03-03
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夕方、仕事を終えた眞柴空覇が男子寮に帰り着くと、寮監室の前に小さな紙袋が一つ、ぽつんと置かれていた。
「今日のプレゼントは何だろな、っと……ああ、こりゃ酷ェ」
実は空覇が寮監に着任してからほぼ毎日、何らかの呪法が寮監室に仕掛けられ続けているのだ。初回の百足から始まり、呪符による扉の封印、何かの霊が取り憑いたと思しき鼠の死骸、パッチワークの如き継ぎ接ぎの大きな蜘蛛、瘴気を撒き散らす腐れた血の詰まった瓶……。
そして今日贈られた呪法は、手の平サイズの小さな箱であった。組み木細工で出来た綺麗な木箱は、しかしボタボタと溢れ零れる程の瘴気を染み出させている。
空覇は取り敢えず箱を紙袋に戻すと、荷物をテーブルに置いて先に着替えを済ませた。酷いとは言ったものの、今回のものは独りでに動き出さない分だけ百足や鼠よりまだマシかも知れない──などと思いながら。
「しっかし、ホントにバラエティに富んでるっつーか……何処で入手したんだかこんなモン。自分で作ってるならマメにも程があらァな」
いいかげん無駄だから辞めて欲しいんだがなァ、と零しながら煙草に火を点ける。ふう、と紫煙を吐き出すとようやく人心地が付いた。どうすっかな、と考えつつたっぷり一本分の時間紙袋を眺め、そして短くなった煙草を灰皿で潰すと空覇は立ち上がった。
ごそごそと引き出しを漁り、筆ペンと半紙を取り出す。テーブルに新聞紙を敷いて半紙を広げると、空覇は左手の薬指に歯を立て指先を軽く噛み千切った。じわり染み出した血を筆ペンの先に垂らし吸わせ、さらさらと何かの文字らしき紋様を半紙に描き始める。
それはおおよそ漢字とは似ても似つかぬ不可思議な文字で、一般には梵字と呼ばれるものである。少し自己流に崩した文字と力ある紋様を組み合わせた符を一気に書き上げ、空覇はふうと溜息を吐いた。再び煙草を咥え、吸い終わるまでの時間で符を乾かす。速乾性のインクは煙草一本分の時間でもう殆ど乾いていた。
空覇は組み木細工の小箱を取り出すと、先程作った半紙の符で包んで行く。ラッピングの包装紙の如く丁寧に、そして仕上げとばかりに薬指を押し当て、自らの血で封蝋を施した。みるみる固まってゆく血は糊の如く半紙を接着し封の役目を果たしてくれる。空覇は更にそれを新聞紙で包むと紙袋に突っ込み、おもむろにゴミ箱に投げ入れた。
手早く筆ペンや半紙を片付け、空覇はんんん、と伸びをする。ちらり時計を見上げ、その中途半端な時間にんん、と空覇は眉間に皺を寄せた。
「終了、っと。さあてどうすっかな……ちっとメシには早い気もするが」
誰がやっているのか、何処で調達しているのか、何が目的なのか──知りたい事は山程あるが、面倒で調べる気にはなれなかった。空覇にとってはこの程度大した事では無いし、このまま続けていればそのうち焦れて尻尾を出すだろうとも思っているからだ。
それより今は、先にやるべき事がある。空覇は棚から一冊のファイルを取り出した。パラリ開くとそこにはスタッフや生徒の名前が並んでいる。着任した際に学園から渡された、今年度学園に属する者全員の名簿であった。
「……そうだな、時間ある今の内にちょっと見ておくか」
──先日、世界史教員の山路に言われた『蛇に気を付けろ』という言葉が心の片隅にずっと引っ掛かっていたのだ。しかし教員の仕事は意外と多く、加えて寮監ともなると部屋に帰ってからのプライベートな時間も少ない。今の今まで名簿を開く心の余裕が無かったのも致し方無いだろう。
蛇、蛇……と呟きながら、空覇は名簿の名前を順番になぞってゆく。教員とスタッフ、それに生徒を合わせると三百名強。取り敢えず、『蛇』に関連しそうな名前を拾ってメモに書き出してゆく。
ざっと目を通したところ、蛇に関連しそうな名字は以下の通りであった。
──水知、羽々木、夜刀、落地、加賀千、宇賀、永六市、朽縄、野槌、上食……。
他にもハブやトグロ、マムシなども蛇に関連した語ではあるものの、蛇という存在そのものを直接差す言葉を優先的にピックアップしてみた次第だ。また竜や龍、虹なども蛇から派生したイメージではあるが、今は取り敢えず割愛した。
山路は八名+スペア二名の十名が居る、というような事を述べていた。抜き出した名前も丁度十名。これで『蛇』は確定、だろうか。
──いや、それでは山路の話と矛盾してくるのではないだろうか?
確か山路は、理事長一族が血縁者を集めていると言っていた。『蛇』と言うからには蛇に関連した名を持っているものと抜き出してはみたものの、そもそも山路の名には蛇の要素はひとかけらも含まれてはいない。だとすると、山路は『蛇』には含まれていないのか、それとも蛇に関連した名とは限らないのか……。
少し安直過ぎたか、と空覇は溜息をついた。しかし、現状他に有力な情報が無い以上、一応はこのリストアップした人員も注意しておいた方が良いだろうか──。空覇は少し悩んだ末に、名前を書いたメモを二つ折りにしてライターに重ね置いた。
「んん……取り敢えず時間も良い頃合いだし、メシでも喰って考えるか」
そして名簿のファイルを棚に戻し、空覇は大きく伸びをしてから部屋を出る。ロビーへ出ると、部活や同好会を終えたらしき生徒達が次々と寮へ戻って来るのが窺えた。
「眞柴先生、ばんわっす! ただいまっす!」
「おうお疲れ。何だ泥だらけじゃねえか、とっとと着換えてさっぱりして来い」
「ただいまです先生、今晩の御飯って何すか?」
「お帰り、喜べ今日の晩メシは何とカツカレーだぞ!」
「えっマジっすか!? やったー!」
「嬉しいのは分かるけど廊下走んなよ!」
こうして一人一人と接していると、生徒達は皆あどけなく生き生きとして見える。この中に呪法を用いる者や虐めを行っている者がいるなど、到底信じられそうにない。陰謀に加担する『蛇』が紛れているなど、空覇には想像もつかない事だった。
しかし、と空覇はクンと鼻を鳴らす。不意に一瞬だけ混じる呪詛の香り。その不快な匂いが現実を空覇に突き付ける。蛇を探せ、と心が囁く。
空覇は軽く溜息を吐くと、食堂へと足を向ける。今はとにかく腹を満たしたい気分だ。気持ちが沈むのは、きっと空腹の所為だ──そう自分に言い聞かせ、空覇はカツカレーを食すべく歩みを速めるのだった。
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