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死穢を導くディザスター  作者: 神宅 真言
序章:始まりの春と、籠の鳥
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  *


 あの激しい雷雨の夜から数日が経った朝、志恵はいつものように七時きっかりの寮内放送によって目を覚ました。


『起床です、お早うございます。起床です、お早うございます』


 寮母の穏やかな声に続き、朝に相応しい爽やかな音楽が流れ始める。志恵は欠伸を一つ噛み殺すと、ベッドから起き出して身支度を整え始めた。


 本日は四月二日、一年生だった志恵も今日から二年生に進級する。始業式などの行事はまだ先だが、寮内では今日からが新学期のスタートだ。実家に帰省していた生徒達も、その殆どが昨日の内に寮へと戻って来ていた。


 少しの憂鬱な気分を脱ぎ捨てるように、志恵は手早くパジャマから学内着へと着換えを済ませた。学内着は寮内や休日に着用するいわば普段着だ。ジャージに似たセットアップは肌触りも滑らかで着心地は良いが、コンプレックスである大きな胸が強調されるようで志恵はあまり好きではなかった。


 眼鏡を掛けてから小さな鈴の付いた組紐で髪を結ぶと、はあ、と志恵は一つ溜息を零す。しかしすぐに気を取り直し、ふるふると首を振った。自分はもう二年生なのだ、しっかりしなくては──そう心の中で気合いを入れる。


 幾らも経たない内に新一年生が入寮してくる。それまでに二年生と三年生は部屋を片付け、寮内での引っ越しを済ませ、気持ち良く一年生を迎えられるよう寮内を整えなくてはならない。やる事は山積みで、落ち込んでいる暇など無いのだ。


 まずは今日を始めるべく洗顔と小用を済ませようと扉へと向かう。志恵が部屋から出るべくドアノブに手を掛け押し開けようとした、その時──。


 ──ゴッ!


 ドアが、開かなかった。何度か試すが扉はガタガタと揺れるだけで開く気配が無い。


「春休みは平和だったのに、新学期早々これって……はぁ」


 折角の前向きな気持ちが萎えてゆく。大きく溜息を吐くと、志恵はまた慎重にドアノブを捻った。ノブは問題無く回るようだ。ならば、と志恵はゆっくりと木製のドアに体重を掛ける。


 ぐぐぐと力を込めて押すとギシとドアが軋み、そして──ベリベリッと紙か何かが破れる音と共に勢い良く扉が開く。無事部屋の外に出られた事に、ふうと志恵は安堵の息をついた。


「ああやっぱり。……前にもされたっけ、こういうの」


 確認すると、扉を封ずるかのように貼られていたのであろう、クラフトテープの残骸がドアと木枠に残っていた。真っ二つに裂けた表面には何やら歪つな文字と紋様が黒いペンで記されている。志恵は呪符めいた残骸を丁寧に剥がし、そして手の中でぐしゃりと握り潰した。


 用意しておいたタオルと洗面道具を携え、改めて部屋を出て志恵は洗面所へと向かった。薄く開いた他の部屋から幾つもの視線を感じる。くすくす、くすくす。幻聴ではない笑いの波が志恵の耳を穢してゆく。


 ──『何だ、すぐ出れちゃったじゃん。ホントに効果あんのアレ?』『えー、だって先輩から教わったやつだよ。効き目バツグンって言ってたのにい』『でも出れちゃったんだからさあ、しゃーないよね』『また別の呪い試してみればいーじゃん。その方がきっと楽しめるよ』……。


 悪意ある言葉が笑いと共に鼓膜を突き刺す。何も聞こえない振りを貫きながら、志恵は廊下を進む足を速める。


 昨年のいつ頃からだったか、志恵はずっと虐めを受けてきた。女子寮でも学校でも、軽いいやがらせは日常茶飯事だ。先程と同様、自室の扉が開かないような細工をされたのはもう三度目になる。虐めの犯人はこれをする為にわざわざ早く起床したのかと思うと、志恵はその悪意の強さに軽い眩暈を覚えた。


 ……くすくす、ざわざわ。──少女達の黒いさざめきに、声無きざわめきが重なる。女子生徒達の視線と共に、じっとりとした姿無き者の意識が纏わり付く。握り潰した手の中の呪符が、ちり、と微かに肌を灼く。


 少女達が繰り返すのは些細な嫌がらせだ。間違っても鍵穴に接着剤を流し込むような真似はしない。隠した教科書もゴミ箱ではなく教卓の中に入れられているし、掛けられるのは墨汁ではなくホースの真水だ。背中に貼られるのもスリーサイズの暴露ではなく軽い呪符である。全てが『ちょっとした悪戯』『おふざけ』『行き過ぎたスキンシップ』で納まる範囲を決して越えないよう計算されていた。


 現に志恵が誰に相談したとしても、最終的には『気の所為』『少し注意すれば納まる程度』として処理されてしまう。──こんなに悪意が向けられているというのに、誰も、何も気付いてはくれない。或いは、気付いても見ない振りをされているだけなのだろう。


 そして、それは寮をはじめ学園内に充満する怪異達も同様だった。彼らは決して積極的に手出しをしようとはしてこない。ただ、囁き、語り掛け、姿をちらつかせ、じわじわと志恵の精神を蝕もうと僅かずつ、少しずつ迫るのだ。真綿で首を絞められるかの如く、志恵はざりざりと心が磨り減ってゆくのを感じながらも、ただ縮こまって毎日を何とかやり過ごしている。


「──何で、わたしばっかり。わたしが何したって言うの……?」


 辿り着いた洗面所の鏡に映る自分の顔は今にも泣き出しそうで、志恵は言葉に出せない泣き言を心の内で呟いた。くしゃくしゃの呪符をゴミ箱に投げ捨てて、唇を噛みながら眼鏡を外し蛇口を捻った。下を向くと涙が溢れそうで、志恵は水道から流れ出る冷たい水を顔に叩き付ける。


 逃げ出す程の度胸も無く、現状を変える勇気も無い。ならば、一人身を固くし黙って耐えるしか無いのだ。何処にも味方などおらず、誰も連れ出してなどくれないのだから。


 ──それでも。


 冷たい飛沫が弱っていた志恵の心を引き締める。大きく息を吸うと、朝の清涼な空気が肺を満たした。


 ──それでも、わたしは、ここに居る。まだ、生きている。朝日の差し込む中で思い出されたのは、あの時消える直前に見せた『センパイ』の泣きそうな笑顔。志恵の胸がぐっと苦しくなる。強く唇を噛む。


 志恵は手早く洗顔を済ませると、無心で廊下を進んだ。もう、嘲るような囁きは聞こえない。薄暗い廊下の隅にわだかまる黒い塊を見ない振りして、志恵はまた今日を始めるのだった。


  *


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