日、クリスは父が海外へ転勤になったからこの学園へ入ったのだと語ったが、それは全て嘘だった。それは『組織』が用意した偽の経歴だった。
クリスは吸血鬼の父と日本人の母との間に産まれたハーフであった。しかし何の偶然かその身には、ハーフヴァンパイアとしてだけでなく、それ以上に厄介で強大な能力が備わってしまっていたのだ。その能力は無差別に発動し、生後直ぐにクリスは母殺しの罪を背負う事となった。
まだ能力が発現して間も無い為に、吸血鬼特有の強靱な身体を持つ父は死から免れたものの、自身では子の能力を抑えられないと悟り『組織』にコンタクトを取った。以降、クリスは『組織』に預けられ、その能力に強大な封印を掛けられて育つ事となったのだ。
「さっき話した通り、恐らく強大な存在と対峙する事になるだろう。俺だけじゃ抑え切れず、お前の能力までも必要になるかも知れねェ。そんときゃ多分、羽々木にもお前の能力が知られちまう。──その結果、どうなるかは分からん」
「うん……」
クリスは封印を施されたとは言え、幼い内は感情による能力の暴発を危惧されて、地下深くの隔離研究棟で育てられた。そして、感情の発露を抑える術を叩き込まれた。年齢を経て安全と見做され他の能力者の子供達と暮らすようになった時には既に、クリスは感情を全く表に出せない子供になっていた。
『組織』の施設に保護された子供の中には普通に外の学校へと通える者もいた。しかしクリスは外界を知らず、他人とのコミュニケーションも上手く取れず、故にずっと『組織』の中だけで生活を続けて来たのだ。幸か不幸かクリスは頭が良く勉学の成績は優秀だった。──そしてクリスはこの任務で、初めて『学校』に通う事となったのだ。
「でもな、もし、もしもだ。羽々木がお前の能力を見た上で、それでも変わらずお前を受け入れる、変わらず接してくれると言ったなら」
「言ったなら?」
空覇にもまた、家族をあやかしに殺され、更に恋人があやかしに襲われた際に能力を暴発させ、『組織』に収容されたという過去があった。幸いにも空覇は良き師匠兼後見人を得て学校へと通い、大学では無二の友とも言える存在までもを手に入れる事が出来た。しかし、そのような者は希だ。大抵の者は能力に振り回されて歪な人生を送る事になる。
「──お前がこのまま学校に通えるよう、俺が『組織』に掛け合ってやる。もしこの学園がダメになった際にも、皆と同じ学校に通えるようはからってやる」
「え、ホント……!?」
「ああ、本当だ」
そして僅かながらも嬉しそうに目を細めるクリスの頭を、空覇は乱暴に撫でた。
自分では気付いていないかも知れないが、クリスは少しずつ、少しずつ感情を表へと出せるようになっていた。この半月程の僅かな時間で、それまでずっと凍ったままだった心が溶けつつある。──それはとても良い事のように、空覇には思えるのだ。
空覇は忙しい任務の隙間を縫って、保護された子供達にずっと勉強を教えていた。その中にはクリスも含まれている。空覇はいつも思っていた、この子供達が運命に歪められる事無く、苛烈ながらも幸せを享受出来る人生を歩められたら、と──。
「その為には頑張らねェとな。この学園の瘴気を、穢れの元を絶って、お前等が安心して過ごせる学園に戻さなきゃなんねえ。大変だけど、やれるな?」
「うん、自分、頑張る。──志恵センパイは、自分が護る」
クリスが大きく頷き、絹田さんをぎゅっと抱き締める。腕の中の絹田さんが、きゅう、と鳴く。尻尾に飾られたリボンの鈴がちりりと鳴る。
「うん、その時は絹田さんも一緒だよ。ね、眞柴先生?」
「ああそうだな。──乙、そいつは普通の狸じゃねェ、山神の使いだ。大事にしてやれ」
「え、そうなの?」
驚いたようにクリスが空覇と絹田さんを交互に見遣った。よく分からないといった風に、絹田さんはきゅ? と首を傾げる。
「だってそいつ臭くねェだろ。普通の野生の動物ってのはノミやダニが居て汚いし、何より獣臭いんだ。それにそもそもそんな所にリボン着けてたら糞や尿で汚れちまう筈だ。だろ?」
「……ホントだ。そっか、絹田さんは凄いんだね」
そうしてクリスは絹田さんを抱き上げると、そのもふもふふかふかした腹に顔を埋めた。毛並みは綺麗で心地良く、吸い込むと新緑の匂いがする。絹田さんはくすぐったそうに身をもじりながら尻尾をぱたぱたさせて、きゅうー、と鳴いた。
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「あら、火ノ宮先生。こんな遅い時間にどうしたんです? ご一緒しても?」
「あ、析口先生……。ええ、どうぞ」
夕食と呼ぶにはやや遅い時間。女子職員寮の食堂で和風パスタをつついていた体育教員、火ノ宮陽那に声を掛けたのは、養護教諭の析口芹那であった。
「私はちょっと雑用してたら遅くなって……。析口先生こそどうしたんです?」
「医務室の方との打ち合わせが急に入って、気が付いたらこんな時間でした。やですねえ、お仕事だから仕方無いですけれども」
いただきます、と丁寧に手を会わせてから析口は食事を始めた。しかし火ノ宮の手が止まっている事に気付き、首を傾げる。
「どうしました火ノ宮先生。あまり食欲が……? もしかして、どこか体調がお悪いのですか?」
「あ、いえ、そういう訳では。ちょっと疲れてるだけで……」
しかし慌てて手を振る火ノ宮の顔色は何処か優れず、表情も精彩に欠けるものだった。析口は眉尻を下げ、心配げな顔を作る。
「ならば、何かお悩みでも? もし他人に吐き出して楽になるようでしたら、遠慮せず仰ってみて下さい。私、聞きますよ?」
「え、……と……」
「仕事だけではなくて、プライベートな話でも構いませんよ。他人に漏らしたりなんて絶対しませんし……」
析口の台詞に火ノ宮が戸惑いの色を見せる。視線が泳ぎ、耳にさっと赤みが差した。ははあ、と析口は内心ほくそ笑む。声のトーンを落とし、左手を添えて少し顔を寄せ、囁いた。
「もしかして、……どなたか、気になる方でもいらっしゃいます?」
「──っ、え、あの、……そ、そんな、事は」
面白い程に狼狽える火ノ宮の様子に、析口は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「応援しますよ、宜しければ教えて頂けませんか? お相手」
「そ、そんな……まだ、そこまでの話じゃ……それに私なんかじゃ迷惑かもだし……」
「あら、でも良いじゃありませんか。別に仕事に支障を来さなければ問題無いと思いますよ? それに、お相手がどう思っているかなんて、聞いてみるまで分からないではないですか」
ニィ、と析口の口角が上がる。──どうせ相手は誰なのか分かっているのだ。この新任の体育教員は、余りにも素直で、余りにも分かり易い。焚き付けてやれば面白い事になるだろう。
火ノ宮は既に頬まで赤く染め、落ち着かなげに俯いている。析口は身を乗り出すと、熟れた唇で囁いた。
「──眞柴先生、でしょう?」
「……っ、」
息を飲む音がはっきりと聞こえた。思わず箸を取り落としそうになる火ノ宮に、析口は続けざまに毒を注ぎ込む。
「……大丈夫、眞柴先生は優しいから、きっと聞き入れてくれるわ。拒んだりされない、だってあの人、女に弱いもの」
「っ、え、それって、……どういう……」
「それにね」
狼狽える火ノ宮に向かって、とびきり妖艶な笑みを析口は見せた。その首筋や胸許には、赤い花弁めいた痣が散る。それはあからさまな、情事の痕跡。
「あの人、凄いのよ。──きっとあなたも虜になるわ」
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