第2話 ひとり
そうして出会ったんだっけなぁ。
僕は頭上でピピピと鳴り続ける目覚まし時計を手探りで探し、アラームを止めた。
なんだかひどく懐かしい夢を見ていた。僕と雨兄さんが出会った日の夢だ。
体を起こし、毎朝欠かさず確認している窓に目をやる。どこまでも広がる真っ青な空が目に入った瞬間、深いため息が出た。
「今日は兄さんに会えないのか」
せっかく兄さんの夢を見たというのに、残念だ。ああ、早く梅雨にならないだろうか。梅雨の時期ならば待ち望んだ雨が毎日のように降るから、もっと頻繁に兄さんに会えるようになるのに。
ベッドからおりて、僕は気だるげに学校へ行く準備を始めた。着替え、朝食、歯磨きを終わらせ、時間になったので玄関に出ると、今日も早々に仕事に出かけたのであろう両親の靴は既に無く、僕はポツンと置いてある紺色のスニーカーに足を滑らせた。
「いってきます」
呟いた声は、誰に届くまでもなく、静寂に溶けて消えていった。
高校二年生。十七歳。それが今の僕。
成長期を迎え、同時に思春期も迎えたらしい僕だが、世間が言うほど両親との関係は変わっていない。そもそも昔から顔を合わせる機会は少ないし、その原因は彼らにある。
逆に、雨兄さんとの関係は相変わらず良好だ。年々仲良くなっているように思う。
しかし中学辺りから、放課後の部活という最高に面倒な学校文化に参加することになり、おかげで兄さんと遊べる時間が減ってしまった。よって僕は部活が嫌いである。なぜ僕の学校は無部が許されないのか。
でも兄さんは、僕から部活の話を聞くことが結構好きみたいだから、話題になることだけは認めてやってもいいだろう。
そういえば、天気予報を見るのを忘れていたな。
昼休み、自分の机で、購買で買ったパンをむぐむぐと頬張りながら気づいた。制服のポケットからスマホを取り出し、口は動かしたまま天気予報のアプリを開く。
六月三日、今日の天気は――晴れ時々雨……か。
「……微妙だ」
時々、という割には低い降水確率に少し顔をしかめる。
だがほんの少しでも雨になる確率があるのなら良かった。いつぞやのように、また長期間兄さんに会えないということは無さそうだ。もしまたあんなことがあろうものなら、僕はかなり落ち込むぞ。本当なら毎日だって会いたいのに。
「……懐かしいことを思い出したなぁ」
あんなにも泣き喚いたのは、後にも先にもあのときだけだ。
僕は真っ白な雲が流れる澄んだ青空を見上げ、目を細めた。早く雨が降らないかな、と考えながら。
帰り道、僕は眩しいほどに輝いている太陽を睨んだ。念のためと用意して片手に持っていた折りたたみ傘を、腹いせにぎゅうぎゅうときつく握りしめてやる。なぁにが時々雨だ、晴れるなら晴れとだけ表記しておけ。
くだらない憤りを抱えながら足を進める。
高校生になってようやく与えられた家の鍵を差し込んで、僕は家の中に入った。どうせならもっと早く、せめて中学生の時点で鍵を渡してほしかったと思う。
「ただいま」
返事の返ってこない挨拶にも、いい加減慣れた。それでも律儀に言い続けてしまうのは、いつか誰かが「おかえり」と言ってくれることを、心のどこかで期待してしまっているからだろうか。
兄弟がいれば良かったのだ。両親の帰りが遅いことを、一緒に悲しんでくれる兄弟が。いっそのこと、雨兄さんが僕の本当の兄さんになって、「おかえり」を言ってはくれないだろうか。
就寝時間になると、ようやく彼らは帰って来る。
一階からガチャ、と玄関が開く音が、二階の自室にいる僕の耳に届いた。
彼らはいつも「ただいま」を言わない。ゆえに、僕も「おかえり」を言ってやる必要はない。
黙って部屋の明かりを消しベッドに横たわると、いつもカーテンの奥に隠れる闇が、この部屋にも溶け込んで混ざり合ってしまうかのような感覚に襲われる。
おかげでこの時間になると、孤独、なんて言葉が嫌でも脳内にちらつくようになってしまった。
大丈夫、僕には雨兄さんがいる。ひとりじゃない。孤独じゃない。
明日こそは、兄さんに会えますように。そう願いながら、僕は眠りについた。