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雨兄さん  作者: だむせる
7/12

第7話 体育祭

  ポツ、と鼻先に水滴が当たって。どうやら雨が降ってきたらしい。しかしそんなに勢いは強くない。


『雨が降ってきましたが、小雨のため休憩をはさんでから続行いたします。次の種目に出る人は、集合時間に送れないようにしてください』


 すかさず放送委員のアナウンスが入る。やはり中断するほどの雨量ではないようだ。


 アナウンスを聞いて、沢田がそばに寄ってきた。なにか言いたげな表情で僕の耳元に口を寄せてくる。


「天霧くん、次リレーだけど……だけどさ……」

「うん。多分僕も沢田と同じこと考えてるよ……」


 僕と沢田は、生徒の中に紛れ込んで満面の笑みを浮かべている雨兄さんを遠い目で見た。


 初めて見るくらい、目に見えてはしゃいでいる。なんでだ。僕と遊んでもそんな顔しないじゃないか。


 その場に立ち尽くしていると、兄さんからこっちに寄ってきた。


「よお少年、いい雨日和だなあ〜!」

「ああもう、何で来るかなぁ」

「ふっふっふ……聞いて驚け少年。俺はな……ふれふれ坊主とてるてる坊主を、三:二の割合で配置してみたのさ!」


 得意げな顔で胸を張り、勢いよくピースした手を突き出してくる兄さん。


「ほんとになにしてるんだよ」


 真顔でつっこんでやった。



「えっと〜……」


 と、横から沢田が気まずそうに声を出した。

 ……申し訳ないが、正直忘れていた。


「兄さん。この人、僕のクラスメートの沢田なんだけど、わかる?」


 くいっと沢田の袖を引き、前に出してやる。


 兄さんは真剣な顔でまじまじと沢田を見た。


「おお……、誰だ?」

「沢田隼人……って、名前言ってもわかんないか」

「小学生のとき、少しの間だけ遊んでもらったことがあるんだけど……覚えてない……か」


 沢田は視線を足元に落とす。


 そんなはずはない、と僕は心の中で首を横に降った。


 兄さんは、練習の時に沢田を見て明らかに反応していた。ついこの間のことだ、はっきり覚えている。それなのに当の本人が忘れているだなんて、そんな馬鹿なことがあるか。


「……兄さん?」


 僕は咎めるように兄さんの目を見た。すぐにふいっとそらされる。


「…………いやぁまあ……、はあ、覚えてるよ。あのときのやんちゃ坊主だろ……?」

「えっ」

「や、やんちゃ坊主?」


 誰が。沢田が? クラス一の優等生と名高いこの沢田が?


「まじか……」

「いっ、いやっ、小さいときの話だからねっ?!」


「よく一緒に泥団子こねてたよなー。雨でぐちゃぐちゃの砂場でさ。Tシャツまでぐちゃぐちゃにしちゃって。まっ、結局俺よりピカピカの泥団子は作れなかったけど」

「にっ、にいちゃん!」

「優等生くんにもそんな子供時代があったんだ……」


「ちなみにこのすまし顔の少年は、かくれんぼで自分の傘が丸見えなのに気づかず自信満々で隠れてたことがあるぞ」

「飛び火した?!」

「一見クールな天霧くんにも、そんなかわいらしい時代があったんだね……」

「沢田」




「しっかしまあ……不思議な縁もあったもんだねぇ」


 醜い争いをなんとか終結させた後、兄さんは感慨深そうに言った。


「何年越しだろ……ちょうど九年?」

「そんくらい経つなあ。最初は冗談抜きで誰かわからなかったよ。でかくなったな〜」


 そう言って、兄さんは沢田の頭にぽんと手を置いた。


「おれからすれば、兄ちゃんってこんな小さかったっけって感じだけど」

「それわかる」

「いやいや、勘違いすんな? 俺が小さいんじゃなくて、おまえらがでっかくなったんだこの成長期たちめ」


 沢田の頭に乗せたままの手にぐっと体重をかけ、「縮め〜縮め〜」とぐいぐい押し始める兄さん。



「沢田っち〜天霧〜、リレー選手呼ばれたっすよ〜!」


 声がかかり、見ると佐藤が集合場所の近くで手を振っている。


 もうそんな時間だったのか。兄さんといると、つい時間を忘れて話し込んでしまうな。


「やばっ、兄ちゃん、またね!」

「はいよー」

「はやく帰ってね兄さん」

「……はいよ〜?」

「ちょっと」


 思い切り目をそらした兄さんに心から不安になりつつ、僕も沢田の後を追った。


 僕の順番は、メンバーが六人いるうちの四番目だ。その次に沢田。練習時は敵チームだったが、本番はクラス対抗となるので一緒のチームだ。



 少しして、競技の再開を知らせるアナウンスが響いた。リレー走者は決められた位置に整列し、自分の順番を待つ。


「頑張れよーっ」


 大きな声が飛び込んできて、僕は反射的に声の主がいる方向を見た。


 たくさんの生徒たちの中で、雨兄さんが右手の親指を立て、「いけるぞ」と言わんばかりに笑っていた。


 喜ぶべきなんだろう、僕を応援してくれる誰かがいること。それは両親に興味を持ってもらえない僕にとって、嬉しく、でもなんだか心がソワソワしてしまう光景のはず。そういう家庭、家族を夢見ていたから。


 でも、とたまに考えることがある。


 もし僕が両親に愛されていて、あの日、あのとき、ひとりじゃなかったならば――僕は今こうして、兄さんの笑顔を見られただろうか。


「……あーあ」


 光るものを眩しがるように、少し目を細める。


「目立つなぁ」


 あんなに目立つのに、際立っているのに、なぜ誰も見向きもしないのだろうか。


 足元に視線を落とす。呟いた言葉が、胸の内が、あの人に届かないように。


 わずかにしめったシャツが本来よりも重たく感じた。


 半袖、半ズボンの体操着の生徒たちの中に、今の季節にしては暑そうな格好の兄さんがポツンと佇んでいるのを見ると、僕はなんとも複雑な気持ちになるのだった。

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