第8話 異変
「……兄さん遅いなぁ……」
ぼくはずり落ちてきたランドセルを支えながら立ち上がった。
いつもなら、このあたりで兄さんが「わっ」と飛び出しておどろかしてくるはずなのに、なぜだか今日は、いつになっても兄さんが飛び出してくることはなかった。
「……兄さん? かくれてるの? またぼくをおどろかそうとしてるんでしょ」
きょろきょろと辺りを見回しながら呼びかけてみるけれど、どんなに耳をすましても聞こえてくるのは雨の音だけで、ぼくは少し悲しくなってしまった。
「今日は帰るね」
いないことがわかってても、つい呼びかけるように言ってしまう。
もしかしたらどこかで聞いているのではないかと考えずにはいられなかった。そしてぼくが帰ろうとしたところを、後ろからおどろかすんだ。
いつもと違うおどろかし方をしようとかくれているんだと、ぼくはまだ考えていた。
しかしどうだろう。公園の敷地を出ても、その先の曲がり角にさしかかっても、物音ひとつ聞こえてこない。
その日、ぼくはすごく残念な気持ちで家に帰った。
ぬれた傘を玄関に立てかけながら、こんなにつまらない雨の日は初めてだな、と思った。
おかしいと思い始めたのは、それからだいたい一週間が過ぎたころだ。
今週はたくさん雨が降ったんだ。それなのに、雨兄さんは一度も会いに来てくれなかった。
いままでこんなことはなかったから、ぼくはあせった。もしかしたら気づかないうちに、兄さんにイヤなことをしてしまったのかもしれない。それで嫌われてしまって、会いに来てくれなくなったのかも……。
ぼくは部屋の窓からくもり空を見上げて、祈るように両手をあわせた。
「おねがい、ずっと雨にして。そうしたら、毎日公園に行くから。兄さんにあやまるから」
あやまるって、いったい何に? 身に覚えがないことを、どうやってあやまったらいい?
わからなくても、あやまらなきゃ。兄さんのいない生活に戻るなんて、そんなの考えたくもない。
でも灰色の雲は、ぼくの願いとは裏腹に、少しずつ風に流されてなくなっていくのだった。
「今日もいない……」
いつも静かな公園が、余計静かに感じた。兄さんがいれば、すぐにぎやかになるのに。
雨兄さんは、自然に好かれている。なんでなのか、どういうことなのか、ぼくにはまったくわからない。
だけど兄さんが来れば木々は嬉しそうにざわめくし、草花は楽しそうにそよそよと揺れ始める。
雨なのに、元気になる。……雨だから、元気? きっとみんな兄さんが来てくれて嬉しいんだと思う。
「雨兄さん? ねえ、いるんでしょ? どうせ、そのへんにいるんでしょ。ぼくをからかってるんだ」
いくら呼びかけても、あやまってみても、そこに返ってくる言葉はないし、言葉を返してくれる人も現れない。
なんで? なんで?
もしかして兄さんは……本当にぼくを嫌いになっちゃったのかな……?
毎日がまるで地獄のようだ。ただでさえ嫌な学校はもっと嫌になったし、家はいつも通り嫌だし、公園も兄さんがいないとつまらない。落ち着ける時間はすっかりなくなってしまった。
兄さんに会えないと、兄さんがいないと、ぼくはてんでダメになってしまうみたい。なんにもやりたくないんだ。
だから兄さん、早くぼくに会いに来てよ。
ぼくをいつものぼくに戻してよ。




