03-05
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「何考えてるの、久遠君……本当、理解、出来ない……」
しかしそんな志恵の震える声とは対照的に、受話器越しに聞こえる久遠の声は飽くまでも朗らかだ。いっそ脳天気とでも言った方が正しいかも知れない。
『姉さんって呼ばれるのが嫌なら、『センパイ』とでも呼ぼうか?』
「え、何それ何で? 唐突過ぎて意味が分からないんだけど」
『実は俺さあ、高校はそっちに行く事になったからさあ。これでやっと毎日姉さんと顔を合わせられるよね! 一緒にいられる期間が一年間だけなのが残念だけど、ヨロシク、志恵セ、ン、パ、イ!』
突然の衝撃的な発言に、志恵の頭が真っ白になる。あの久遠が、この八色学園に入学する……?
「──っ、な、何で久遠君が…… わざわざこの学園じゃなくても、進学校なら他にもあるじゃないの!」
『あれ、知らなかった? 俺の親父もさあ、八色出身なんだよ。医者の知り合いにも八色の卒業生多いらしいし、俺も医者になるんなら八色出た方が良いって、親父がさ』
志恵はもう驚き過ぎて言葉が出なかった。九頭蔵人が八色学園の卒業生だった──? 確かにあの顔の広さ繋がりの多さは、学園の卒業生だからと言われれば納得がいくものだ。そう志恵が黙って考えているさなかにも、久遠はべらべらと喋り続けている。
『それに便利でしょ、あの、のろいだっけ。あれいいよね、嫌いな奴とか蹴落とせるのに、証拠も残らないし罪にも問われないの。そりゃ使わない手は無いよね。種類も色々あるんだっけ? 親父も上手く使ってるみたいだし、親父が母さん手込めにしたみたいに、俺も使い方覚えて志恵姉さんを手に入れちゃうの、アリだよねえ』
「ま、待って、それどういう──」
久遠の発言に違和感を覚え、はっと志恵は声を上げた。久遠の言う『母さん』とは志恵の母の事の筈だ。
九頭蔵人が呪法を使って母を手に入れたとはどういう意味なのか──やはり志恵の想像した通り、母は九頭の罠に嵌められたのだろうか。そう考えれば全ての辻褄が合う。
しかし久遠は志恵の言葉も意に介さず、自分の喋りたい事だけを話し続ける。
『そうそう、家族で思い出したんだけどさ、多分今そっちに俺の本物の姉さんがいる筈なんだよね。本物って言ったって、腹違いだから半分しか血が繋がってないし、名字も違うんだけどさ。良かったら志恵姉さん、探してみてよ。確か姉さんと同じ二年生の筈だからさ』
「え、何よ、それ……わたしそんな人、頼まれたって探したくないよ」
『あれれ、もしかして妬いてくれてる? 安心してよ、俺が好きなのは志恵姉さんだけだって。──あ、もうこんな時間か。風呂キャンセルしたら親父にぶっ飛ばされるからそろそろ入んないと。ゴメンね志恵姉さん、また電話するよ。じゃあね』
「っ、ちょ、待っ──」
そして通話は一方的に切られてしまった。プツリ、という音の後にツー、ツー、ツーという無機質な単音だけが鳴り続けている。
志恵は久遠に告げられた幾つかの事実を噛み砕く事が出来ず、へなへなとロビーの床に座り込んだ。握ったままの受話器はずしりと重く、志恵の手は震え続けている。
ツー、ツー、ツー……。その単調な音に重なり、くすくすという笑い声が何処からともなく聞こえて来る。姿無き悪意の嘲笑が、志恵の鼓膜を引っ掻き、心に傷を作り続ける。暗がりから滲む影達が、視界の隅でぞわぞわと蠢く。
志恵は涙を流す事すら出来ず、ただただ唇をきつく噛み締め、押し寄せる現実に耐えるしか無いのだった。
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「──ようこそ、『やくさいさまの集い』へ。私達はあなたがたを歓迎しますわ」
消灯後、女子寮四階の談話室には十数人の女子生徒達が集まっていた。部屋の照明は点けられておらず、テーブルの上に置かれているアンティーク調のランプだけが仄かに室内を彩っている。
演出された神秘的な雰囲気の中、桜谷聡美は緊張にゴクリ喉を鳴らし、黒塚紅羽は興味深そうに室内の面々を見回していた。
そんな二人の様子に目を細め、部屋の中心に座っていた人物がふわり微笑んだ。ウエーブの掛かった栗色の髪は長く豊かに波打ち、長い睫毛が整った顔に影を落としている。
「二年の桜谷さんですわよね。確か、『呪術研究会』の方からの紹介とお聞きしましたが」
そう言葉を発した彼女こそ、この『やくさいさまの集い』を主催する野槌望愛であった。声を掛けられた桜谷は何度も頷き、おどおどと落ち着かない口調でそれに答える。
「は、はい。その、『呪術研究会』に入っている北崎先輩が私の部屋の先輩だったので、そちらから繋いで貰えるようお願いしたんです。『やくさいさまの集い』は紹介じゃないと入れないと聞いたので」
「ああ、北崎さんの後輩さんでしたのね。それと、そちらの方は……? 一年生の子ですわよね?」
目を細めながら野槌が首を傾げると、ふわりと栗色の髪が流れる。ランプの硝子に描かれた葡萄の蔓や葉が、ぼんやりと濃淡のある光で閉め切ったカーテンに陰影を与えている。こうやってオカルティックな感じに部屋を演出し、人を引き込んでペースに乗せていくのだろうな──などと黒塚は思い、そして無邪気そうな笑顔で口を開いた。
「ああー、えっと、桜谷センパイの後輩になりました、一年の黒塚紅羽ですぅー。オマケって程でもないんですけどー、噂を聞いてやっぱり『やくさいさま』に興味出ちゃって、付いて着ちゃいましたぁ」
「そうでしたのね。私達『やくさいさまの集い』は絆を大切にしている同好会ですので、後輩さんという事であれば勿論歓迎致しますわ。よろしくね、黒塚さん」
「はーい、ありがとうございますぅー」
のんびりした口調が場の空気を和らげる。野槌だけでなく他の面々にも笑顔が零れた。桜谷はまだまだ緊張はしているものの、その和んだ雰囲気にあからさまに安堵の息をつく。
──『やくさいさまの集い』。それは紹介でしか入る事の許されない、秘密の同好会だ。何でも願いを叶えてくれるという『やくさいさま』への取り次ぎを請け負う集団で或る。願いを叶えたい者がいれば、メンバーはその願いが『やくさいさま』に叶えて貰うに相応しいかどうか評価し、合格であれば願いを叶える為の儀式を執り行うのだ。
願いを叶えて貰うだけならば無理にメンバーになる必要は無いが、メンバーになった方がより願いを叶えて貰い易くなる──そう桜谷は耳にしたので、先輩に頼んで取り次いで貰ったという次第なのである。
ちなみに桜谷の先輩である北崎が入っている『呪術研究会』も紹介でないと入れない同好会だ。こちらは様々な呪法を研究・実践する会であり、それらの呪法は脈々と先輩から後輩へと受け継がれているのだ。この二つが学園における二大『闇の同好会』などと言われている。
無事、メンバーとして受け入れられた事に桜谷は笑みを浮かべた。これでようやく、願いへの第一歩を踏み出す事が出来た。
──待っててね、長船君。私が、復活させてあげるから……! 桜谷は胸の中でそう呟き、暗くどろどろとした決意を新たにするのだった。
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