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四月二日午前九時。八色学園職員棟の会議スペースには、学園に在籍する職員全員が集められていた。
理事や教員をはじめ、事務スタッフや医療班、各寮の寮母や調理師、清掃チームやその他諸々──この閉じられた箱庭を運営する総勢八十名近いスタッフが、整然と並べられた椅子にずらりと着席している。皆の視線は会議室の前面に設けられた壇の上に注がれていた。
理事長に続き校長が手短に挨拶を終えたところで、進行役を務める事務員の女性が最前列に座る面々へと視線を走らせた。
『それでは次に、本年度から新規に本校へと所属する事となった新しいスタッフを紹介します。──新任のスタッフは全員、壇上に上がって下さい』
促され、十名程の面々が壇上で一列に並んだ。教員や調理師、事務など雑多な業種が混在している。──その中に、一際目を引く人物の姿があった。会議室内に一瞬、微かなざわめきが起こる。
『それではマイクを回しますので、順番に自己紹介をお願いします。担当職とお名前、それから前職や挨拶など、何か一言あればどうぞ』
『──ああ、はい。ええと、それでは私からですね……』
マイクを受け取った列端の人物が一歩前に出、礼をして挨拶を述べた。言い終わると再び頭を下げ、下がって次にマイクを回す。場内から短い拍手が起こる。形式通りの自己紹介が繰り返され、そして最後の人物にマイクが渡った。
一歩前に出たその青年はすらりと背が高かった。一九〇は越えようかという長身を包むのは、一目で仕立てが良いと分かるスーツだ。浅黒い肌に黒い長髪、切れ長の黒い瞳が真っ直ぐに前を向く。精悍にして端麗──女性のみならず男性までもが皆、その整った容貌に一瞬で釘付けとなった。
青年は軽く頭を下げると、自信に満ちた表情で言葉を発し始める。
『日本史と男子寮の寮監を務める事となりました、眞柴空覇と申します。以前は進学塾の講師をしておりました。このような素晴らしい学園で教鞭を執れる事を光栄に思います。若輩者故に至らぬ点も多々あるとは思いますが、以後、宜しくお願い致します』
低く響く良い声が場内に染み渡り、聞いていた皆は一様に息を飲んだ。──それ程までに、その青年──空覇の容姿と声は鮮烈であった。空覇は唖然とする場内を笑顔で見渡してから、深く綺麗なお辞儀を一つ。一瞬遅れ、弾けるような拍手が場内に満ちる。
「はいよ、コレ」
「あっ、あっはい、あり、ありがとうございます」
小走りで駆け寄って来た進行役の女性に、空覇が笑みと共にマイクを手渡す。空覇の至近距離での笑顔に思わず見蕩れた女性は、慌てて落としそうになったマイクを握り直しながら、噛みつつも礼を述べた。咳払いで落ち着きを取り戻した女性は再び会の進行を続け、そしてしばらくの後に無事会は終了を迎えた。
お開きと同時に立ち上がる音や私語、衣擦れなどの雑音が溢れ、ざわめきのボリュームが一気に上がる。寮母や調理スタッフらが慌てて仕事へと戻る姿を見送り、空覇は座ったまま椅子の上でコキコキと首を鳴らした。前方の壁に掲げられた時計は十時過ぎを指し示している。
さてこれからどうしたらいいものか──そうぼんやり考えを巡らせる空覇に、不意に声が掛けられた。
「──あの、眞柴先生」
「ああ、はい。えと……?」
「どうも初めまして、山路と申します」
空覇が声のした方へ顔を向けると、そこには初老と思しきロマンスグレーに眼鏡の男性──山路が笑顔を浮かべていた。スーツをビシッと着こなしている所を見るに、教員であろうか。山路は空覇の隣、空いた席に腰掛けると、柔らかな口調でにこにこと言葉を続ける。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。世界史を担当しておりましてね、同じ社会科のよしみで仲良くして頂ければ、と」
「ああ、それはそれは。こちらこそ是非宜しくお願いします」
教員歴の長そうな山路は人当たりも良さそうで、空覇も笑顔で軽く頭を下げた。
──空覇がこんな僻地の学園に赴任したのは、何も教育への熱意が理由などでは無い。身分を隠しての調査の為に教師として潜入しているのである。今後の『任務』の事を考えるならば味方は多いに越したことは無いだろう。空覇はさしあたって、この山路という男との仲を深める事に決めたのだった。
「まだ昼食まで時間がありますね。どうでしょう眞柴先生、僕で良ければ学園内を少し案内しますが」
「ああ、とても助かります。ご迷惑で無ければ是非お願いします」
では行きましょうか、と山路が促し、二人は立ち上がって歩き出した。会議室にもうあまり人は残っておらず、二人は並んで出入り口へと向かう。
「案内がてら、学園の事も色々とお話出来るかと思います。そうそう、僕も以前男子寮の寮監をやった事がありましてね……」
「それは是非参考にさせて頂きたいですね」
扉を潜ったところで、そうそう、と山路は空覇を振り返った。
「眞柴先生、此処は是非知っておきたい、という場所はありますか? 昼食までに全部は回りきれない可能性もありますので、そういう場所があれば優先的に案内しようかと」
「ああ、それなら──」
空覇は一瞬考えた後、ニィッと皮肉げな笑みを浮かべる。そして空覇を見上げ言葉の続きを待つ山路に、内緒話をするように小声で続けた。
「──煙草吸える場所ってどっか無いっすかね? ずっと我慢してたんでもう限界で」
途端に山路が破顔した。喫煙者は肩身が狭いご時世ですもんねえ、とポケットからライターを覗かせる山路に、空覇もほんとそれ、と頷きを返す。
「ははは、眞柴先生とは気が合いそうです! さあ、では参りましょうか」
二人は連れ立って廊下を進んでゆく。どうやら何とかやっていけそうだな──と空覇は髪を掻き上げ安堵の笑みを漏らすのだった。
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この世は常に視えぬ脅威に晒され続けている。人にあだなす怪異、あやかし、悪意ある呪術、祟り神を信奉する狂信者、邪神の復活を目論む異能者達──。一般の人間には決して知覚出来ないそれらは、しかし確実に平和を蝕み現実を脅かそうと、常に暗闇から虎視眈々と狙っている。
それらと日夜戦い続ける者達がいた。人の世の平和を守るべく、霊的な防衛に日々奮闘する術士達が属するのが『組織』と呼ばれる超国家的対魔団体である。
眞柴空覇もまた、『組織』に属する術士であった。
とある関係者からの通報を受け、情報収集と協議を重ねた結果、『組織』は潜入調査の為に学園へと二人の術士を派遣する事とした。一人は教員として赴任した眞柴空覇であり、もう片方は生徒として入学する手筈となっている。
呪詛の渦巻く鳥籠めいた学園の中、空覇は教師の仮面を被り、これはやりがいがありそうだな──などとその口許に笑みを浮かべたのであった。
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<序章:始まりの春と、籠の鳥──了>




